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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

固ゆで野郎と幻想譚

作者: 七志野代人

 パソコン繋げていない時に書いた代物です。

 長いです。五万文字を超えています。

 序章



 人狩りという職がある。

 文字通り、人を狩る職である。

 ただし、これが普通の人間を狩るという意味では正しくない。あるいはそういった職業もあるのかもしれないが、ここでは別の意味だ。

 狩るのは特定の人間――所謂、人外に近い人間だ。

 彼らは普通の人間社会に溶け込むことなど出来ずに、裏社会に流れ、凶悪な犯罪者となる。最初からそうと決まっているのだ。社会はそうなるように動き続け、裏社会は彼らに手招きを止めることはない。

 だが、これで困るのは政府である。

 別段、彼らが裏社会に回るのも、犯罪を起こすのも構わない。問題は、それに対しての対策である。当然、幾ら彼らを非公式の存在とするとしても、国民に害をなす以上、何の対策も立てないわけにもいかない。彼らに対する抑止力を政府は作ることとなった。

 それが人狩りである。

 犯罪により囚人になった彼らを、政府の尖兵として、犯罪を行う彼らを狩る要員にしたのだ。

 彼らを人狩りと呼称する。

 結論的に、裏社会の者も、彼らをいずれ切り捨てる便利な手駒として扱い、また彼らもそれを理解していた。

 人狩りに、白峰直樹と呼ばれる青年がいる。

 まだ若く、しかし彼らのルールをよく理解し、またそのルールに従って人狩りの債務を全うし、いずれ彼らの運命通りに殺されることを受け入れている青年だ。

 そんな彼に、一つの転機が訪れる。

 そして彼がどう変わるか、あるいは変わらないか。

 そして彼の周りの物語は、動くのか動かないのか。

 彼らの世界に役割がある。

 狩るものと、狩られる者。

 彼はどちらでもある。時に追われ、時に追った。

 痛みは彼を苛むのだろうか。いずれ殺されることを恐怖と感じただろうか。

 何を見たのだろうか。何を感じたのだろうか。

 笑っていたのだろうか。

 それとも、泣いていたのか。

 彼の本心は、彼にしか知りえない。

 ただ確かなのは、皮肉と溜息、軽口に舌打ちが、彼は得意だった。

 彼は、名前に反して、黒色をよく好んでいた。

 これは、誰かに必要とされても、いずれ殺され、誰にも必要とされずとも、誰かを殺してしか生きていけぬ、彼らの物語である。


 一章



 とりあえず話が違う。

 白峰はそう思った。

 標的はただの人間に毛が生えたくらいのものだったはずなのだ。

 だというのに、

「――――チッ」

 舌打ち一つ。

 刀の刃を通さない肌を持っているというのは、大分了見が違う気がする。

「――おっと、どうやら命を狙われていたようだ」

 相手の男は軽口を叩く余裕があるようだ。

 白峰もそれに軽口で返す。

「――ああ、そのつもりだったんだけどよ」

 斬りつけた一撃が、相手の首を刎ね飛ばすことなく、肌に刃を止められたのだ。

 更に言えば、ここからの反撃で白峰は確実に命を落とすことだろう。

 軽口を叩く余裕などある筈がないのだが、それでも彼は軽口を止めない。

「大人しく退散させてもらう。殺せないんだったら、とどまる必要はねぇ」

 白峰は後ろに飛び退る。ここは逃げの一手だ。純粋な性能では勝てる相手ではない上、そう簡単に逃げ切れる相手でもない。

 戦うことは勿論論外だ。逃げるにしても相応に策を張らなければ、捕まって殺される。

 彼の後を追うように、黒いコートが閃く。脇目も振らず一直線に逃走する。

 それに追い縋るように、鬼種の男は迫ってくる。

「まったく……失敗したな、これは」

 人目につかないよう、狭い路地裏を選んだのが仇になった。脇道がほとんどない。

 その所為で白峰は、真っ直ぐに後退することしか出来ないのだから。

「速さでは、どうあってもわたし達には敵わないというのに」

 男の余裕の声が路地裏に響く。

 直ぐに男はこちらの背に追いついた。

 長身の男は、相応に長い腕を振り上げ――白峰の後頭部に、弾丸の如く拳を放った。

 間一髪、障壁魔法を完成させる。拳の衝撃に対し、踏ん張ることなく身体を流す。姿勢は崩さないまま、人外の膂力から放たれた拳の威力そのままに、逃げる方向へ吹き飛んだ。

「ほう、思考魔術とは恐れ入った。貴様、越種と思いきや、それなりの性能の魔種か」

 少しも恐れ入った風ではない口調で、鬼種の男は呟いた。

「しかし、最初の一撃は純粋に身体能力とその技巧によるもの――成る程、貴様もわたしと同じか」

 勢いが弱まった頃に、足を地面につけ、身体にブレーキをかける。そしてまた走り出す。

 止まっている暇は、白峰にない。

 白峰を追いかけながら、悠々と男は喋り続ける。

「越種と油断させ、寝首を掻く。随分と演技に自身があるようだが、まあ、それはお互い様だろうな」

「名演技だったろう?」

「なかなかのものだった。人狩りなんぞ辞めて、役者にでもなったらどうだ?」

「遠慮しよう。ろくなオチになりそうもない」

「確かに――な!」

 軽口を切り上げ、相手が動いた。

 再び男が距離をつめる。

「演技は一流、隠し玉も高評価だ――」

 こちらに向かって跳躍してきたのだ。

「――だが、隠していたものの差がいささか大きかったようだ」

「――まったくだ。地力の性能が違いすぎる」

 笑いながら白峰は駆ける。

 再び拳が放たれた。今度は真上から。威力を使って逃げることは、もう出来そうもない。

 咄嗟に、白峰は詠唱した。

「――嵐よ踊れ」

「ぬぅっ!?」

 暴風が吹き荒れ、男の身体を押し戻す。いくら鬼種と言えど、空中では、自身の体を押し戻す力に抗う術はなかった。

「音声魔術か! なかなかやるではないか、魔法使い!」

 魔種に対しての蔑称。

 哄笑と共に投げかけられるその名前。しかし白峰は薄く笑っただけである。

 そして今は逃げるだけである。

「生憎、それくらいしか出来る芸には恵まれてないんだがな」

 もっとも、軽口は忘れていないようだが。

 ――元来、魔種では鬼種に勝ち得ない。

 そもそもの話、標的は越種というのが寄越された情報だったのだ。この政府から発せら   れる情報は、人狩りを生業とするものにとって、重要な生命線である。

 その上で自身での調査も怠らなかった。それでも情報は彼を越種だと示していた。

 だが、それら全て、この男に巧妙に欺かれていただけのことだった。

 越種。

 人を超える身体能力を持つものの呼称。超越者。

 だが、彼らはそれ程の脅威ではない。あくまでも身体能力が高いだけであり、その耐久度は、人間のそれと大差ない。

 越種を狩るのは、多数の越種か、魔種である。

 魔種。

 越種の身体能力に併せ、自身から湧き出る尋常の物ではない力、魔力を糧に、魔法を発動するもの。魔法使い。

 そして鬼種。

 神気を纏い、魔法を弾き、刃を通さず、弾丸を払いのけ、人を潰し、そして人を食う、人でありながら、人の天敵。食人鬼。

 鬼種は魔法を弾く。のみならず、その身体は銃や刀では、そうそう傷つくこともなく、その膂力は簡単に人間の身体を引き裂けるほどなのだ。

 到底、魔種がどうこう出来る相手ではないのだ。

 全ては、神気と呼ばれる自然界の力を、己の肉体の性能の向上に使えるためだが、原理が解っていたとしても、どうにもならない。

 それを封じる術を白峰は持っていなかったからだ。

「……厄介だ」

 それが彼の簡潔な本音であり、恐らくは苛立ちの表れである。

 彼の刀では男の命は狩れそうもない。

「土よ阻め」

 白峰はまたも呟く。

 音声魔術。

 思考によって魔法を発動させる思考魔術とは違い、音声により魔法を発動させる技術である。

 土が地面を割って隆起し、瞬時に壁を作り上げる。

 更に思考魔術を展開し、土魔法を複製。何層もの壁を作り上げていく。

 だが、鬼種の男は苦もなくその壁を破壊し追いすがる。足止めにしても大した成果を上げてはいないように見えるが、じりじりと、距離が空いていく以上、少しは相手の足を遅く留めることに成功しているようだ。

「見事なものだ。小賢しい策ではあるが、巧いな」

 男が賞賛するような言葉を呟く。

 それに耳を貸さないまま、白峰は思考を巡らせる。魔術を奔らせ、魔法を起動し続ける。

 彼に鬼種を妥当する術はない。彼は自身を弱いと評価する。事実それは間違ってはいないのだ。

 ただし、それは彼自身の性能だ。

 倒せないわけではない。油断すれば、確かに叩き潰されて死ぬだけだ。

 だが、鬼種を倒せる倒せないで言えば――白峰は、鬼種を倒しえるのだ。それだけの切り札を持っている。

 それを白峰は切れない。切れない理由があるのだ。

「逃げ足の速さも一級品か?」

 男は壁を次々と砕き、迫ってくる。

「超一級に訂正しておけ」

 白峰はそれに構わず壁を作り続け――別の路地に入り込んだ。

 そして更に壁を構築。

 ただし今度はただの壁ではない。時間や空間、そういった一切の物から彼らを引き剥がし隔離する、所謂結界と呼ばれるものだった。

 最後の土壁が砕かれた。

「む?」

 男が怪訝そうな顔をし立ち止まり、合点がいったように、ニヤリと笑った。

「そうか、そういうことか。成る程、してやられた!」

 なにがそこまでおかしいのか、額に手をあて、男はくつくつと笑った。

「くくくっ、そうか、わざわざあのような足止めを使っていたのはわたしを誘い込むためか……。なかなか巧いぞ、そして面白い……! さぁ見せてみろ。このようなけったいな結界の中でしか使えぬような、お前の力を……!」

 男の科白に、白峰は口の端を吊り上げる。

 男の言葉通り、わざわざ小細工で時間を稼いだのは、この舞台を――彼の最高の牙を行使するために他ならない。

「――なら、よく見ておけ」

 不敵な笑みとともに、彼の魔力がその存在感を誇示するかのように、荒々しく渦巻いた。

 刀を地面に突き立てる。何も持たない右手を男へ向ける。

 白峰と男の間には六メートル程の距離。男なら一息で無しに出来る距離。音声魔術一つなら、簡単に行使できる距離。

 お互いに自分の間合いに敵は居る。なら、より速いほうが勝利する。

 直ぐに、白峰は口を開く。同じタイミングで、男は跳んだ。

 男の拳が、砲弾の速さと威力を引きつれ、白峰に突き刺さろうとする。

 白峰の言葉が――魔法の言葉が紡がれた。

「――――光よ爆ぜろ!」

 瞬間、光熱が荒れ狂い、人体の一つや二つ、苦もなく粉砕してしまえるような衝撃が、指向性を持って放たれた。男が閃光に呑まれ、吹き飛ばされる。白峰の結界に光は叩き付けられ、轟音を轟かせる。

 光熱魔法。

 魔力による爆発を操作する音声魔術。

 指向性を与えられた暴力的な爆発エネルギーの剣。規格外の閃光と高熱が大気を瞬時に沸騰させ、爆風の孕む衝撃波が牙を剥く。白峰の放ち得る、最強の一撃。

 余りにも高い破壊力故に、結界も何もない市街地で放てば、大規模な爆弾テロと大差ない惨劇を引き起こすことになってしまう。

「…………」

 熱と衝撃波により、蒸気と砂塵が結界の一部を覆い、男の姿を確認できない。

 先程の魔法の威力を考えれば、消し飛んでいても不思議ではない。

 だが、それでも白峰は警戒を緩めない。

 相手の性能は、自分より遥かに格上であることを、彼は忘れていなかった。

「――――っ、かはっ、はははははっ! なかなか、効いた、ぞ……魔法使い!」

 案の定、というべきだろうか。

 男の笑う声が、結界の中に響いた。

 しかし、その声とは裏腹に、男の姿はボロボロだった。

 頭からは酷い出血。頭蓋にひびが入り、その部分が露出している。左腕は表皮どころか骨の表面部分まで削げ、ほとんど役に立つようには見えない。

 だが、その胴体と目や鼻といった感覚器官。そして右手と両足には、目立ったダメージはないように見えた。

「流石に頑丈だな。まだ死なない」

「ああ。ここまで壊されたのは初めての経験だ。誇っていいぞ、魔法使い」

 そう、鬼種の男は深手だ。それでも、まだ一撃で白峰の頭を吹き飛ばせる。一撃でこちらの胸を貫ける。一撃で腹の内臓を叩き潰せる。

「――――チッ」

 白峰はしばらく動けない上、碌な魔法も使えない状態だ。

 当然、目の前で腕を掲げた男に、彼自身は何も抵抗することは出来なかった。

「楽しかった。貴様と殺しあえたことは幸運だった。さらばだ、魔法使い」

 鬼種に魔種は勝ち得ない。彼らにとって、今白峰が殺されるのは、当然の摂理だ。

 白峰は、無言で相手を見据え――ふっと口を緩めた。

「……ま、上出来の部類か」

「む?」

 男は再び怪訝そうな顔をするが――そのまま拳を握り、跳躍してきた。

 拳の軌道は真っ直ぐに胸。恐らく一撃で白峰の心臓と脊髄は、意味の無い血液と肉の塊に成り下がるだろう。

 薄く笑みを顔に貼り付けたまま、ゆっくりと白峰は身体の力を抜き――――同時に、彼の黒いコートが、まるで生き物のように蠢いた。

「っ!?」

 男は拳を引き戻し、後ろに跳び退る。

 先程まで男が居た場所に、多くの黒い牙が噛み合わされた。

「――チッ、勘のいいヤツだな、お前」

「なんだ、それは――――!?」

 男の驚きと戸惑い、恐怖がない交ぜになった声が、白峰に問う。

「なんなのだ、その魔法はっ!?」

「――便利だろう? 魔術っていうのはなかなか奥が深くてな。器用ならこういうモノも

創れるってワケだ」

 白峰は薄笑いを顔から剥がさず、静かに男へ語りかける。その足元に、黒い獣が居た。

 何匹もの黒い狼。

 彼の魔法だ。

「――――さぁ、喰い散らかせ」

 彼がそう言った瞬間、彼のコートから、さらに黒い獣達が溢れ出す。

「――くっ!」

 男が本能的に飛び退った。

 獅子、狼、熊、蛇、蜥蜴、鰐、虎、豹――――あらゆる肉食獣の影が、男に追い縋り、本物さながらに、凶暴な牙を剥く!

「っははは、ははははははははははっ! 凄まじいな! そして素晴らしい!」

 だが、男も腕を振るい、影たちをグシャグシャに引きちぎっていく。彼の剛腕に、黒い獣はいとも簡単に引き裂かれていく。

 引き裂かれ、動くこともままならなくなった獣達はするすると地面を滑るようにして、白峰のコートに戻っていく。

 それでも彼のコートから出てくる獣の数は変わらない。勢いは殺がれず、獣達は男の攻撃を恐れることなく、男を食い殺さんと襲い掛かる。

「ちぃっ! キリがないな……!」

「ああ、それも取り柄だ。粘り強いんだ、俺は」

 にやりと白峰が笑う。

 黒い獣は確実に男の体力を削っていく。このままなら、獣の牙は確実に男の喉笛を食い千切るだろう。だが、それは獣の牙が鬼種の肌を貫けるならだ。

 しかし、男の顔に浮かんでいるのは焦燥だった。

「この獣……侮るわけにもいかんか……!」

 弾き損ねた獣達の牙は、確かに男の皮膚を引き裂き、決して浅くない深さで筋肉を抉っていく。効いているのだ。魔法を容易に弾けるはずの鬼種に、白峰の魔法が。

 確かに、彼の今使っている魔法には、耐久力はない。だが、粗方の敵を食い殺せる攻撃力はあった。

 油断すれば、男は直ぐに食い殺されることを理解していた。だからこそ、消耗することが解っていても、魔法を弾き続けているのだ。

「くくっ、まんまと策に嵌ってしまったか……」

 それを理解しつつも、男もまた笑みを浮かべた。

「……あんた、この状況でよく笑ってられるな」

「なに、これでも学者なのだが、今日は得るものが多くてな。鬼種を罠に嵌めて削り殺す魔種も、鬼種を食い殺せるような魔法も、わたしは今日始めて目にしたのだよ」

 言葉を区切り、更に獣をなぎ払う剛腕を速くする。

「学者先生ねぇ……。道理で用心深いわけだ」

 白峰も、更に獣を送り出していく。

 突然、獣が大勢蹴散らされ、そして男が一気に飛び出してくる。

 見れば、さっきまでついていた、ボロボロの左腕がなかった。

「――なかなか楽しかったが、ここ辺りが潮時だ」

 静かな声だった。

 鬼種の男の科白に、白峰は舌打ちを返す。

「――チッ、妙に庇ってると思えば、そっちも策を張ってやがったな」

 男は片腕をあえて晒し、そこに集中した獣たちを一撃で吹き飛ばしたのだ。肉を切らせて骨を絶つ戦法。結果として、今、男の周りには、彼を足止め出来るほどの獣は居ない。

 男が跳躍し、右腕を振り上げる。

「――――光りよ爆ぜろ!」

 二発目の光熱魔法を放った。だが、無理やりに身体を横に回転し、避けられる。

 そのまま着地して回り込むように、三時方向から突っ込んでくる。

 出鱈目な機動で、出鱈目な早さだった。

 獣をけしかけても、一瞬で引き裂かれてしまい、勢いのついた男の足は、まったく止まる様子がない。

 もう光熱魔法は使えない。障壁魔法も間に合わない。

「まだまだ読みが浅いな、俺も」

 溜息一つ。

 白峰は目の前に突き立てた、刀の柄を握り――


 ――――その刹那、轟音が鳴り響いた――――


「!?」

 白峰の眼前を黒い極光が奔った。

 轟音の正体は、白峰の結界が破られた音だった。

「――なんだ?」

「どかどかどかどかと……人が気分良く寝ているというのに、喧しいぞ貴様ら!」

 見れば、一人の少女が宙に浮いていた。白装束に身を包み、苛立たしげに頭を振る。まだまだ小さい胸の前で腕を組み、怒り心頭と言った様子だった。

「まったくおちおち寝てもられんのじゃ! 妾の安らかな眠りを邪魔するでない!」

 長い白髪。側頭部から覗く角。大きな蝙蝠のような羽。長い尾。

 そういった要素が、彼女が何であるのかを雄弁に語っている。

「竜種か……」

 男の立っていた場所には、塵一つ残っていなかった。そこの見えない程の深さの、風穴が開けられていたのだ。

 竜種。

 最強の肉体をもつ、災害の如き種族。人間であるもののうち、もっとも危険である種。

 彼らは魔力で魔術を編み、魔法を放つことも、神気で肉体性能を底上げすることも出来ない。だが、彼らしか出来ない能力がある。

 再生。

 自身の肉体を任意に修復できる能力。これにより、彼らは大きく人間から逸脱した異形へと変化できる。故に最強なのだ。彼らは自身の都合のいいように、自分自身を作り変える。魔種も鬼種も、竜種には性能で追いつけない。

 彼らの一撃は、彼ら自身の細胞が生み出す奇跡なのだ。

 もっとも、今の白峰は彼女ではなく。彼女の開けた穴を凝視していた。

「なんてこった……」

「まったくじゃ! 妾はぐっすり寝ておったのじゃぞ!? 夢の中で、ご馳走を食べる直前だったのじゃぞ!?」

 何処かずれた愚痴を盛大に撒き散らす竜種の少女。

 しかし、

「五月蝿い」

 この男は動じない。

「う、五月蝿い、じゃと!? 貴様、妾に五月蝿いと申したのか!」

「ああ、その通りだ。あんまり暴れると近所迷惑だ。大穴開けるのもよろしくない」

「むぅ……」

「膨れんなよ……早く穴は隠したほうがいい。お偉い連中から、何言われるか判ったもんじゃない」

 ひらひらと手を振って、白峰はその場を後にしようとした。彼女とやりあうつもりもないし、この場にもう用はなかった。だから帰る。それだけだった。

 だが、それを良しとしないものが一人。

「待てぃ!」

「……なんだ?」

「貴様、それだけか……?」

「あ?」

「妾に侘びの一つくらい、申すのが筋であろう!」

「なんでだ?」

「なんで……? あ、あの馬鹿みたいに喧しい魔法は、貴様が撃ったのであろう? 一度ならず、二度も撃ちおって!」

「結界張っておいたんだがな」

「妾の耳は敏感なのじゃ!」

「知るかよ」

 何なんだコイツは、と白峰は呆れた。

 溜息を一つ吐き、また白峰は踵を返した。面倒ごとに付き合う気はさらさらないようだ。

「ええい、無視するでないわ!」

 少女が踵を返した白峰の目の前に降り立った。

 可愛らしいと表現していい顔には、今は不満げな表情が浮かんでいる。

「妾を誰と心得ておるのじゃ!」

「……どちら様で?」

 聞かないと目の前の少女の気が済みそうもないので、白峰は渋々彼女に合わせることにした。

「うむ。名乗るほどの名前はない!」

「…………」

「ちょっと言ってみたかったのじゃ!」

「……ああ、そうか。それじゃ俺は帰るぞ」

 白峰は今度こそ帰ろうと歩き出すが。

「ちょっと待て」

「…………なんだ」

「腹が減った。なにか食うものはないか?」

 じろりと白峰は少女を睨みつけた。

「悪いがそれはこっちの科白……って、ああ、なんだ。あるじゃねぇか」

「は?」

「食い物だよ。俺の目の前で、立って喋ってる」

「目の前? 立って、喋っておるのか? 食い物が?」

「ああ。とびきり上等なのが」

「ふむ……、どこにあるのじゃ? 見当たらんぞ?」

「お前だって」

「ふぇ?」

「だからお前。餌としては上等だ」

「な、なんじゃと!?」

「んじゃ、大人しくしてろよ」

「待て待て待て! 食べるってどういうことじゃ!? というかどういう意味じゃ!? とりあえず出会って直ぐに申すことではなかろう!?」

「服は邪魔だけど、まあいいか」

「待て! 待てと言うておるじゃろ!」

「待たない。我慢の限界ってヤツだからな」

「ななな、何を妾にするつもりじゃ!」

 白峰は刀に手をかけた。

「言葉通りだ」

 にっこりと笑みを浮かべ、

「――――さぁ、喰い散らかせ」

 言い放った。

 次の瞬間、コートから黒い獣が溢れ出す。

「なんじゃその畜生どもは!」

「さてな」

 次々と少女は、黒い獣を叩き潰していく。

「こんなものに食い殺されるほど、落ちぶれてはおらんぞ!」

「どうかねぇ……」

「どういう意味じゃっ!?」

「言葉通り。人生、何が起きるかわかったものじゃないってことだ」

 淡々と白峰は言葉を紡ぐ。

 その手に握られている刀を、地面から引き抜いた。

 漆黒の刀身は太陽の光を反射せず、まるでそこにだけ暗闇があるように見えた。

「ふっ!」

 呼吸一つ。

 少女に迫り、隙を突くように一閃。鉄板すら真っ二つにしてしまいそうな一撃。

「効くものか! 妾を侮るでないわ!」

 しかし、それを少女は竜の尾で受け止める。

「侮ってるのはどっちだか……」

「なっ!? ――っ、く、ぁああああああああああああああああああっ!?」

 突然、少女が悲鳴を上げる。

「き、貴様ぁあ! 妾の、妾の尾を……!」

 刀から血が滴る。刀から飛び出た獣の頭が、竜の尾に喰らいついたのだ。

 そのまま白峰は刀を振り、少女を放り投げる。

「ぐぅうっ! 痛いのじゃ!」

「喰うってんだから、痛いだろうよ」

「痛いのは嫌じゃーっ!」

 少女が拳を唸らせるが、

「甘いな」

 それを白峰は簡単に避け、その背中にむかって刀を振る。黒い刀身が膨張し、一匹の、大きな黒い獣が飛び出した。

「なんじゃと!?」

 その獣は狼に似ていた。だが、遠目から見ても狼と見間違うことはなかっただろう。

 長い尾を振るい、強靭な四肢は大地を蹴り上げ、その巨大な顎には、鋭い牙をズラリと並べ、物騒な爪は、獲物を引き裂きたいと震え、雄々しい角は天を突き、黒い鱗は光を呑み込み、黒い双眸は、貪欲で兇暴な衝動の仄暗さを湛えていた。

 確かにそれは歪な獣。それでもそこに身を躍らせたのは――

「――竜じゃと!?」

 振り返り、驚愕を浮かべる少女に、黒竜は迫った。

 にやりと白峰は笑みを浮かべる。

「ご名答だ」

 黒竜が顎を閉じる。

 少女の身体が食い千切られた。

 右腕と右肩は全部。右胸を少し。右わき腹には少し届かない。

「ぎっ! ――ぁああああぁああああああああああああああああああああああっっっ!」

 血があたりに飛び散る。

「い、ぅう……、っ、ぐっ、ぁあぁぁぁ……」

 少女の顔には痛みが渦巻いていた。

 そしてその瞳に、恐怖が宿っていた。

 ゴキゴキと骨などの硬いものを噛み砕きつつ、獣は再び少女へむかって駆け出す。

「ひっ!? ぃやぁああああああっ!」

 少女はがむしゃらに腕を振る。

 黒竜の頭が爆ぜた。呆気なく黒竜の体躯は無意味な屍骸と化した。

 そしてするすると刀に戻っていく。

 その刀を、白峰は鞘に納める。もう用が済んだと言わんばかりに、少女の横を通り過ぎようとするが、

「い、たい……痛い、のじゃ……!」

 足を、右腕と右上半身がボロボロになっている少女に掴まれてしまった。少女はここまで身体を壊された経験がないのか、涙目である。

「まあ治せるんだし我慢しろよ」

「痛いものは痛いんじゃっ! 痛いのは嫌いじゃー!」

 単純に痛かったらしい。

「俺はもう腹一杯だ。帰る」

「うむ? 妾の細腕一本で腹一杯とな?」

「燃費が良いんだ。少しの燃料でも十二分にもつ」

「そうか……いや、そうかではないな」

「ん?」

「初対面の妾にする仕打ちではないわーっ! 痛かったのじゃぞー! お腹も余計空いたのじゃぞー! 傷を治すともっともーっと空くんじゃぞー! どうしてくれるのじゃ!」

「どうするも何も……まあ、こっちは飯にありついた訳だが…………あー、あの男の死亡報告、確認してないけど何食わぬ顔で出せば問題ないか。それで金も少しはどうにか……よし、お兄さんが何か奢ってやろう」

「ほ、本当か!?」

「ああ」

「よし許す! 腕の一本や二本、どうってことないのじゃ!」

 簡単に許された。

 ちなみに白峰は経験で知っているが、竜種は基本的に面倒くさい種族である。ただ気の良い種族でもあるので、余程のことをしない限り害がないのだ。

 再生ができる彼らにとって、腕や足を食い千切られることは、痛いだけで、大して問題でもないらしい。むしろ白峰は、食い千切れるのかと感心されたことがある。

「ごっはん♪ ごっはん♪ おいしいごっはん♪」

「……さて、どこ行くか」


 ……


「ところで貴様、なんと申すのじゃ?」

「あ? ああ、言ってなかったな。白峰だ。そう呼べ」

「うむ。白峰じゃな。しかし、名前は白で、本人は真っ黒か。なんとも捻くれておるな」

「素材的にコートも刀も真っ黒になっちまうんだよ」

「なんじゃ、白峰の趣味ではないのか」

「お前な……まあいい。お前はなんて呼べばいい? 怪奇トカゲ幼女じゃダメだろ?」

「当たり前じゃ。どっからでてきたのじゃ、その名前。好きに呼ぶが良い。もとより、産まれてから真っ当な名前なんぞ、貰ったことが無いのじゃ。妾は忌み子じゃからな。ある程度育ってから身の振り方を知った。今の世ではそれも意味を成しそうもないがな」

「……お前はいつの時代の人間なんだ?」

「ざっと九十年前かの。妾の体内時計がそう言っておる。地面の中で眠っておる間に、随分世の中は変わっておるようじゃ」

「九十年、か……でかい戦争があったり、確かに世の中は、お前さんが生きていた時代か

らは、大分発展してるよ。この国も、外の世界も」

「……そうか。まあ、妾の出る幕はないようじゃな」

「出る幕だぁ?」

「うむ。忌み子ではあったが、役目があった。故に姫とも呼ばれておったのじゃ。もっとも、それ以上の名は与えられなんだがの」

「姫? お前がか?」

「なんじゃその目は!」

「いや、少しだけ合点がいくな。忌み子とか言いつつ、なんでそんな偉そうなな口調なのか、とか。ああ、道理でご大層な白装束なんか着てたのか」

「そうじゃった! あの着物は良い生地で造ってもらったのじゃぞ! よりによってあのように破きおって!」

「代わりの着物やったんだからいいだろ」

「良くないわ! そもそもこれは貴様の獣じゃろうが!」

「便利だろ? 着物の形にもなれるんだぜ?」

「便利どうこうの話ではないのじゃ!」

「わがままだな」

「白峰が服を破いたのが原因じゃろうが!」

「大人しく脱げばよかったのに」

「良くないわ! 淑女の肌を暴くとは、見下げた外道じゃな!」

「淑女ぉ?」

「な、なんじゃその目は!?」

「……はっ」

「なんじゃその態度はー! 明らかに馬鹿にしたであろー!」

「いいや? 大したもんだと思っただけだぞ?」

「うぬぬぬぬ……!」

「さて、早く飯食いに行こうぜ? 淑女サマ?」

「うぬぬぬぬぬぬぬぬ……! 頭撫でるでないわぁーーーーっ!」

「そうそう、結局どうするんだ?」

「無理やり話を変えるでない!」

「お前、なんて呼べばいいんだ? トカゲじゃダメなんだろ?」

「だから変えるでないわ! そしてダメに決まっておるじゃろうが!」

「ああ、それじゃ小さいしチビで――」

「――アホかぁ! そこらの犬ころだってもっとましな名付けをされるぞ! 妾は曲がりなりにも姫じゃぞ!? そんないい加減な名付けがまかり通ってなるものかー!」

「はいはい。んじゃ、もそっとマシな名前考えるか」

「やる気をださんか!」

「自分でも考えろよ」

「名前なんぞ縁がなくての。無理じゃ」

「面倒な」

「喧しいわ!」

「テキトーでいいか?」

「良くないわ!」

「じゃー黒姫で」

「ちょっとマテ。絶対に適当じゃったろ? 安直過ぎじゃ! 服が黒いからって黒姫は適当すぎじゃ! もう少し捻りを加えんか!」

「ブレスも黒いだろ」

「そういう問題ではないわ!」

「あんまり頭使いたくないんだ。魔法使ったから尚更な。だから決定。そもそも好きに呼べって言ってたしな」

「お、己……! ……はぁ。……まあ、チビよりはマシか」

「黒姫呼びでいいな?」

「……多々納得のいかん点も多いのじゃが……良かろう。妾のことは、黒姫と呼ぶが良いぞ……。まったく、とんでもない男に出くわしたもんじゃ……」

「こっちの科白だ」


 ……


 馬鹿なやりとりをしながら路地を抜け、目的地へ。

 黒姫が、怪訝そうに白峰に質問した。もう片腕を再生させている。

「なあ白峰」

「なんだ?」

「妾は食事を馳走になるのじゃよな?」

「そうだな。飯を食わせてやる」

「奢ると言ったのじゃから、大抵はどこかの店で食わすのじゃよな?」

「普通はそうだろうな」

「……目の前の建物は、料理店には見えぬのじゃが?」

「そうだな。アパートだな」

「しかも部屋に入ろうとしておらぬか?」

「そうだな。俺の部屋だからな」

「……なあ白峰」

「あ?」

「奢ってくれる話はどうなったのじゃ?」

 泣きそうな顔で黒姫は聞いてみた。

 「部屋でなにされるんじゃろう」と、内心ガタガタ震えていたが、黒姫は表に出さないよう頑張った。

 溜息一つ。

 白峰は言った。

「手料理で我慢しろ」

「あうぅぅ……」

「……多分不味くはない。……何とかなるとは言っても、結局金は余り無い」

「……良い。世の中は世知辛いものじゃ……」

 「とって喰われないだけマシじゃな」と黒姫の顔にでかでかと書いてあったが、白峰は華麗にスルーした。

 部屋の中に入って、黒姫は口を尖らせる

「狭いのぉ……」

「我慢しろ。貧乏だって言っただろうが」

 八畳の部屋。それが白峰の城である。

 黒姫は大人しく座布団に座って待っている。

「早くご飯をもてい!」

 訂正。

 バシバシちゃぶ台を叩いて白峰に催促している。

「待てよ」

 渋々ながら、白峰は冷蔵庫を漁り、レトルト食品を取り出していく。

 残念ながら、手料理といいつつもほとんどがレトルトである。白峰は料理……もとい、家事が得意ではない。日常生活に問題がない程度にこなしはするが、好きではないのだ。

 仕事で疲れている時は、料理する気力も湧かないのだから、レトルトで充分だった。

「ほら」

「うむ、大儀であった!」

 米以外レトルトの食事をちゃぶ台に並べていく。

 並べられていく食事に、黒姫は目を輝かせた。

「ほぉ……。こんな短時間でここまで準備するとは……」

「科学の力だな」

「素晴らしいのぅ、カガクとは!」

 目をキラキラさせながら、黒姫は手を合わせた。

「いただきますじゃ!」

 白峰も箸を持ち、茶碗を持つ。

「あむ、むぐ、んぐ、なかなか美味いの! コレを短時間で作れるのか!」

「ああ。便利な世の中だからな」

「久方ぶりのご飯は格別じゃな! 生き返った気がするのじゃ!」

「そりゃよかった」

「それに、誰かと食べるのは初めてじゃな! 妾は忌み子だった故、いつも一人で食べて

おったからの」

「ふぅん……」

「む? もう食い終わったのか」

「あんまりのんびり食う性質じゃないんだ」

「そうか」

 白峰は、懐からオイルライターを取り出し、煙草をくわえた。

「煙草か」

「煙草だ」

「吸うのか?」

「吸うからくわえてるんだ」

「妾が食事をしているのにか?」

「問題ないだろ」

「大有りじゃ。その臭いはどうも好かんのじゃ」

「我慢しろよ」

「嫌じゃ。白峰が我慢せい。そもそも、食事中にふかすものじゃあるまいに」

「……ったく、解ったよ」

 仕方なく、白峰は煙草とライターをしまった。

「それでよいのじゃ!」

 黒姫は食事を再開した。

 白峰は静かに書類を眺めている。

「何を見ておるのじゃ?」

「書類だよ」

「それは見れば判る。なんの書類かと問うておるのじゃ」

「仕事の書類。しっかり目を通さないと後で困るからな」

「成る程」

 「ごちそうさまじゃ」と食事を終えた黒姫は、じ〜っと書類に視線を注いでいる。

「……なんだ?」

「見せろ」

「お前が見てなにか変わるのか?」

「手伝ってやろうか?」

「その申し出はありがたいが、別にいらない。大概は格下しか殺さない。下手すれば殺されるような相手は御免だしな」

「ふむ」

「いつもは越種しか狙わないんだ。この間は何の手違いか、鬼種が越種の振りしていただけでな、お前が出る幕は、俺の仕事にはないぞ」

「……白峰の魔法なら、鬼種どころか、うまくやれば竜種も殺せそうじゃが?」

「悪目立ちはしたくない性分でな。それに、魔法の性能であって俺の性能じゃない。俺自身は、油断させてナイフでブスリでも簡単に死んじまうんだよ」

 事実である。彼の身体は、鬼種や竜種と比べれば、容易に壊せてしまえる脆い肉体でしかない。越種と同等の肉体と言うのは、それだけで相手に付け入る隙を大きく与えてしまうのが現実だった。

「なんじゃ、つれぬの」

「ガキが首突っ込むことでもないしな」

「なっ!」

「あと、お前飯食ったんならさっさと出て行け。約束は守ったぞ」

「また土の中で寝ろというのか!」

「誰もそんなこと言ってないだろうが」

「住処なんぞないわ!」

「はぁ?」

「貴様の魔法で目を覚ましたばかりじゃ。そんなものが有る道理が無かろう!」

「割に色々と見てきたような口調だった気がするが?」

「妾の耳や目はとても敏感なのじゃ! この世が妾の眠っている間に様変わりしおったのは直ぐに察しがついたのじゃ! 褒めても良いぞ!」

「褒めねーよ」

「そんなわけで妾に居場所は無いのじゃ!」

「そうか。んじゃ、箱に拾ってくださいとでも書いて、その中にちょこんと座ってれば、物好きな変態が拾っていってくれると思うぜ」

「貴様が妾を養うという発想は無いのか!」

「無いな。他人を養う余裕も理由もない」

「己貧乏! 貧しい生活とはここまで人の性格をへそ曲がりのロクデナシにしてしまうのか……!」

「そうだな、貧乏が全部悪い。ほら、さっさと出てけ」

 にべも無い態度に、黒姫は涙目になって縋り付く。

「うぅ……外に放り出さないで欲しいのじゃ……行くところも、寝るところもないのじゃよぉ……」

「土の中で寝てろよ」

「それが嫌だからこうして頼んでおるのじゃろうが!」

「頼んでたか?」

「頼んでおる!」

「頼んでるってことにしとくとして、で、俺にメリットは?」

「可憐な美少女と一緒に生活できるのじゃぞ!」

「はっ」

「鼻で笑うでないわ!」

「話にならないな」

「仕事の手伝いをしてやるのじゃ!」

「いらないってさっき言ったよな?」

「なら、家事洗濯を妾が……!」

「俺が自分でやる。お前を置いておく理由にはならないな」

「ええい、どうすればよいのじゃ!」

「どうしようもないな。さっさと出てけ」

「うぅぅ……いく宛てもない妾にかような仕打ち……あんまりじゃ」

「そうだな。酷いな。早く行け」

「鬼! 悪魔! 人でなし!」

「そんなヤツのところにいたいのか? 物好きだな」

「うぅうううううううううう!」

「それとも直接つまみだされたいのか?」

「……これだけは嫌だったが、仕方あるまい」

「あ?」

「そこいらの娼婦の真似事なぞ御免じゃが……致し方なかろう……」

「はっ」

「だから鼻で笑うなーっ! 必死なのじゃぞ!? か弱い乙女が自分の身のため、涙を零しつつもその身を捧げようとしているのじゃぞ!? 同情こそすれ、笑う奴があるかー!」

「お前なんかじゃ、ぴくりともしねーよ」

「うぬぬぬぬ〜……! なら、これでどうじゃぁ!」

 突然、黒姫の身長が伸びていく。それに比例していくかのように、手足もスラリと伸びていき、身体も女性らしい丸みを帯びていく。

「ど、どうじゃ……!」

 そこに、黒いサイズの小さい着物を身にまとった、絶世の美女が居た。

 少し乱れた長い白髪と、着崩れた着物。その前から覗く白い肌が、なんとも色っぽい。

「これでもピクリともせんか!」

「しないな」

「ぬぅっ……こ、これでもかぁ!」

 黒姫はさらに着物をはだけさせる。大きくはだけた胸元の谷間が魅力的だ。

 顔を真っ赤にしつつも、家に置いてもらおうと必死である。

 だが白峰は何事もないかのように、

「さっさと出て行ってくれないか?」

「ぐぬぬぬぬ……っ! これなら、どうじゃ!」

 遂に帯を解いて着物の前を完全にはだけさせた。もとより小さい着物が、肩までずり下がり、黒姫の潤んだ瞳とあいあまって、凶悪な艶やかさをかもしだしている。

 しかし白峰は、

「……で? 荷物は纏めたか?」

「あぅう……、お願いじゃぁ、この部屋の住まわせて欲しいのじゃぁ……本当に行く場所も何もないんじゃよぉ……。……ここまでさせておいて、放り出すなんて、あんまり過ぎるのじゃぁ……」

 黒姫は涙目で白峰に縋り付く。ちなみに服ははだけたままである。お陰様で白峰に柔らかい感触が押し当てられているが、当の彼は眉をひそめるだけである。

「お願いじゃ、お願いじゃぁ……なんだってする、なんでも言うことを聞くからぁ……」

「泣くなよ……」

「泣いてないのじゃぁ……」

「…………ったく。……判ったよ」

「ふぇ?」

 何を言われたのか判らないといった表情で、黒姫は白峰を見た。涙目ではなく、本当に泣いていたので、くすんくすんと鼻を鳴らしている。

「家に置いといてやる。だが、自分で言ったとおに、俺には絶対服従だ。判ったな? あと、みっともないから涙を早く拭け」

「う、うむ!」

「だから涙拭け。あとくっつくな」

「な、泣いとらん! 泣いとらんぞ!」

「……ああそうかい」

 白峰はため息をついた。

 この男、裸には動じなかったくせに涙には弱いようである。

 かくして、一人の魔種の青年と、竜種の少女の共同生活が始まったのであった。


 第二章



 さて、人狩りと言うのは探偵と大差ない職業である。地道な調査が必要だが、それも白峰の場合は黒い獣に任せてしまっている。

「なあ白峰」

「あ?」

「暇じゃ」

「俺も大分暇だが、お前の相手をする余裕はないな」

「むぅ……」

「まあ大人しくしてろ。仕事になったって、お前が暇なのは変わらないだろ」

「判っておるのじゃが……暇なものは暇なのじゃ!」

 そう言って、ぴょんと黒姫は白峰に抱きついた。

「構え!」

「嫌だって言ってるだろうが」

 本当に嫌そうな顔をしつつも、白峰は黒姫の頭を撫でてやる。なんだかんだで暮らし始めてから態度が軟化している。

 白峰、と同居して一ヶ月近く。黒姫は彼が基本的には優しい人間であると理解した。彼女は今は、最初の少女の姿である。白峰曰く、「その方が場所をとらない」かららしいが、真偽は不明である。

「あふぅ……」

「なんだ、眠いのか?」

「ん……そんなことはないぞ」

「眠いんだったら寝てろ。どうせお前の出番はないだろ」

「冷たいの」

「気を遣ってるんだぞ?」

「真かのぉ……」

「……まあいい」

 そんな会話をしている折だった。


 ピンポーン


「ん?」

「客人かの?」

「いや、人を呼んだ覚えは無いんだが……」

 白峰は立ち上がり、インターホンで受け答えをする。

「どちら様――」

『――師匠ー! わたしです! わたしですよー!』

 ……インターホンから湧き出すあまり聞きたくは無い少女の声に、白峰は顔をしかめた。 

「新手の詐欺は結構だが?」

『何言ってるんですか師匠! わたしです! 黒峰ですよー!』

「…………」

 白峰は無言で自分の黒い獣達に命じた。

 「摘み出せ」と。

『あれ? 師匠のところのわんちゃん? え? あ、あの、何で服引っ張るの? あれ? ちょっと? うわカラス? これも師匠の……うわぁあ! 襟掴まないで――って蛇!? わ! え! ちょっ、その長い牙で何を――きゃああああ!』

 インターホンから少女の悲鳴が木霊する。

「安心しろ、麻痺するだけだ」

『あがががが……』

「家で大人しくしていろ」

『ああああああんんんんままままりりりりりりででですすすすすすすすす……!』

「ふぅ……」

 一息つく。

「……お前、なんでそんな震えてるんだ?」

「……白峰、おぬし、やはり怖いの……」

「はぁ?」

「なんでもないのじゃ……」

 かたかたと震える黒姫の顔には、はっきりと「白峰コワイ」と書かれていたが、白峰はスルーすることにした。

「け、結局誰だったのじゃ?」

「ああ、なんか前から異様に懐いてくる魔種の子供。まあ、確か今は、高校生くらいだったか?」

「なんで追い出したのじゃ?」

「うざい」

「そ、それだけなのか?」

 黒姫の顔が引きつった。

「具体的に言えば、魔法を教えろ教えろしつこい」

「教えてやればよかろう。減るもんでもあるまいし」

「減るんだよ。誰が好き好んで敵対している連中に情報を流すか」

「敵対?」

「俺は人狩り。今追っ払ったのはターゲット。つまり犯罪者側。オーケイ?」

「成る程の」

「それに、魔術や魔法は秘匿してこそ意味がある。互換性を必要とするのは科学だけで充分なんだよ」

 よく判らないといった表情で、黒姫は首をかしげた。

「なんでじゃ? 白峰が教えてくれた分には、カガクは、様々な情報を統合して体系化したからこそ、発展してきたのじゃろう?」

 ちなみに黒姫が知りたいとねだるので、白峰は色々なことを彼女に教え込んでいる。

「……魔力ってのはとても複雑な要素だ。魔術や魔法に対する適性は人それぞれ。一見ランダムにしか見えないが、恐らくは何らかの法則が存在する」

「ならば……」

「だが法則が見つかったとしても、それは所詮個人の才能でしかない。普遍的な法則は結局、在ったからといって、無い者に何かを与えてくれるわけじゃない」

「うむ……? つまり、解明できても再現は出来ぬという訳か? 魔術や魔法は、結局、個人の魔力頼みと言うわけか?」

「ああ。そんなものを統合して体系化して、法則を見つけても、なんにもならん。もっと大きな、そう……根源の法則のようなものを見つければ話は別なんだろうが、それは恐らく人間ではどうすることも出来ない領域の話だ」

「むぅ……難しいな」

「さっきと大差ない。大元の理屈が解ってても、俺達は手の出しようがないってことだ」

「成る程」

「で、逆に人間の手でどうにか出来る範疇なら……」

「……対策も出来るし、再現も可能と言うわけか!」

「そういう訳だ。魔種の使ってる魔術や魔法は、元から使えるモノと、理屈から作ったモノがある、理屈から作れる……つまり俺達の手に負えちまう類のモノは、必然的に対策が作れちまう代物ってワケだ」

「おお……!」

「……なんだよ」

「なんだか白峰が頭がいいように見えるのじゃ……!」

「生憎、俺は元から頭はいいんだよ」

「ん? しかし魔力は不確定な要素ではないのか?」

「いくら不確定といっても、類似点くらいは有るんだろうな。同じような特性の魔力なら、理屈さえあれば、似たものなら作り出せる。特に魔術の理屈からなら、な」

「ううむ……魔種は何かと面倒じゃの」

「本能的に共通の技能を持っているといっても、その応用に幾つもの手続きが必要な以上、その応用には幾らでも亜流が生まれちまう。お前らみたいに単一の効果ってわけじゃないからな、魔力ってのは」

「竜種や鬼種は再生と神気だけじゃしのぉ……」

「解りやすいよな。ま、俺達の方も最低限の法則モドキはあるが」

「魔術と魔法か?」

「ああ」

「……ううむ」

「難しいか?」

「難しいの」

「そうか」

「そうじゃ」

 「むぅ」と顔をしかめている、黒姫の頭に、ぽんぽんと白峰は手を置いた。

「おいおい覚えて行けばいい。何かの役に立つかもしれないしな」

「うぅ〜、子ども扱いするでない!」

「婆扱いよりはマシだろ?」

「淑女扱いせい!」

「そんななりで言う科白じゃないだろ……。……まあ、いいか。……頑張って覚えろ、淑女サマよ」

「結局子ども扱いじゃー!」

 ぷんすかと怒る黒姫に笑いかけ、白峰は横になった。

「なんじゃ、寝るのか?」

「あのガキ、余計な魔力使わせやがった……。指の一本でも貰っていってやりたいが、流石に後々面倒ごとになる。大人しく寝て休むさ」

「お疲れ様じゃ」

 今度は逆に黒姫が白峰の頭を撫でる。

「…………」

「ふふん、文句は言わせんぞ?」

「言わねーよ」

 少しだけ憮然としながら、白峰は目を閉じた。


 ……


 わたしの名は黒峰直美。十六歳。

 通称、まじかるあさしんナオミです。

 カッコイイ二つ名はあるけど、まだまだ駆け出しの新米構成員です。

 そんなわたしには一つ悩みがあります。

「うう、師匠酷いです……」

 とある男性に対しての悩みです。

 その男性は、黒コートに黒い刀。少し癖のある黒髪に、見つめるだけで相手の全部を探り出してしまうような、真っ黒の鋭い目。

 黒黒黒な外見に反して、白峰直樹と言う名の、人狩りさんです。

 彼との出会いはおおよそ二ヶ月前。

 組織に刃向かう魔種を殺せと命じられたときでした。

 わたしはこの歳でその実力を認められ、敵の抹殺と言う大役を命ぜられたのです……!

 でも、わたしは尻込みをしていました。

 倒せる自信はあった。でも殺せる自信は無かったのです。

 わたしは弱虫だったのです。

 それでもやらないと死んでしまうのはわたしで、わたしは、自分が死んでしまうのは嫌でした……。

 任務当日。路地裏で、抹殺対象をわたしは後一歩で倒せるところまで追い詰めました。でも、わたしは最後の最後で躊躇いました。

 殺すのが怖くなって、躊躇ってしまったのです。

 そして敵の魔種はその躊躇を見逃しはしなかったのです。

 あっという間に、わたしは敵に殺されそうになりました。

 怖かったです。自分が死ぬのが怖かったのです。

 殺すのも、死ぬのも、どちらも、とても怖いことでした。

 わたしは自分の弱虫のせいで死ぬんだと――殺されると思いました。

 そこに颯爽と現れたのが、師匠――白峰直樹でした。

 彼は黒い獣を目の前の魔種に襲わせた。黒い獣は、一瞬で魔種を引き裂いて、食べてしまいました。

 わたしは見とれていました。

 彼に見とれていました。

 淡々と獣を操り、魔種を喰らった彼が、とても綺麗なモノの様な気がしました。

「……失せな。お前には用はない」

 彼はそうとだけ言って、また食べられている魔種に目を移しました。

「あ、あの!」

 へたり込んだまま、わたしは彼に声をかけました。

「なんだ?」

「あ、ありがとうございます。その、助けて、くれて」

「…………別にいい。お前のところの爺さんから、譲るっつわれたから、貰っただけだ」

「え……?」

 彼の言葉を、わたしは理解できなませんでした。

「どう、いう……」

「文字通り、言葉通りだ。あの爺さんはお前が殺せないことを判ってて仕事を与えた。で、俺はその都合のいい尻拭いの要員ってワケだ」

「そんな……」

「能力は確かに認められてたんだろうよ。だが、心構えはなっちゃいないとも判ってた。だから、こうやって教え込んだわけだ」

「う、あ……それ、じゃ、わたしは……」

「ああ、まだまだ甘いな。この世界で生きていくには、随分脆い」

「…………」

 彼の一言一言が、胸に突き刺さりました。

 わたしは認められていたわけじゃありませんでした。いや、能力だけは認められていたのでしょう。彼の言うとおり、殺されはしないと思われていたのでしょう。

 でも、殺せるとは、任務を遂行するとは、思われていませんでした。

「まあ、見所自体はあるんだろうよ」

「え?」

 彼の声に、俯けていた顔を上げました。

「見所無しなら簡単に使い潰すだろ、あの爺さんなら。生かしてるって事は、見所有るから育て上げるってことだろうな」

「!」

 それって――

「期待はされてる。ならそれに応えれば、この世界でも生きていける」

「……あ」

「まあ、せいぜい頑張ることだな」

 気付けば、魔種は完全に黒い獣に食べられていました。骨の一欠片も残さず、地面に広がる血溜まりだけが、かつての存在の証明。

 黒い獣は彼のコートの裾にじゃれつく様に触れ、次の瞬間はコートの中で蠢く黒い影の一つに戻りました。

 路地裏に、生ぬるく湿った空気と、血生臭さだけを残して、静けさが戻っていました。

 踵を返して帰ろうとする青年に、またわたしは声をかけます。

「あの!」

「……今度は何だ?」

「ま、魔法、教えてくれませんか!?」

「はぁ?」

「あ、あ、あなたみたいな、魔法を使えれば、わ、わた、わたしもっ、わたしも、覚悟を決められると、思うんです……!」

 彼の使ってる魔法。

 黒い獣の魔法。

 人を食い殺す魔法。

 それを覚えること。

 つまり――

「……教えて、ください」

 ――人を、食い殺す術を、身につけること。今度こそ、殺せる心を身につけること。

 わたしは生きたいです。

 だから、覚悟が欲しいのです。

 だから、だから――

「――お願いします、師匠っ!」

「嫌だ」

「えぇっ!?」

「名前も知らない奴を、弟子にとるつもりは無いな」

「黒峰直美って言います!」

「…………」

「あのっ、師匠のお名前は?」

「……白峰直樹」

「白峰直樹師匠! 魔法を教えてください!」

「嫌だ」

「お願いします!」

「メリットがない」

「なんでもします!」

「興味ないな」

「身体差し出します!」

「ガキが調子に乗るな」

「真剣です!」

「どうでもいい」

「情報を渡します!」

「いらないな」

「人狩りさんですよね? 敵であるわたし達の情報が欲しくないんですか!?」

「……お前な」

「はい」

「じゃあなんで敵のお前に魔法を教えなきゃいけないんだよ」

「あう!?」

「ほら、とっととどっか行け」

「うううう……諦めませんよぉ!」

「大人しく諦めろ」

「絶対、絶対諦めませんからぁああああああああああ!」

 その日から、わたしは敵であるあの人を師匠と呼んでいるのです。

 だというのに、

「うぅ……ぜんぜん魔法を教えてくれません……」

 いろいろな手を尽くしても、全然構って……コホン、魔法を教えてくれません。

 そりゃまあ、敵に魔法を教えるのが良くないっていうのは判りますよ?

 でもです! こんなに頼んでるんだから、ちょっとくらい教えてくれても良い筈です!

「やっぱりケチです!」

 なにも神経毒で麻痺させて自宅に縛り付けることは無いと思うのです!

 ……やっぱり、師匠は胸の大きい女性にしか興味は無いのでしょうか? それなら、色仕掛けがまったく通用しないのも頷けます……。



 ……


「Zzz……」

「白峰ー!」

「Zzzz……、Zzz……」

「白峰白峰白峰ー!」

「Zzzz……、Zzz……、Zzz……」

「お・き・ろーーーーっっっ!」

「ぐぶっ!?」

「起きたか? 起きたのか? おはようじゃ白峰! 妾が直々に起こしてやったのじゃ、喜び勇んで飛び起きるが良いぞー!」

「おは、ようじゃ、ね、ぇ……早く、どけ……!」

「む? おお、すまぬの!」

「ごほっ、ごほっ! あー、くそっ。とんだ目覚ましだ……」

「す、すまぬ、痛かったか?」

「ああ大分――な!」

「ぬごぉっ!? い、痛ーーーーーー!?」

「そのくらい痛かったんだ。腹に頭から飛び込むのはもうやめろ」

「う、うむ、判った。よーく判ったのじゃ。だから拳を構えるのをやめて欲しいのじゃ、あれは一発で充分じゃ!」

「反省したか?」

「猛省しておる!」

「よし」

「……うぅ、痛いのじゃ」

「……泣くな」

「今日はお休みだから、白峰と一緒に出かけたかったのじゃ……悪気はなかったのじゃ」

「…………はぁ」

「……本当に、ごめんなさいなのじゃ」

「……今度からは、もっと穏やかに起こせ」

「あぅ……」

「出来れば寝かせておいては欲しいが……どうしてもっていうなら起きてやる。だから、もっと優しく起こせ。……いいな?」

「う、うむ!」

「よし」

「あ、頭を撫でるでないわーっ!」

「嫌か?」

「い、嫌ではないが……子供扱いはしてほしくないのじゃ!」

「そうかよ。それじゃ」

「む……」

「これでどうだ?」

「……膝の上も、充分子供扱いじゃっ」

「ダメか」

「むぅう……。大人扱いせよと言っておるのじゃぞ? なんかこう、あるのでないか?」

「何がだよ」

「その、大人な愛しかたとでも申せばいいのか……」

「……ベッドにでも引きずり込めってか?」

「そ、そそそそんなことは申しておらんわ!」

「じゃあ何すればいいんだよ」

「し、知らん! 妾に聞くでないわ!」

「おいおい……」

「と、とにかく、もう少しマシな扱いを要求するのじゃ! 子供扱い禁止じゃ!」

「じゃあ膝から降りるか? 子供扱いはいやなんだろ?」

「う……」

「ん? 降りないのか? ほら」

「え? ぁ…………うむ……」

「……なんで膝の上でもぞもぞしてるんだ?」

「うぐぅっ!? け、決して名残惜しいワケではないぞ!」

「……ああ、そうかい」

「ええい、いいから着替えるのじゃ! 今日は一緒にあーそーぶーのーじゃーっ!」

「判った判った……判ったから、あまり俺の膝の上で暴れるな」


 ……


 黒姫の駄々をこねる攻撃!

 白峰は渋々黒姫を遊園地に連れて行った!

「なあ、黒姫」

「なんじゃ、白峰?」

「俺は大人しく下で待っているって言ったよな?」

「言っておったな」

「……じゃあなんで、俺は今こうして、お前と一緒にジェットコースターで強風に煽られ

ているわけだ?」

「一人で乗っても詰まらんじゃろ! 二人で乗ったほうが絶対に楽しいからな!」

 強風が二人の顔に吹き付ける。

 そんな中でもギリギリ人中の二人組みは平然と会話する。

「……白峰、いやだったか?」

 少し不安げな表情で黒姫が白峰の顔を覗き込む。

「…………楽しいさ」

 実際、財布の中身が少し不安を誘うが、仕事を増やせば困るわけでもないので、白峰は黙っていることにした。

 黒姫は白峰の答えに満足そうに頷いた後、楽しくてしかたない様な笑顔で喋り始めた。

「こういうのは乗ったことが無くてな! テレビでは見たが、妾の時代には無かったからの! この時代に目覚めなければ知ることもなかった代物じゃの!」

 ちなみに、今の黒姫は大人バージョンである。

「ありがとうじゃ、白峰!」

「なんだ唐突に」

「白峰が起こしてくれないければ、この世を見ることもなく眠ったままであったろうからな! 起こされた時には面白くなかったが、こうやって世界を見れたことは幸せじゃ! それもコレも、白峰のお陰じゃ! 礼の一つや二つ、素直に受け取ってくれんかのぉ」

「礼を言うなら金をくれ」

「身体で払ってやろうか?」

「……はぁ、勝手にしろ」

 轟々と風が唸る中、この二人はどこまでもいつも通りだった。

 程なくして、ジェットコースターは停止した。

「白峰!」

「判った判った」

 テンションが上がりっぱなしの黒姫に手を引かれ、苦笑しながら白峰も、次のアトラクションに引きずられていった。


 ……


「あ」

「む?」

 白峰の足がピタリと止まった。

「どうしたのじゃ? 白峰?」

「…………」

 しかし無言。微塵も揺るがさず視線を注いでいるのは――

「――久しぶりね、直樹」

 一人の、綺麗な青い髪の女性だった。

 穏やかな表情で、少しだけ嬉しそうに笑う女性に、白峰も少しだけ笑った。

「――お久しぶりです、瑠璃さん」 

「むぅ? 知り合いか?」

 黒姫は一人だけ首を傾げていた。

「あら、直樹にも彼女が出来たの? いいことじゃない」

「ただの居候ですよ」

 白峰の事実の言葉!

 黒姫にこうかはばつぐんだ!

「は、反論できんのが辛いのじゃ……」

 よよよと落ち込む黒姫には目もくれず、白峰は瑠璃と会話を続ける。

「それじゃ、何にもないの?」

「まだないですよ」

「ふぅん……まだ、ねぇ?」

「若いんで、人生この先何あるかわかりませんから」 

「面白くないわねー、その受け答え」

「もう成人してますから」

「そう言えば、二十歳過ぎてるのよね。道理で雰囲気が落ち着いたわけね」

「……そういう瑠璃さんは、初対面からまったく変わってませんね」

「そりゃそうよ、世界一の魔法使いが、そうそう衰えてちゃたまらないわ」

 魔法使い。

 魔種に対する蔑称だが、彼女はよく好んでその名を使う。もっとも――

「言葉通りなのが質悪いんですよ、瑠璃さんは」

「えー、そう? まあいいじゃない。ところで白峰」

 瑠璃の表情が、笑顔から、少しだけ真剣な表情に切り替わった。

「はい」

「宿題、ちゃんとやっておいた?」

「……ええ。随分と無理難題でしたけど。あれ、視てきたから言い出したんですか?」

「まあねー。完成してなかったら、大分不味いことになるわよ、あんた」

「完成させましたよ。どうせそんなことだろうと思いましたから」

「おおー、流石じゃない」

「先生と別れてずっと研究して、ついこの間やっと出来上がりましたから」

「いいじゃないの。あれ、本来五十年くらいかかるものなんだから」

「……なんでしょう、理不尽だって判ってるのに、何故か少し納得のいく自分がいます」

 その言葉に、瑠璃は明るく笑った。

「あははっ! そうかそうか! まあ、ちゃんと直樹も、人狩りになってるってワケね。良いことだわ。っと、そろそろわたしはお暇するわ。あんまりデートを邪魔するの、良くないだろうしねー」

 そう言うと、彼女は手をひらひらと振って、雑踏の中へ進んでいく。

「じゃあね。彼女さんも、直樹によろしくしてやってねー!」

 最後にそうとだけ言って、雑踏の中に彼女は消えた。

 あれだけ目立ちそうな青い髪は、もうどこにも見当たらない。

 白峰は苦笑しつつ頭を下げ、黒姫はポカンとしながら、彼女の消えた雑踏に視線を向けていた。

「なあ、白峰」

「あ?」

「さっきの瑠璃という魔種…………白峰とはどういう関係なのじゃ?」

「師匠と弟子……か?」

「何故疑問系なのじゃ?」

「俺もよく判らないってことだ」

「白峰の師匠なら、恐ろしく強いのじゃろうな」

「ああ、本当に最強だ。あの人は」

「最強? 魔種がか?」

「……なあ、なんで魔種がお前らより弱いと思う?」

「うん?」

「肉体の性能はお世辞にもいいとは言えない。それは確かだ。だけどな、魔法の性能はどうだ?」

「むぅ……」

「それも出力の問題で竜種どころか鬼種にすら有効打にならないことも多い。だが、出力さえ上げてやれば……」

「確かに、妾達を滅ぼせるやもしれんのう」

「なら、もし魔法の源である魔力を、無限に引き出して使えるとしたら?」

「……妾なぞ、相手にならぬかもじゃな。しかし……そんなことがあり得るのか?」

「あり得るんだよ、あの人の存在がその証明だ。確かに魔種――だけどあまりにも特異だ。だからあの人は魔種とは別分類だ」

「なんという種なのじゃ?」

「零種だ」

「零……?」

「欠けることのない完全な魔力。それは完全な零と同じ意味だ。あの人の魔法に限界はない。あの人に出来ないことは何もない。死にたくないなら、あの人には逆らわないほうがいい。多分、その気になったら世界一つ作り出しちまうぞ」

「むぅう……?」

「まあ、無理に覚えなくてもいいんだが」

「そうするわい。妾の頭がパンクしそうじゃ」

 やれやれと言った表情で、黒姫は肩をすくめた。

「ところで白峰」

「ん?」

「あの菓子を所望するのじゃ! 早速買って食べるのじゃ!」

「はいはい」


 ……


「白峰ー」

「ん?」

「疲れたのじゃ」

「奇遇だな、俺もだ」

「そろそろ帰って休むのじゃ」

「ああ、そうだな」

 遊園地を出る。

 楽しげな雑踏が遠のく。

 二人で帰路に着く。

 いつもの部屋への道を歩む。

 もう日はほとんど地平に沈みかけ、真っ赤な光を町に投げかける。

「今日は楽しかったのじゃ。……すまぬの、疲れてる時に休ませてやらずにの」

「なんだ、やけに素直に謝る」

「妾も素直に謝ることくらいあるわ。ま、夕焼けが綺麗だから、それのついでじゃよ」

「洒落た言い回しのつもりか?」

「そんなつもりもないの」

「そうか」

「そうじゃ」

 いつも通りになった他愛のない会話をし、ふと白峰は立ち止まった。

「どうしたのじゃ?」

「いや、こうやって話しながら歩くのに、随分慣れたもんだと思ってな」

「むぅ?」

「……俺もガラに似合わず感傷的になるって話だよ」

「本当に似合わんの」

 からからと笑う黒姫と一緒に、白峰も口角を上げた。

「まったくだ」

 影が黒く長く伸びている。

「なあ、黒姫」

「なんじゃ? 白峰」

「多分だが、お前は馬鹿だ」

「なんじゃ出し抜けに。失礼な奴じゃな」

「いや、絶対に馬鹿だ」

「……本当に失礼じゃな」

「むくれるなよ」

「むくれるわい。まったく」

「…………そのまんまで居てくれ」

「む?」

「意味は自分で考えろ」

「むぅ?」

「ほら、さっさと帰るぞ」

「……うむ」


 ……


 白峰は出かけた。

 本人曰く仕事らしい。結果的に、家には黒姫一人である。

「…………暇じゃ」

 勿論この遊びたい盛りが、なんの娯楽もない家で、ただ一人留守番など、出来るはずもないのだが。

「暇じゃ暇じゃ暇じゃ暇じゃひーまーじゃぁあああああああっ!」

 彼女にとっては幸いな事に、防音性の高い壁は、騒音を隣近所に伝えることもなく、無言で拳骨を落とす同居人も、今は不在だった。

 どたどたと黒姫は狭い部屋の中を走り回る。しかし彼女の鬱憤は晴れそうもない。

「なにもやることがないのじゃー!」

 どたどた!

「暇すぎて死ねるのじゃー!」

 どたどたどた!

「あーそーびーたーいーのーじゃー!」

 どたどたどたどた!

 声を嗄らしても、思いっきり走っても、文句も言われない替わりに面白くもない。疲れただけである。

「ぅうう……」

 唸ってもどうにもならない。

 今の時間帯はテレビもロクな番組がない。

 寝ることが趣味の白峰の部屋には、本もネットも、室内の娯楽と言うものがまるきり欠けているのである。それでも、普段は彼が教えてくれる魔術や魔法の話があった。

 むしろ彼と一緒に居るだけでも、黒姫は、彼女にもよく判らない満足感を感じていた。

「……静かなのは、嫌いじゃと言うのに」

 することもなく、静寂の中に居ることは、随分昔のことを黒姫に思い出させる。

 眠りに着く前の日常を思い出す。

 することもなく、ただただ静かで、それでも息の詰まりそうな緊張感と敵意があった。

 彼女は、彼女の居場所が酷く苦手だった。

 そもそも、あそこが彼女の居場所だったのか、それすらも怪しい。

 あの頃は外の世界を持ち前の鋭敏な感覚で見て、聞いた。

 眠りに着く前にしたように、またそうすれば、少しは退屈は紛れるのだろうが……黒姫は、それをする気にはならなかった。

 何故か、それをしてしまえば、昔と同じく、ひとりぼっちになってしまう気がした。

「どうすることも出来んの」

 失笑。

 彼女に外に出かけるという選択肢はない。

 鍵を渡されていないので、戸締りが出来ないのも理由だが、彼が帰ってくるのを出迎えたいというのが、一番の理由である。

 いっそ、彼のように布団に包まるか?

 いや、彼とはいつも別の布団に寝ているから、彼の布団で寝てやろうか?

「そうじゃ、そうしよう!」

 ついでに彼が洗濯をさぼっていたワイシャツを寝巻き代わりにしてやろう。

 そうすれば黒姫は彼と一緒に寝ているように感じられるかもしれない。

 何故そんなことをしたいのか、答えこそ持っていないが、彼女には、それが、とてもとても魅力的に思えた。

「〜♪」

 鼻歌交じりに、着物を脱ぐ。

 着物はするすると黒い子猫の形になって、不思議そうに小首をかしげた。

「お主はそこで昼寝でもしておれ」

 言葉がわかったのか、黒猫はとことこと埃っぽい部屋の、窓際の日向に陣取り、大きく欠伸をし、心地良さ気に丸くなった。

 黒姫は下着を着ていない。

 眠りに着く前から与えられていない上、白峰も買い与えていなかった。

 誰もその状況に何も言わなかったのである。

 黒姫自身、他人に肌を見せることを恥ずかしいとは思っているが、普段は着物でしっかりカバー出来ているし、特に問題ないと思っている。

 白い裸身を外気に晒し、少しだけ体を震わせた後、黒姫は白峰のワイシャツを羽織った。

 本当にただ羽織っただけで、ボタンもロクに閉めていない。

 そして彼の布団を引っ張り出し、それに潜り込む。

 彼の匂いと、残っている暖かさに包まれている気がして、黒姫は嬉しく感じた。

 やはり、その理由は解らなかったが。

「……一人では寒いのじゃから、一緒に寝るくらい良かろうに、まったく」

 少しだけ文句を呟く。

「まったく、ピクリともせぬなどと抜かしながらも、満更でもないのじゃろうな……」

 ふっふっふと不適に笑ってみたりもする。

「布団に潜り込んで、反応を見てみるのも良いかもしれんのう……」

 そして余計なことを画策したりもする。

 そんな折だった。


 ガチャリ


「む?」

 ドアノブが回った。

 インターホン無しで入ってくるのは、黒姫の知る限りは白峰だけである。

「むむむ……!」

 勝手に洗濯物を引っ張り出したり、畳んであった布団で寝たり、

「むむむむむ……!」

 ひょっとしたら少し怒るかもしれない。

 裸で寝るのも最初は嫌がっていた。今も嫌なのかもしれない。

 ちなみに、裸で寝るのは癖である。寝起き直ぐに身体を冷たい水で清めさせられていたため、彼女は寝巻きを与えられていなかった。

「……狸寝入りじゃな」

 寝てるときは怒られない。上手くいけばうやむやに出来る。

 浅知恵でそう考えた黒姫は、そのまま布団に包まっていることにした。

 キィ、と小さくドアが鳴る。

 人が入ってきた気配。

「師匠〜、いませんよね〜?」

 入ってきたのは、白峰ではなく、先日のインターホンの声の主だった。白峰がいないことを確認すると、そそくさと部屋に上がりこんでくる。

「なんじゃ貴様!?」

 がばりと黒姫が飛び起きた。しっかりと竜の羽や角を出現させている。

「ひゃぁっ!?」

 突然布団から飛び出した黒姫に、少女が驚いた。

 長い黒髪をツーサイドアップにし、黒いコートに指貫の黒いグローブ。さらには、黒い刀を腰に刷いた少女である。

「貴様、何の用があってこの部屋に入ったのじゃ! 事と次第によっては……!」

 ぐるると牙を剥く黒姫に、少女――黒峰ががたがたと震えだす。

「ごごごごめんなさいぃいいい……! 最近いままでよりさらに扱いがぞんざいなので、こうなったら直接家に侵入して、下着でも盗もうかと……!」

「……その発想がすごいの。というか、貴様は白峰に、魔法を教えてもらいたがっていたのではないか?」

 白峰から聞いた話で、黒姫は目の前の少女の事情を知っている。

「いえ、まあそれも目的なんですけど、えと、その、す…………」

「む? なんじゃ、はよ申さぬか」

 黒姫は普通に聞いただけであるが、

「ひゃ、ひゃいぃ!」

 初めて自分の敵いようのない種族に出会った黒峰には、あまりの恐怖に、絶対の命令にしか聞こえないのであった。

「白峰さんが好きなのでっ、下着を盗もうとしましたぁっ!」

 犯罪者の自白である。

「むう? 魔種は好きな者の下着を盗むのか?」

「いや、魔種と言いますか、特殊な性癖の人と言いますか……」

「とにかく、貴様は白峰の下着を盗みに来たと言うのじゃな?」

「はい……」

「ふむ……」

 黒姫は考え込んだ。

 彼女の言うことに少し引っかかったのである。

「のう」

「はっ、はい!」

「貴様、名はなんと申す?」

 黒姫の言葉に、黒峰が首を傾げた。

「名前ですか?」

「うむ」

「黒峰です。黒峰直美」

「ふむ、黒峰」

「はいぃっ!」

「……そう怖がるな。妾も傷つくのじゃぞ」

 少しだけ黒姫が眉を顰める。

「別にとって食おうなどとは思ってないのじゃ」

「は、はい」

「だから少しは落ち着け。それとも、そこまで妾の顔が怖いのか?」

 今はもう黒姫は角や羽を引っ込めていた。

 最初に放っていた威圧も鳴りを潜めている。

 そうなってしまえば、彼女は可愛らしい少女でしかなかった。

「い、いえ……その、可愛い、です……」

「むぅ……」

 可愛い。黒姫には新鮮な評価だった。

「妾が、可愛い、か」

「えと、嫌……でしたか?」

 黒姫は、少しだけ微笑んだ。

「嫌ではないのじゃ。初めてそのような評価をされたからの」

「そ、そうなんですか?」

「うむ。……思ったより、嬉しいものじゃの、可愛いと言われるのは」

「…………あのっ!」

「む?」

 黒姫の笑顔を見て、意を決したように黒峰が口を開く。

「あ、あなたは誰ですか!?」

「妾か? そういえば、名乗っておらんかったのじゃな。すまぬのじゃ」

「い、いえいえ、とんでもないです」

「妾は黒姫と言うのじゃ! そのまま呼ぶが良いぞ!」

「えと、黒姫、さん?」

「うむ!」

「その、黒姫さんは……なんで師匠の部屋に?」

 怪訝そうに、少しだけ不安そうに、黒峰は問う。

「まさか……恋人、ですか?」

 本当に不安そうに、問う。

「その間違いは二人目じゃの」

「え?」

「妾は白峰の恋人ではないのじゃ。悔しいのじゃが、正しく居候じゃ……」

 そういった後、何故かずーんと黒姫は沈んでしまう。

「うぅ……好き好んで居候などになってないのじゃ……寝てる間に時間が経ちすぎておるのじゃよ……」

 ブツブツ言いながら落ち込んでしまった。

「あ、あの、黒姫さん?」

「……くすん、妾だって、妾だって……」

 いじけ出した黒姫に、黒峰がおずおずと声をかける。

「あの、白峰さんとは何もないんですか?」

「……何もないのじゃ」

「えと、本当に居候さんなんですか?」

「本当じゃ」

「本当の本当に?」

「本当の本当にじゃ」

「本当の本当の本当に?」

「ほ、本当の本当の本当にじゃ!」

「本当の本当の――」

「――ええい、くどいっ! 人の傷を抉るなっ!」

 黒姫は軽く涙目である。

「ご、ごめんなさい!」

「ええい、貴様が白峰を好いておるのは解った! だが、下着を盗んでどうするのじゃ?」

「え、えと、それも言わなきゃだめなんでしょうか!?」

「言えないようなことをするつもりなのか?」

「…………えーと」

 言わなくいと疑われそうだし、言ってもアウトとは言えない。

「どうしたのじゃ?」

「うぅ……その、あのっ、…………っっっ!」

「む?」

「お――オカズにするためです!」

 変態の自白である。

「食べるのか!?」

 そして黒姫の天然ボケである。

「違いますっ! そうじゃないんですっ!」

「じゃあどうなのじゃ!?」

「え、そ、それは…………」

「早く聞かせて欲しいのじゃ! これ程焦らされては、気になって夜も寝れんのじゃ!」

「…………ちょ、ちょっとこっちに寄ってください」

「むぅ?」

 怪訝そうな顔をしながら、黒姫は黒峰に近づく。

「耳を貸してください……」

「ふむ」

 言われるがまま、耳を貸す。

「ごにょごにょごにょ……」

「――!?」

 そして耳打ちをされた直後、

「わ、妾の知らぬうちに、世の中は大変に進歩していたのじゃな……」

 黒姫は顔を真っ赤にしつつ、そんなワケのワカラナイことを言っていた。

「いや、進歩と言いますか、なんと言いますか……」

 黒峰は複雑な顔をしている。

「とりあえず、下着は持って行ってもよい」

「い、いいんですか!」

 ぱぁっ、と表情を明るくさせる黒峰。……変態である。

「う、うむ」

 ちなみに持って行っていいかどうかは、普通は黒姫の決めていいことではない。

「あの、ありがとうございます!」

「いや、構わんのじゃ。しかし、よくこの部屋に入ってこれたの」

「え?」

「黒い獣がおったはずじゃろ?」

「頑張ってノックアウトしました。早くて強いですけど、硬くはないので、魔法でなんとか出来ました」

「成る程の。しかし、黒峰はなかなか強いのではないか? もっとも白峰には敵わんじゃろうが、それでもそこいらの魔種なんぞ、一捻りに出来そうじゃ」

「あはは……。まあ、まだまだ弱虫ですし」

「むぅ、そんなに強いのにか?」

「はい」

「判らんものじゃの」

「そんなものですよ」

「そうか」

「ええ」

「のう、黒峰」

「はい?」

「好き、とはどういうものなのじゃ?」

「え?」

「生まれてこの方、好きと言う感情には縁がなくての、自分ではよく判らんのじゃ」

「そう、なんですか」

 「そうじゃ」と、黒姫は小さく笑った。

「出来れば黒峰に教えて欲しい。白峰は悪くない教師じゃが……ちと捻くれすぎなじゃ」

「……はい」

「頼むのじゃ」

「……好きって感情ですけど、わたしにも全部は判りません。それでもいいですか?」

「よい」

「判りました。そう、ですね。好きって、苦しいんです。でも幸せで、もっとこうしてい

たいとも思える……月並みですけど、そういうものです。この人ともっと一緒にいたい、

よく判らないけれど、その人が笑えば嬉しい、とか、とてもその人が大事とか……もっと

色々あると思いますけど、わたしが伝えられるのは、こんな感じのことです」

「むぅ……」

「判りづらいですか?」

「……いや、判りやすい」

 黒姫は目を閉じ、少しだけ考え込む。

 疑問が浮かぶ。

 そして直ぐにそれは解ける。

 白峰に感じていた感情。

 あの言葉に出来ない、理解できない感情は――

「――ああ、なんじゃ」

「どうしたんですか?」

「妾も白峰が好きなようじゃの」

「――は?」

「うーむ、好きになるような心当たりがないの。ドラマとやらで、何かしらきっかけがあることは知っておるのじゃが……」

「え、えええええええっ!?」

「なんじゃ、そんな驚くことかの? 妾も人の子じゃぞ? 誰かを好くことくらい、有り得るじゃろ」

「いいいや、そうなんですけど、随分唐突だったので」

「む、確かにの。黒峰も白峰が好きじゃったし、妾の恋敵と言うわけか」

「ここっ、恋敵、ですかっ」

「そうじゃろう? 妾とお主、好いておる者が同じなら、立派に恋敵同士じゃ」

「た、たしかに……」

「別に力でどうこうなどとは考えておらんぞ? 幾ら妾でも、そのような無粋はせん」

「はい……」

「お互い、妙な捻くれ者を好いてしまったが……尋常に勝負と洒落込もうぞ」

「…………!」

「その……、せっかく、同じ者を好いておるのじゃし、……好き者同士、妾の……友人になってはくれまいか?」

「っ! ――はい!」

 かくして、黒姫は新たに、黒峰という友人兼恋のライバルを得たわけである。


 第三章



 黒姫が黒峰と友人になって一週間。

「俺は許可した覚えがないんだが?」

「あの、その、……すみません」

「よいではないか、白峰。黒峰の一人や二人が増えたところで、この部屋で寝るのに支障は出まい」

「……好きにしろ」

「好きにするわい」

 溜息をしつつ、白峰はコートを羽織った。

「む? 何処か行くのか?」

「流石に敵の目の前で眠れるほど図太くはないな」

「なんじゃ、外で泊まっていくのか」

「ああ」

「仕方ないの〜」

 やれやれといった調子で黒姫が肩をすくめる。

「夜更かししようが何しようが構わないが……散らかすなよ」

「この部屋に散らかすようなモノがあったかの?」

 にやにやと笑う黒姫の頭を軽く小突き、白峰は家を出た。


 ……


「それで女の部屋に転がり込むの?」

「いいじゃねーか。襲うわけでもあるまいし」

 軽口を叩きながら、白峰は部屋の主に視線を向けた。

「こうやって話すのも久しぶりなのか?」

「確かにそうね。何ヶ月ぶりかしらね?」

「さて、な。大体二ヶ月ってところか?」

「ああ、そんなものなんだ。随分合ってない気がしたのよ。だってあなた、なんだか雰囲気が柔らかくなったから」

「……そうか?」

「ええ、柔らかくなった。優しくなったって言ってもいいのかもね。あたしは、今のあなたのほうが、前のあなたより好感持てるわね」

 そう言って部屋の主である彼女は笑った。

「好きな女の人でも出来た?」

「はっ」

 一人そう勘違いされそうなのが思い浮かんだが、白峰は鼻で笑った。

「お前がその手の冗談を言うとはね。俺から女の匂いでもするのか?」 

「うーん、相変わらず血生臭いけど、確かに女の子の匂いもするのよねー」

「犬か、お前は。同居人は出来た。……それだけだ」

「ふぅん……?」

「なんだよ?」

「なんでもないわよ。それで、今夜はどうする?」

 彼女の背中の羽が揺れた。

 部屋の主である彼女――天使は、白峰に向かって冷えたビールの缶を投げる。

「どうせ、飲んでくんでしょうけどね」

「ああ、そうするさ」

 投げられたビールの缶を受け取り、白峰も薄く笑った。

 それから二人で酒を飲み、お互いいい具合に酒が回った頃――

「――で、本当に何にもないわけ?」

「しつこいな。何にもないって言っただろ?」

 天使が白峰に絡む。

 白峰は少しだけ眉を顰めて、缶をテーブルに置き、ソファに座り込んだ。

 いかにもつまらなそうに、天使は口を尖らせ、酒の缶に口をつける。

 肩にかかるかかからないかくらいの金髪が、柔らかく揺れる。

 天使は、人ならざる者の美貌に、随分と人間らしい感情を表現させていた。

 彼女は名前を白峰に教えなかった。

 名前を教えることは、人外にとって、支配されることを意味する。

 それを彼も承知している。だから彼は、彼女を天使と呼んだ。

「ねぇ」

「んん?」

 少し眠たげに眼を擦り、天使は白峰に寄りかってくる。

「なんだ?」

「名前さ――」

「あ?」

「あたしの名前よ。あなたに教えるって言ったら、あなたどうする?」

「……さぁ、な」

「何よ、教えてくれてもいいじゃない。美人の頼みよ?」

 身体を起こし、彼女は不満げに白峰を睨んだ。

「美人も何も、人じゃねーだろ、お前は」

「そういうこと言うの? ヒドい男ね、あなた」

「とっくに自覚してるよ」

「面白くないわ」

 天使はまたつまらなそうに口を尖らせ、今度はふらりと立ち上がった。

「お風呂入ってくる」

「そうか」

 それだけのやり取り。

 それでも、途切れた途端に部屋は随分静かになったように感じられた。

 彼女が自分の横から去った後、白峰は、カーテンの隙間から覗く欠けた月を、ただぼんやりと眺めていた。

 死んだように冷たい光を、じっと見つめる。

 どこと無く寂寥を感じさせる様は、まるで月が、彼の映し鏡であるようにも思えた。 誰もが生きたいときっと心の奥底では望んでいるのだろう。

 だが、彼らにそれは敵わない願いだった。

 殺し殺されるのが、彼らのルールなのだから。

「…………」

 無言で彼は月から目をそらし、目を閉じる。

「…………はぁ」

 溜息を吐く。

「……くそったれ」

 小さく呟く。

 その呟きの声音には、疲れと諦め、それと少しばかりの悲哀が混じっていた。

「………………ぁ」

 目を閉じたまま欠伸をする。

「眠いの?」

 天使の声がする。

「ああ」

「子守唄でも歌おうか?」

「遠慮するさ」

「あなた、疲れてるの?」

「それなりにな」

 短いやり取り。

 目を開ける。

 下着とシャツだけの格好で、天使は立っていた。

 天使は微笑む。

「まだ飲む?」

「ああ、そうする」

 天使が白峰の隣に座る。

「あなた、疲れてるわね」

「そう言っただろ?」

「無理してる?」

「してるさ。この仕事を始めるずっと前からな」

 テーブルに置いた缶をまたとる。

 ぐっと一気に残りを喉に流し込む。

「――誰が好き好んで、人殺しなんてするんだよ」

「今日のあなた、妙に弱音を吐くわね」

「俺だって、たまには素直になるんだ」

「そう……」

 白峰の頭を、天使が胸に抱き寄せる。

 労わるような、あやすような、ただただ優しい抱擁。

 風呂上りの、少し高い体温が彼にじんわりと伝わった。

「……なんだ?」

 訝しげに白峰は問いかけた。

 天使は、笑ってそれに答える。

「素直に甘えなさいよ。これでも、あなたよりは随分長く生きてるんだから」

「…………ああ。そうだな」

「ふふっ、こうしてると、大きな子供みたいね、あなた」

「……さっきの答え」

「え?」

「名前を教えられたらってヤツだ」

「ああ……」

 少しだけ間を空け、白峰は口を開く。

「多分、嬉しいと思う。多分な」

「なによ、多分って」

「多分だから多分だ」

「優柔不断ね」

「ほっとけ」

 白峰は体の力を抜いた。

「風呂、使わせてくれ」

「あら、もうお開きなの?」

「疲れてるって言っただろ? 明日だって、仕事がないわけじゃない」

「……そう、ね」

「風呂からあがったら寝る」

「好きにしないさいよ。あたしも好きにするから」

「ああ」

 それだけ言って、白峰はぬくもりから離れた。


 ……


 朝。

「…………ってぇ」

 頭がずきずきと痛んだ。

「あら、おはよう」

「ん、ああ。おはよう」

 天使は先に起きていたらしく、朝食の準備をしていた。

 料理から目を離し、白峰に笑いながら挨拶をした。

「朝ご飯、食べてくでしょ?」

「そうだな」

「嫌いなもの、なかったわよね?」

「ないな」

「なら大丈夫ね」

 確認をとると、天使はまた料理に戻る。

 そこらに脱ぎ散らかした服を着ながら、白峰はベッドから身を起こした。

「頭が痛てぇ……」

「昨日、飲みすぎたのよ。大して強くもないのに飲むんだから」

「……控えるか」

「そういって控えたことなんてないくせに」

「……うるさい」

 額を押さえながら、白峰はソファに体を預けた。

「あら、煙草は?」

「吸うとうちのお姫サマが五月蝿いんだよ」

「へぇ……」

 天使は、とっておきの意地悪を思いついた、子供の様な表情をした。

 出来上がった料理をテーブルに並べ、にんまりと笑いながら、白峰を横目で見た。

「あたしのお願いは聞いてくれないのに、その子のお願いは聞くんだ」

「意地の悪いことを」

「ほんとのことじゃない。で、どうしてなの?」

「さぁ、な。強いて言うなら、アイツが馬鹿だから、だな」

「なによ、それ?」

「言葉通りだ。アイツは馬鹿で、まだまだ子供だ」

「よく判らない言い方をするわね。わざとなの?」

「元から詩的なんだよ」

「――ぷっ、あはははっ!」

「……なんだよ?」

「似合わないわよ、あなたに詩人は」

「知ってるさ。とっくの昔からな」

 少し皮肉そうに白峰は笑い、料理を口に運んだ。

「おいしい?」

「ああ」

「良かったわ」

 本当に心のそこからそう思っているかのように、天使は笑う。

「仕事は何時からなの?」

「昼過ぎから動こうと思ってる」

「一旦家に戻るの?」

「ああ。流石にあいつらを部屋に置いたまま放置するわけにもいかないからな」

「そう。……頑張ってね、仕事」

「頑張るさ。……ごちそうさん」

 食事を終え、白峰は立ち上がった。

 コートを羽織り、玄関に向かう。

「いってらっしゃい」

 天使が微笑む。

「……ああ。邪魔したな」

 頷き、白峰は部屋の外に歩き出した。

 日差しと頭痛が、改めて新しい一日を始まらせている気がした。


 ……


 ガチャリ、とドアノブが回った

「おかえりなさいなのじゃー!」

 どたどたと黒姫が走ってくる。

 が――

「――む」

 白峰に飛びつく前に、ピタリと止まる。

「むぅ。女の匂いがするのじゃ」

「……お前も鼻は利くんだったな、そう言えば」

「うむ。まあ、妾がとやかく言う立場でもないのじゃが……あまり、よろしくはないぞ。その、女子の前に、別の女子の匂いをさせて出て来るというのは」

 彼女が何処か拗ねたように言うのを聞いて、白峰は肩をすくめて見せた。

「反省しておく」

「うむ。反省するのじゃ」

 そう言うと、改めて黒姫はにこりと笑い、白峰に飛びついた。

「おかえりなさいなのじゃ」

「……ただいま」

 いかにも、仕方ないといった所作で黒姫の頭を撫でる。

 そんな白峰の態度にも気を悪くした様子もなく、黒姫は嬉しそうに顔を綻ばせた。

「アイツはどうした?」

「帰ったのじゃ。夜中に急に連絡が来ての、血相を変えて飛び出してしもうたのじゃ」

「ふぅん……」

「お陰様で、妾は昨夜は一人で寝る羽目になったのじゃ」

 心底おもしろくないと言った様子で、ぷんぷんと黒姫は怒ってみせる。

「黒峰め、なにを聞いたか知らんが、妾を放って帰りおるとは……」

「仕方ないだろ。俺達の仕事ってのは、急に入ることも珍しくない」

「判っておるが、なにかこう、納得できんのじゃ!」

「諦めろ」

「むぅ……」

 まだ少し膨れる黒姫の頭を、白峰はもう一度撫でた。

「……仕事に行く前に、少し外につれてってやる。だからとは言わないが……機嫌直せ」

「ほ、本当か!」

「ああ」

「ありがとうじゃ!」

 一転、黒姫は機嫌を良くし、にこにこと笑う。

「折角じゃ、昼餉は外でとるのじゃ!」

「そうだな。そうしよう」

「なら全は急げじゃな! 早速出かけるとしよう!」

「……急ぎすぎだ」

 帰ってきて、結局一度も座らないまま、白峰は、黒姫に手を引かれるまま、出かけることになった。


 ……


 雑踏の中、二人は歩いていた。

 白峰は特に何の感慨もなく。黒姫はそれだけでも楽しそうににこにこと。

「なあ、なんでお前、俺の留守中にはずっと家にいるんだ? 出掛けりゃいいだろ、外に出かけるのが楽しいなら」

「い、いや、妾は鍵を渡されておらぬから……」

「盗られるような物置いてないから、開けっ放しで大丈夫だぞ」

「……その」

「ん?」

「し、白峰の出迎えも……出来なくなってしまうと、思ったのじゃ」

「…………」

 いささか予想外の返答に、白峰が黙り込む。

「……鍵はかけなくていい」

「え?」

「……心配はするから、俺が帰ってくるまでに家にいる。……いいな?」

「う、うむ!」

 沈黙の中、出し抜けに白峰が提案した。

 明らかに黒姫に気を遣ったとわかるそれに、黒姫は顔を輝かせた。

「……わざわざありがとうじゃ、白峰」

「家の中に閉じ込めとくつもりもないからな。外にでかけるくらい、俺が文句を言うことじゃない」

 顔を背けて、白峰はそう呟いた。

 やけに小さく聞こえるその科白が、黒姫には照れ隠しのように聞こえて、少しだけ彼女も笑った。

「なんだよ」

「いや、可愛いところもあるのじゃな、白峰は」

「可愛い、ねぇ……」

「もっとも、自分のこと故、気付かぬのかもしれんがの」

「……そうかもな」

「ああ、きっとそうじゃ」

 二人で雑踏の中を歩く。

 白峰は歩調を黒姫にあわせ、黒姫はそんな白峰に寄り添うように。

 特になにをしているわけでもないが、その様子は、どこか幸せそうに見える。

「そういえば白峰」

「うん?」

「仕事は夜までに終わるのか?」

「ああ、そのはずだ」

「なら、今晩……その、妾と一緒に、寝てはくれまいか?」

「は?」

「い、いや、決してそういう意味ではないぞ!? ただ、昨晩は一人だけで寝るのがどうにも寂しくての……」

「……はぁ、判った」

「ほ、本当か!?」

「ただし、寝巻きか何かを着て寝ることが条件だ」

「裸ではダメなのか?」

「ああ」

「むぅ……判ったのじゃ」

 こくんと頷いて、黒姫はくすりと笑った。

「今日の白峰は、なんだか優しいの。妾のお願い、たくさん聞いてくれるのじゃ」

「……そうか?」

 疑問符で返すも、自分でも自覚は有ったらしい。

 少し間を開けていた。

「さて、どこに行こうかの?」

「考えないで出て来ちまったからな」

「このまま、ただ町を歩いて、何処かで昼餉――というのはどうじゃ?」

「悪くないな」

「決まりじゃな!」

 黒姫のはしゃぐ声に、白峰は苦笑し、二人はまた雑踏の中を歩き出す。

 目的はなく、行く先もない。そんなものがなくても、彼らはこの時間を楽しんでいるようだった。


 ……


「う〜む、れとるとも良いが、やはり外のも美味いの」

「外は金がかかる」

「美味い食事には相応の価値があろう?」

「ああ。だから普段はそれなりので済ましてる」

「ふむ、貧乏め、まさか妾達の食卓にまでその魔の手を伸ばしておったのか……」

「基本的に個人営業の人狩りは貧乏が普通だ。あきらめろ」

「わがままを言うつもりはないのじゃ。たまにこういう飯も食わせてもらえれば良いなと思ってるだけじゃ」

「それはわがままに入らないのか?」

「思ってるだけじゃ。要求はしとらんぞ」

「わざわざ口に出す辺り、悪意を感じるが?」

「気のせいじゃな」

「そうか。ところで、お前何皿注文したっけ?」

「……軽く四、五皿程かの?」

「お前、俺が金が無いのを知ってるよな?」

「うむ」

「……俺にそうまで仕事増やさせたいか」

「…………ごめんなさいなのじゃ」

「よし」

「じゃが、臨時収入があった時くらいは、連れて行ってくれても良いのじゃぞ?」

「…………」

「じょ、冗談じゃ」

「よし」

「し、白峰? とりあえず睨んで黙らせるのは良くないと思うのじゃ」

「黒姫。調子乗るのは良くないことだよな?」

「……は、反省するのじゃ」

「よし」

「むぅ……っ!」

「……なんだ? いきなり膨れて」

「拗ねてみせておるのじゃ。あんまり白峰が怒るので、妾も拗ねておるのじゃ!」

「……そうか」

「しばらくこうしておるからな! 口も聞いてやらぬからの!」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………?」

「…………」

「……の、のう、白峰?」

「……口も聞かないんじゃなかったのか?」

「ご、ごめんなさいなのじゃ。ちょっと意地を張りたかったのじゃ」

「よし」

「その、よしと言うのは……」

「あ?」

「よしという言い方、もう少しどうにか出来んのか?」

「嫌か?」

「なんだか、犬のように躾けられてる気がしての……あまり気分が良くないのじゃ」

「躾ける云々はまあ間違ってはいないが……判った。控えておけばいいんだな?」

「お願いじゃ」

「ああ」


 ……


 夕刻。

 黒姫を部屋において、白峰は仕事に向かった。

 夕日に照らされ、斜めに影が伸びていく。

 逢魔ヶ時に入った町は、まるで血に染まり、そして目覚めようとする何かを想起させた。

 まるで、化け物が眼を覚まそうとしているかのような、不吉な感覚。

 そしてそれは、そこまで間違った感覚ではない。

 人でありながら、逸脱してしまった者達の、本格的な活動時間。裏で生きる彼らの時間。

 夜への移り変わりの時間だ。

「さ、て――」

 白峰は夜が好きではない。

 環境として苦手と言う意味ではない。彼の装備が光を反射しない黒一色である以上、夜闇に紛れることが出来るというのは、彼にとって非常に大きな利だ。

 だが、それでも彼は夜を好かない。

 その暗さが、どうにも嫌いだった。

「仕事の時間だ」

 彼にしか聞こえないであろう、小さな呟き。

 しかしその小さな呟きだけで、彼の中で何かが確かに切り替わる。

 標的を追い込む仕掛けはもう出来ている。

 後はここで待つだけだ。

 煙草に火をつけた。

 紫煙を吐き出し、空を見る。

 赤い空に、煙が溶けていく。

 遠くで誰かが走ってくる音と、獣の息遣いがした。

「……来たか」

 煙草を落とし、足で踏みつける。

 刀に手をやる。

「はぁっ、はぁっ!」

「よう」

 息を荒げ、走ってくる人影。

「なん、だ、貴様は!」

 その人影が、悠然と立つ白峰を睨む。

 恐らくは二十代前半か?

 長い髪をポニーテールにした、まだ若い女性だ。

 女の問いに、白峰は答える。

「人狩りさ」

「人狩り……? まさか、さっきの犬は……!」

「ああ、俺のモノだ」

「人外を使役する人狩り……!? まさか、獣使いか!」

「あー、残念ながら外れだ」

 獣使い。そう呼ばれている同業者のことは知っているが、自分ではない。

「まあ無駄話はほどほどにしよう」

 肩をすくめ、刀を抜いた。

「黒い刀……! そんな、まさ、か……!」

「ああ、俺は獣使いなんかじゃあない」

 目の前で恐怖に固まる女を蹴り倒す。

「ひぎっ!?」

「あんな悪趣味と一緒にはしないで貰いたいが……まあ、たかが越種じゃ、区別がつかないのか」

「人、喰い!?」

「ご名答」

「あぐっ!」

 思い切り女の腹を踏みつける。痛みに女が身を捩じらせるが、動けないよう、足はしっかりと女を押さえつけていた。

 何も感じていないような表情。淡々と女を映す瞳。まるで、肉食の昆虫か何かのように、相手をただ殺戮するだけの生き物のように、白峰は呟いた。

「さて、さっさと終わせるか」

 既に結界は張られている。

 女がこの場所に来た時点で発動したそれは、周囲からこの場所を隔絶し、白峰の一方的な狩りの舞台へと変貌させた。

 刀の切っ先が一度持ち上がり――必殺の鋭さを以って女の心臓を貫いた。

「か、はっ――」

 冷たい鉄の感触が、熱い痛みを伴って胸を貫く感触に、女は声を漏らした。

「さ、て、――これで確実に終わるだろ」

 さらにその刀を押し込み、捻る。

 結果、心臓がずたずたに引き裂かれていく。

「が、ぶ、ぐっ!」

「ほら」

 ズラリと刀を引き抜いた。

 その彼の周りで爛々と輝く、幾つもの獣の瞳。まるで、飼い主の号令を待つ、猛犬達のようだった。

「ぐ、ぁ、あ……」

 薄れゆく意識の中、女はその眼を、恐怖の表情で見つめている。

 まだ息のある女を一瞥し、刀を振るう。

 ビュッ、と風を切る音と共に、血が払われる。特殊素材製の刀やコートには、一滴も血は付いていなかった。

「もう良いだろ……さぁ、喰え」

 白峰の一言とともに、黒い獣たちが女の体に群がっていく。

「ぁ、が、ぁ、あ、……――」

 小さな苦悶の声。

 しかし、それもだんだん小さくなり、やがて聞こえなくなっていく。

「…………」

 白峰は無言でその光景を見続けた。

 獣達が女を貪るのを、見続けた。

 決して目を逸らさず、女が肉の一片、血の一滴、髪の毛一本までもが喰い尽くされるまで――


 ……


 がちゃり

 白峰がドアノブを回すと、

「お帰りなさいなのじゃ、白峰!」

「ああ、大人しくしてたか?」

「うむ!」

「そうか」

 入ってくると同時に、ぴょん、と黒姫が飛びついてくる。

 そんな黒姫を白峰は抱きとめ、頭を撫でる。

 以前は子ども扱いと怒っていたが、今は素直に嬉しそうな表情をしている。

「夕餉はまだかの?」

「……すぐに準備するさ、お姫サマ」

「うむ! って、その呼び方をやめんかー!」

 むーっ、と怒り、黒姫がぽかぽかと白峰を叩く。

 お姫さま呼びはお気に召さないらしい。

「抱えてる状態で叩くな。危ないだろ」

 黒姫の行動に、白峰は眉を顰める。

 ぷいっ、と黒姫はそっぽを向き、

「むぅぅ……白峰が余計なことを言うからじゃ。……まぁ、妾は寛大じゃからの、今ので許してやるのじゃ」

「許す、ねえ……」

「なんじゃ、文句あるのかの?」

「……まあいい。それじゃ、飯作ってやるから、さっさと降りろ」

「うむ」

 素直に黒姫が白峰から降りた。

 そして振り返り、

「ところでじゃ白峰」

 黒姫が、少し緊張した面持ちで、白峰に問う。

「ん?」

「その……昼間にした約束、覚えて……おるか?」

「……俺はまだボケてはいないつもりなんだがな」

 白峰の苦笑に、ハッとしたように、彼女は謝った。

「あ!? す、すまん、そういう意味ではないのじゃ。ただ、妾が浮かれているだけで、白峰にはどうでもよいことで、忘れらているのではと、心配で心配で……」

「……そうか」

「……うむ、その……すまぬ。白峰が約束を忘れるなどと、疑ってしまって……」

「別に良い」

 それだけ言って、白峰は台所に向かって行った。

 その背をじっと見つめる。

「……白峰」

 小さく黒姫が呟く。

 だが、

「妾は……、何も……、結局、お主に何も…………」

 その呟きは、呟いた本人にしか届かぬまま、その真意を呟かれた本人に届けることなく、部屋の空気に溶けていってしまうのであった。


 ……


「の、のう、白峰」

「んん?」

「その、近くはないか?」

「布団が狭いんだから、しょうがないだろ」

「そそそそれでもじゃ! それでも、その……こんな密着するとは思わなかったのじゃ」

「あきらめろ。こうして欲しいって言ったのはお前だぞ?」

「判っておる、判っておるのじゃが……は、恥ずかしいではないか」

「色仕掛けしておいて、今更なに言ってんだ?」

「い、いや、そう、なのじゃがっ……なにぶん、薄衣じゃから、その、白峰の体の感触がはっきり判ってじゃな……!?」

「お前が恥ずかしいと」

「そうじゃ! いや、薄衣な妾が悪いのは判っておるのじゃが、これ以外寝巻きになるようなものが無くての……」

「それしかない選択肢が、なんで俺のなくなっていたシャツなんだ?」

「うむ、着心地が良くての」

「……そうか」

「えと、怒らんのか?」

「寝巻き用意しろといってそれ用意されるとは思ってはいなかったが……まあいい。……要求どおり、一緒に寝てやってるんだ、文句を言うな」

「う、うむ」

「……俺は寝る」

「う、うむ、おやすみじゃ」

「…………」

「…………」

「…………」

「……ん」

「む?」

「…………お前、温かいな」

「な、なんじゃ急に!? 変なことを申すでないのじゃ!」

「……冬には、湯たんぽ代わりに、丁度良い、か……」

「ひゃっ!? 腕を……! あ、あうぅ……!」

「…………こいつは、よく、眠れそうだ…………」

「ま、待て、この体勢は恥ずかし……! 抱きしめるでない……」

「んん……」

「し、白峰? 白峰!? あ、あうううううううう…………!」

「…………すぅ」

「寝付きがよすぎるのじゃ! そ、そもそもこんな抱きしめるような格好で……!」

「すぅ…………」

「ぅぁぁぁぁぁぁぁ……い、いい、今なら、もっとぎゅっと抱きしめられるかの……?」

「…………すぅ」

「む、むむむむむむむ……!」

「すぅ…………」

「し、失礼するのじゃ! ……えい!」

「…………ぅう」

「(ぁあああああああああああああああああああああ! 温かいのじゃ、大きいのじゃ、逞しいのじゃ、そして嬉しいのじゃーーーー!)」

「すぅ…………」

「(くっ、どきどきするのじゃ、嬉しいのじゃ、ちょ、調子に乗ってしまいそうな妾が居るのじゃが、ここはぐっと堪え――)」

「…………ん」

「(!? 腕の力、強く――!? ――――我慢なんてできないのじゃーーーー!)」

「んん……………」

「(頭すりすりしてやるのじゃ! 甘えてやるのじゃ! 日頃恥ずかしくて出来ないことを思う存分やってやるのじゃーーーー!)」

「…………すぅ」

「(しかし、ここまで好き放題にしても、起きる素振りはないのう……。さっきも思ったが、寝付きがいいのう……。……随分、疲れておるのじゃろうな……)」

「すぅ…………」

「(…………今日帰ってきたとき、なにも言わなかったのじゃが、随分辛そうな雰囲気をしておったな……)」

「…………すぅ」

「(そのくせ、直ぐにそれを引っ込めて普段どおりにしおって……強がるにもほどがあるのじゃ)」

「すぅ…………」

「(まったく……まだ若いのじゃから、弱音くらい吐いて欲しいものじゃな。まぁ、感覚的には白峰が年上じゃが、実際の年齢的には、妾の方が年上じゃからな)」

「…………――むぅ」

「(まぁ、こうやって甘えられるのは……なかなかに嬉しいのじゃが……それでも、辛いのが判っているのに、何もしてやれんのは嫌じゃしな……)」

「すぅ…………」

「(…………すまんの、白峰。妾はお主の支えになってやれてはおらぬな……)」

「…………すぅ」

「(いつか、しっかりとお主と向き合えれば、その時は…………)」

「すぅ…………」

「――――…………妾は、お主を支えてやれるかの?」

「……………………すぅ」


 ……


「すぅ……、すぅ……」

 寝息を立てる黒姫の頭を撫で、白峰は布団から起き上がった。

 ただ同じ布団で寝ていただけなのに、黒姫から伝わる温もりが、とても心地のいいものだった。

「…………久しぶりに、よく寝た」

 静かに、白峰が呟く。

 その手は、相変わらず黒姫の頭を撫でていた。

「…………んんぅ、んふぅ……」

 幸せそうに黒姫が頬を緩ませる。眠っていても、頭を撫でてもらえたのが判ったらしい。

「……朝飯の準備でもするか」

 立ち上がり、台所に向かう。

 いつも通りに湯を沸かし、レトルト食品を湯煎にかけていく。

「……………………」

(――――…………妾は、お主を支えてやれるかの?)

 昨晩の黒姫の科白を思い出し、溜息を吐く。

 無意識に腕の力を強くした直ぐ後に、彼は眼を覚ましていた。

 ただ、腕の中で、もぞもぞと動く黒姫を注意する気にもなれず、眼を瞑っていたわけである。

「……余計な気を遣わなくて良いんだがな」

「……心配するのが余計なことか?」

 白峰の呟きに、不満げな声が返ってきた。振り返って布団のほうを見れば、黒姫が起き上がってこちらを見ていた。

「起きたか」

「うむ。昨晩の……その、妾の言ったこと……聞いたのじゃろ?」

「……ああ」

「…………余計なこと、かの?」

 黒姫は、先程とは打って変わって不安げな表情を見せる。

「……昨日は……いつものお主じゃったが、やはり時々、危うく感じる時があって……これでも心配しておったのじゃが…………」

「……言い方が悪かったな。心配してくれるのは嬉しいが、あんまり心配はして欲しくない。俺はそこまで弱くない」

「? 嬉しいのか? 妾が心配して?」

「? いや、そりゃ、自分のことを心配してくれるのは嬉しいが?」

「そ、そうか。……嬉しく思ってくれているのか」

「ああ?」

「ななななんでもないのじゃ! と、とにかく! 妾がお主を案ずるのは、余計なことではないのじゃな!?」

「……できればしてほしくはないがな」

 されて嬉しくないわけではないが、して欲しいものでもない。

 白峰の仕事は命のやり取りだ。そんなものをしていたらキリが無い。

 もっとも黒姫が心配しているのは、仕事ではない。それは白峰も理解している。

 しかし、彼女の懸念する、白峰がストレスで精神を病むようなことも、彼なりに折り合いをつけている今は、それ程現実味があるものでもない。

 ただ、彼自身が現状のこの生活には疲れを感じているのは事実だったが。

「いつだか、お前に馬鹿でいろっていっただろ?」

「む?」

「お前が余計な気を回すのは、あんまり似合わねーよ」

「むぅ……」

「馬鹿みたいにいつも通りで居ろ」

 ぽん、と頭に手をやった。

「あれはそういう意味だ。それが一番有り難い」

「そう、なのか?」

「ああ」

 むしろ、彼にとって、普段どおりの彼女が一番の癒しだと思えた。

「お前はいつもみたいに元気にしてれば十分だ」

「そ、そうか!」

「そうだ」

 ぱーっと嬉しそうに顔を輝かせる黒姫の頭を撫でてやる。

「ほら、あんまりしょげるな。さっさと飯を食おう。今日は休日だし、何処か出かけてもいいしな」

「う、うむ!」

 頷く黒姫を見つめながら、白峰は少しだけ、楽しそうに頬を緩ませた。


 ……


「そう、ですか。先輩が……」

「ああ、アイツに殺られた」

「師匠は、わたし達と敵対するつもりなんでしょうか?」

「いいや、流石にそこまで考えちゃいないな。アイツはそこまでリスクを背負う質じゃない。どちらかといえば慎重だしな……だからっつったらあれだが、殺すのもわざわざそこまで強力な戦力と言えない面子を選んだんだろ。俺達にとって、あまり痛手にならない面子を、な」

「本気で敵に回るなら、もっと強い人を狙ったってわけですか」

「情報収集でアイツに勝てる奴なんざ、この業界にはそうそういやしない。不意打ちはアイツの得意分野だ。魔種以上の連中だって、アイツは狩ろうと思えば狩れるだろうしな」

「師匠は、どうして弱い人しか狙わないんでしょうか?」

「あー……まあ、確実に仕事をこなしたいってのが大きいんだろ。魔種がそこまで強い種族じゃないのは事実だしよ」

「でも、妙ですよね?」

「んん?」

「師匠、いつもは不意打ちしかしないじゃないですか。でも、今回に限って、わざわざ自分の舞台を整えて、そこに誘い込んでます」

「…………確かにな。どう考えても不意打ちのほうが都合がいいだろ」

「はい。先輩はそこまで強力な越種でもなかったのですし、リスクを避けたっていうのは、考えづらいです」

「不自然だな」

「ですよね」

「まあ、アイツには判らないことも多いからな」

「あの魔法だって、未だに原理が判りませんしね」

「結局教えちゃくれなかったんだろ?」

「はい……」

「まあ、所詮敵同士ってワケか」

「……そう、なんですよね」

「……はぁ。とりあえず、何かしらの警戒は必要か」

「ですね。師匠が何してくるのか、まったく予想できませんけど」

「同じ魔種として次の新しい魔法は〜なんて想像できねーか?」

「無茶振りにも程がありますよ! 師匠の魔法は規格外もいいところなんですからね!?」

「だよなぁ……アイツの魔法よりも強力な魔法、魔種が撃ってるのを見たことないし」

「本当、どうなってるんですかあの人の魔法」

「多分魔術の組み方云々だろ? 俺は魔種じゃねーし、よく判らないけどよ」

「純粋な魔力だけじゃ、組んではいないと思うんですけど……そこから先が全く分りません……。そもそも、自分以外の魔力を魔術に組み込むには特殊な道具とかが必要になるんですけど……」

「ゲームなんかの魔法の石みたいなヤツか?」

「はい。でも、そういうのは一回使ったら駄目になっちゃう物も多いですし、なにより使用するには直接魔力を注がないといけないんですけど……あーでも有り得るのかなー? あれが既に発動している魔法とか、そういうオチなのかな? でもあんな魔法を長時間維持なんて出来るのかどうか……」

「アイツはそういうの使ってる素振りは無いのか?」

「うーん、使ってる様子も、持ち歩いている様子もないんですよね。そもそも、普段から魔力隠蔽しちゃってて、最大値がどれくらいなのかも実ははっきりとは……。魔法の発動も、いつの間にか発動してたーって感じでしたし」

「お前、こっそり覗き見してるんだから、ちゃんと情報を収集しろよ……」

「わたしも頑張ってるんですよ!? ……まあ、正直お手上げなんですけど。もう本人に聞くしかありませんね……」

「はあ、役にたたねーなぁ、お前」

「酷くないですか!?」

「事実だろ? ……おふざけはここまでだ。そろそろ準備に入ろう。アイツにゃ悪いが、今回の件、こっちも黙ってるわけにも行かなくなったしな」


 ……


「――――なぁ、白峰」

「あ?」

「これから、じゃ。これからも、お主と一緒にいても、よいか?」

「急にどうした?」

「答えてくれぬか? 妾は、いそうろうでも何でも構わん。おぬしと一緒にいても良いのか?」

「自分で決めろよ、俺が口を挟むことじゃねえ」

「そう、か……そうじゃな」

「で、お前はどうする?」

「うむ。出来れば白峰と一緒にいたいのじゃ」

「そうか」

「お主、それだけかの?」

「ん?」

「この妾が共にいてやろうと申しておるのじゃから、感涙に咽ぶくらいはしたらどうなのじゃ?」

「はっ、冗談」

「素直じゃないのー」

「素直じゃないな」

「人生損するぞ?」

「人生の大半土の下がなに抜かしてんだか」

「喧しいわい。お主のように、若いうちから枯れておるよりはよっぽどマシじゃ」

「枯れてる、ねぇ」

「枯れておるわ。趣味もなにもなく、仕事が好きでもなく、お主、何が楽しいのじゃ?」

「さてな」

「はぐらかすでないわ」

「はぐらかしちゃいないさ。俺にも多分、答えなんて出せやしねーよ」

「そうかの?」

「そうなんだよ。人間なんてそんなもんだ」

「自分の何が楽しいかも分らぬのが人間とは、人間とは、なんとも面倒な生き物じゃな」

「そんなもんだ」

「ところで白峰」

「なんだ?」

「肩車と言うのはいいものじゃの」

「お気に召したようでなによりだ」

「うむ、視界が広がって、妾が大きくなったみたいで、なかなかに良い気分じゃ」

「お前、軽いから楽でいいな」

「重いとかぬかしおったら、その首の骨をへし折るところじゃったわい」

「そこまでやわな鍛え方はしてねーよ」

「確かに昨晩寝たときには、逞しい体じゃったな」

「お褒めいただいて光栄だな」

「喜ぶが良いぞ」

「ああ嬉しいね。嬉しくて涙が出てきそうだ」

「心が篭っておらんなー」

「そんなことはないんだがな?」

「まあ良いわ。……最近の子供は、こういうことを親にしてもらえるのかの?」

「さてな。人に寄りけり、家に寄りけりだろ」

「今の時代は平和じゃなー」

「日本では、表面上、だがな。それでも多くの人間が今命を懸けることもなく、平穏に、それでも幸せだったり、幸せじゃなかったりしながら生きている」

「人間とは、時代によって変わるようで、変わっておらぬ生き物じゃな」

「ああ。人間なんて、見える範囲の世界の中で、自分の身一つで生きてかなきゃいけない、どうにも不便な生き物だ。いつの時代だってな」

「のう、白峰」

「あ?」

「お主は人生、幸せか?」

「……さてな」

「自分は好きか?」

「好きだし嫌いだ。どっちでもあるな」

「妾もそうじゃ。好きだし嫌い。それは、恐らく当たり前のことじゃの」

「……そうだな」

「妾は幸せじゃな。こうやって共に話せる者がおる。今は――一人ではないのじゃから」

「本当に一人ぼっち、ってのは、本当にあると思うか?」

「さて、妾はそこまでは分らんよ」

「だな」

「のう、白峰」

「今度は何だ?」

「ぎゅっとしていいかの?」

「はぁ?」

「いや、ぎゅーっとするぞー」

「あ、おい」

「こうしておけば、落ちることもあるまい」

「落とすつもりはないんだがな」

「当たり前じゃ、落としたらしばらく口を聞いてやらんぞ」

「わかったよ」

「むふふー」

「嬉しそうだな」

「こうやってくっついておるのは、なかなか良い気分じゃからの」

「……そうか」

「そうじゃ。明日は仕事じゃろ? 今日の内に命いっぱいくっつかさせてもらうのじゃ」

「ああ、そういえばそうだな。……もう明日、か」

「ん? どうした?」

「いや、なんでもないさ。ただ、明日はちょっと重要だがな」


 第四章



「勝てる勝負しかしてこなかったつもりだ、俺は」

 白峰は笑う。

 目の前の敵に、自分自身に。

「勝てない賭けもしてこなかったんだ、俺は」

「…………」

「今回は正直、俺が一番驚いてるかもしれないな、この決断に」

「…………」

 目の前の少女は、無言で白峰を見つめている。

 そして、その身から膨大な神気が溢れ出す。

「まさか、極種の相手を自分から買って出る日が来るなんて――」

 閃光が放たれる。

 圧倒的な破壊の拳打は、空気を引き裂き、摩擦で灼熱させていた。

 そう――彼女は、ただ力いっぱい拳を突き出しただけに過ぎない。

 技術も何もない、ただの攻撃の一動作。

 彼女が持つのはそれだけだ。

 それが全てを打ち砕く最強の砲撃の正体だった。

 それが何人たりとて防ぐことの出来ぬ最強の矛の正体だった。

 あまりにも出鱈目。

 あまりにも単純。

 あまりにもお粗末。

 そして――あまりにも、強力。

「――思わないだろ?」

 最強の一角から放たれたその拳は、それによって巻き起こった衝撃波の嵐は、確実に路地裏の狭い空間を、ある程度開けた空間に作り変えてしまった。

 赤い髪の少女は真っ直ぐに白峰のいるほうに視線を向けた。

 極種。鬼種に近いが、その性能は段違いであり、間違いなく種族としては最強の一角。

「……知ってたの? わたしが殺しに来るって」

「ああ。組織が俺を殺そうと思ってるってのも、な。今のは最後通告ってことか?」

「……あなたがこちら側に来れば、なにも問題は無い」

 少女の言葉に、白峰は肩をすくめる。

「ああそうかい。申し訳ないが、お断りだ」

「…………そう。なら――」

 拒絶の言葉。

 それを聞き届け――少女が拳を掲げる。

「――――あなたは、潰さないといけない」

 再び、神気が溢れ出す。

 大地が軋み、大気が歪み、法則が狂う。

 神気が少女の肉体を駆け巡り、自然の力を彼女の性能へと加算していく。

「…………もう一度だけ問う。あなたは、こちら側に来るつもりはない?」

「ないな」

「……そう」

 揺れることなく、彼女の赤い瞳が白峰を見据えた。

「……やっぱり、死んで」

「それもお断りだな」

 白峰が刀を地面に突き立てると同時に、コートや刀から黒い獣が溢れ出し、混じりあう。

「…………なに、それ……!」

「今回が初のお披露目だ。極種相手でも……まあ、何とかなるだろう」

 黒い獣達は溶け合い、やがて大きな一つの影へとなる。

 その大きさに、異形に、そしてその中にあるある種の美しさに、少女は息を呑み、攻撃することを忘れていた。

「――バハムート」

 白峰がその名を呼ぶ。

 漆黒の竜王が、そこに顕現していた。

 大きな四枚の羽。

 冠のような六本の角。

 どことなく人型に近い胴体。

 長い尾。

 鋭い双眸。

 顎が大きく開かれ、大音声が響き渡る。

「グォオオオオオオオォォオオオオオォオオオオオオォオオオオオオオオオオォオオ!」

 バハムートが大きな咆哮をあげる。それを、白峰は満足げに見上げていた。

「上手くいったか……!」

 彼の秘策。

 彼の持ち得る多くの魔法をつぎ込み、完成させた、新たなる魔法。

 その背中に白峰は飛び乗った。一度の跳躍では届かないため、器用に周りの壁や電柱を利用し、最後には魔法の障壁をも踏み台にしていた。

 主を待つように大人しく待っていたバハムートが、彼を背に乗せた途端に羽を大きく広げ、獰猛な殺意をばら撒き始める。

 その威容に、圧倒される少女。

 しかし、

「……魔種に負ける程、落ちぶれては、いない……!」 

 その赤い眼に強い光を宿し、白峰を睨み据える。

 事実、彼女の言葉通りだ。

 幾ら彼が鬼種や竜種さえ屠る魔法を持っていようと、それが魔種の限界のはずだ。

 彼らが太刀打ちできない極種である少女を、打倒しえる魔法が、ある筈がない。

 目の前の竜が圧倒的に見えるとしても、そんな事は万に一つもありえない。

 羽をはばたかせるバハムートの元まで、少女は一気に跳躍し――拳打を放つ。

 しかしバハムートは、その大きさにもかかわらず、あっさりとそれを回避し、少女を尾

で薙ぎ払った。

「ちゃんと動作してるな……」

 白峰は自分から動く様子はない。

 完全にバハムートに任せるようだ。

 地面に叩きつけられよと、傷一つ負うことなく、彼女は再び立ち上がる。

 鬼種以上の頑強さだ。

 四枚羽をはためかせ、バハムートが空を翔る。少女はその都度跳躍するが、どうしても空中はバハムートのほうが有利であり、攻撃をあてられない。

 その状況に、少女は焦りだしていた。

 何故なら……

「……っく、うっ!」

 彼女の皮膚があちこちで小さく裂け、血が流れている。

 幾ら強化できたとしても、素体が人間の肉体である以上、高出力で自然界の力を使用し続ければ、徐々に肉体がもたなくなっていく。

 これ以上は、彼女自身が戦えなくなってしまう。

「…………次で、撃ち墜とす!」

 だからこそ、彼女のその判断は正しい。

 いや、それ以外、選択肢はないと言ったほうが正しい。

 これまで以上に神気を滾らせ、少女が宙に身を躍らせる。

 己の身を引き裂きながら、たとえ避けられようと、余波ですらも強力な凶器になる一撃を放つ。

 少女自身の矜持と、任務を全うする使命、その両方を懸け、最大最強の一撃が、物理の法則を軽く無視する攻撃となって迫る。

 しかし、バハムートはそれを避けようとはしない。

 真っ向から迎え撃つため、その閃光を鋭く見据え――

 ――刹那、白峰はバハムートの背中から跳躍した。

 そして、詠唱。

「――我が手に執行の槍を。我が目は何も捉えず、何も信ずることはない」

 朗々と吟じられていく魔法の言葉。

 一句一句が何かを定め、何かに命じ、何かで世界を動かした。

 両の手を突き出し、膨大な魔力をバハムートに送り込む。

 一際大きく、白峰はその言葉を言い放つ。

「――我がまどろみに一度きりの夢を。たとえ刹那に覚めるとて、夢は刹那の世界たる」

 バハムートが大きく身を震わせる。

 その羽を広げ、自身の身体すら灼き尽くすような紫電を纏う。

 否。

 紫電は確かにその身を灼き、焦がしていっている。

 ――まるで、竜王自身が、轟雷に転じていくかのように。

 その輝きが、太陽に並ぶ瞬間、

 苦しげな、しかし強大な咆哮が大気を震わせた。

「――我は望む(Order code)神殺(Lie/)しの虚ろ夢(Longinus)!」

 詠唱が完成し、何か大きな力が、破滅のカタチを以って動き出す。

 ――――破壊が閃光になり、放たれた。

「――――!?」

 轟音が跳躍して退避した、白峰の耳朶を打つ。

 衝撃波が簡単に障壁を突き破り、身体にそのエネルギーを叩きつける。

 少女の閃光とバハムートの閃光がぶつかり合い、爆風と爆炎で浮かぶ雲をかき乱す。

 バチバチと、火花と呼ぶにはあまりに大きい光の欠片が空に散る。

 そして相殺。

 大きな爆発と共に、力の奔流のぶつかり合いは終わりを告げた。

 極種渾身の一撃と、規格外の範疇すら超えた魔法が、お互いを消しあい、ぶつかり合った余韻だけを残し、虚空に消える。

 雲はその余波に吹き飛ばされ、上空には文字通り雲一つない晴天が広がっていた。

 白峰が痛む身体を無理りに動かし、着地すると、同じタイミングで、少女が地面に叩きつけられた。

 あちこちの皮膚がずたずたに裂け、赤い肉が覗いている。あの一撃は、彼女に相当の代償を要求するものだったようだ。

 バハムートもボロボロと崩れていき、その強大な肉体はもう維持出来そうにない。

 黒い影はずるずると身体を引きずるように、白峰のコートに戻っていく。

「――はーっ! はーっ!」

「大丈夫か? ――って、心配できた柄じゃないか」

 フラフラとゆれながらも、白峰は彼女に身体を向ける。

 しかし、刀は構えず、真っ直ぐに彼女を見据えるだけだ。

「もういいだろ」

「――――っ!?」

「これ以上はお前も戦えないし、俺も無理だ。諦めて回収してもらえ」

「……勝負、つかないなんて思わなかった」

 少女は何処か呆然とした様子で白峰を見上げていた。

 白峰は肩をすくませ、刀に戻っていない黒竜に跨る。

「勝てない勝負はしない性分だったんだが……まあ、今回ばっかりはどうしようもなかったな。さて、俺はもう帰――」

「――帰らせませんよ」

 凛と、声が響いた。

 同時に、何人もの魔種や越種がその場に現れた。

 少し疲れた顔で、白峰は呟いた。

「……ああ、そういうこか」

「はい、そういうことです」

 黒峰がそこに立っていた。

「お前よぉ……まあいいや」

「よう、久しぶり」

 そこへ気さくな声がかけられ、白峰は顔を上げる。

 見知った友人の顔がそこにあった。

「元気そうで何よりだな」

「お前さんもな」

 そう言って、友人――鳳仁が笑った。

「で、俺は完全に嵌められたってわけか? 鳳」

「正解だ。黒ちゃんがうまい具合に考えて、俺がみんなに指示を出したってワケ」

「……はぁ。ったく、弟子入りしなくても十分戦えるだろ、お前」

 じろりと白峰は黒峰を睨んだ。

「魔法と戦えるかは別問題ですよ、師匠」

 それを黒峰はにこりと笑って受け流す。

「で、俺はこれから殺されるってわけか?」

「いえ、それも可哀想なのでぼろぼろに疲労している今のうちに捕獲して薬漬けにして、魔法の技術やらなにやら吐いてもらおうかと」

「……鬼か」

 呆れた様子で白峰が呟くのを、見て、鳳が笑った。

「女の子に手加減しないお前が悪いな」

「ほっとけ」

「…………にい、さん」

 地面に倒れ伏していた少女――鳳朱音がか細い声を上げる。

「大丈夫か、朱音」

「う、ん……。……ごめんなさい、殺せなかった」

「まあ、念のために俺達も出張ってたんだし、気にすんな」

 なでなでと朱音の頭を仁が優しく撫でる。

 そんな二人を尻目に、白峰と黒峰は会話を続ける。

「……はあ。やっぱ勝てない勝負には手を出すもんじゃないな。ロクな目に会わない」

「大人しく捕まれば、痛くはしませんよ?」

「捕まるのも御免だがな」

「諦めません?」

「諦めないな」

 場の空気が一気に緊張したものに切り替わる。

「あー、すまん、俺帰っていいか? 朱音回収しに来ただけだし」

「あ、はい、すいません。お疲れ様でーす」

「…………」

 白峰がため息をつくと、はっとしたように、黒峰がこちらに向き直る。

「そ、それでは覚悟してもらいますよ!」

「俺も帰りたいんだが?」

「帰しませんって」

 魔法が次々に放たれる。

 それを白峰は障壁で全てはじき返す。

 あれだけの魔法を放った後だと言うのに、まったくその障壁に衰えは見えない。

「まだそんな魔力が残っていましたか」

「まあ、な」

「でも観念してもらいます!」

 黒峰が詠唱を開始する。

「――――翔けろ、蒼炎!」

 蒼い炎が奔る。

 障壁を食い破り、白峰に殺到するが――

「はっ」

 刀であっさりと薙ぎ払われる。

「――――奔れ、紫電!」

 さらに紫電が放たれるも――

「防げ」

 あっさりと多重で展開された障壁に弾かれる。

 黒峰は、自分の魔法が通じないことに、少し悔しそうな顔をしつつも、その口元には勝利を確信した笑みを浮かべた。

「どれも決定打にはなりませんか。ですが、このまま消耗させれば、幾ら師匠と言えども……!」

「悪いな、付き合ってやる気はないんだ」

 黒竜が跳んだ。その間も障壁を展開し、全ての魔法を防ぎ続ける。

「あ! ま、待ってください!」

「待たねーよ。……後は頼んだぞ――」

 白峰のコートから、黒い影が飛び出す。

「――夕鬼」

 その名を呼ばれるのと同時に、人影が地面に着地した。

「あ……」

 黒峰は、その人影を見て、動きを止める。

 他の組織の面子も同様だった。

「せん、ぱい…………?」

「久しぶりだな、直美」

「うそ……? なんで……?」

「……驚くのは分るが、程々にしろ。今は――」

 夕鬼と呼ばれた人影――黒い服をまとった、白峰が殺したはずの女性は、一気に、黒峰までの距離を詰めた。

「――殺し合いの真っ最中だ」

 手には、白銀の剣。それが命を狩ろうと、凶器の鋭さで、黒峰の心臓を貫こうとしていた。

「――!」

 咄嗟に、白峰のモノと同じ刀でそれを受け止める。しかし、威力を殺しきれず、そのまま後ろへ弾き飛ばされてしまった。

「……まったく、驚くと隙だらけになってしまうのは相変わらずか。鳳のように、ちゃんと相手を良く見て、推測して、尚且つそれを過信しすぎないのが重要だぞ?」

「本当に、先輩なんですか……?」

「ああ、わたしだ」

「でも、師匠に、殺されたハズじゃ……!」

「……確かに殺された。不本意ながら、今じゃ使い魔だ」

「使い、魔?」

「世間一般のそれとは違うらしいが……まあ、そう呼んでもらって差し支えないだろう」

 そう――彼女は使い魔にされたのだ。

 他ならぬ、白峰の手によって。

「人間を――いや、それ以前に意識を保ったまま使い魔にするなんて、そんな魔術も魔法も――」

「あるはずない、か?」

「!」

「――はぁ。まったく。もう少し柔軟に物事を受け止めろ。知識に囚われるな。全知全能なんて、人間には出来ない諸行かもしれない。少なくとも、わたしやお前には無理だ。だから――可能性は零じゃない。何事も、可能かもしれないんだ」

 ありえない事象なんて存在しない。

 ただ実行させられない、などと言う、不確定な可能性で、無しと判断していただけだ。

 彼以外の全員が、そう判断してしまっただけだ。

「かくいうわたしも、まさかこんな形で、この世に留まるとは思っても見なかったが」

 やれやれといった口調で呟き、夕鬼は再び距離を詰める。

 銀色の刃を再び振り下ろされる。

 我に返った他の魔種や越種が夕鬼を攻撃しようとするも――

「お前らは引っ込んでろ」

 魔法で吹き飛ばされ、全員が意識を失ってしまった。

「くっ!」

「ほらほら、しっかり太刀筋を読め。油断したら比喩表現ではなく首が飛ぶぞ?」

「あああっ!」

 気合の声と共に、黒峰が刀を振るう。

「おっ、今のはいい一撃だ。だがな――」

「あぐっ!?」

 柄尻を鳩尾に叩き込まれ、黒峰がうずくまった。

「動作の後に出来る隙が大きすぎるな。そこも改善すれば、もっと良くなる」

「おい、そろそろ戻るぞ」

「少し待て。久しぶりの後輩との会話なんだぞ?」

「……使い魔なんだし、主人の言葉にくらい、従ってもいいだろ」

「……不本意な」

「不本意でも現実だ。諦めろ」

「ちっ……。……直美。次あったら、もっと強くなっていてくれると嬉しいぞ」

「せん、ぱ……」

「さらばだ」

 夕鬼が白峰のコートに戻る。

 同時に黒竜が地を蹴り、ビルの壁面を駆け上がり、そこからは見えなくなってしまった。

「……師匠、化け物、です…………」

 そうとだけ呟いて、黒峰は気絶してしまった。


 ……


「はいはーい、元気してたー?」

 黒竜の背に跨る、白峰、夕鬼、そして――

「瑠璃さん……」

 青い髪をなびかせ、彼女は笑った。

「うまくいったみたいね、直樹」

「ええ、お陰様で」

「おまけに魔力の真髄にまで到達したってワケ?」

「はい」

「流石ね」

「瑠璃さんと比べれば、まだまだですよ」

「あら、わたしと比べたってどうしようもないわよ? わたし、留まることなく強くなっていってるから」

「……無限の真の意味がわかると、そら恐ろしいものがありますね」

「おい、主人、こいつは何だ?」

「こ、こいつって……」

 夕鬼の言い方に、少しいじける瑠璃。

「強いのは分る。それこそ、わたしや主人、朱音ですらどうにもならん程に、な。それで、一体何者なんだ?」

「……間違いなくこの世で最強の人間で、俺の師匠的な人」

「そうか」

 それだけ聞くと、納得した様子で、夕鬼は黙り込んだ。

「……納得、したのか?」

「ああ」

「そうか」

 本当に納得したようで、そのまま黙り込む。

「……変わった子ねー」

「まあ、ほっときましょうか」

「ああ、そうそう、この分だと、神殺しモドキは完成したのよね?」

「はい、なんとか」

「まったく、よくやるものよねー。わたしが出す出力に、一瞬だけでも並ばせるなんて」

「出来なかったら俺、死んでたんでしょう?」

「まあね。死んでたわ」

「……視てきたんですか?」

「ええ、実際現場でね」

 瑠璃は時間を飛び越えることも出来る。

 そして未来を見ることも、その未来に繋がる過去に手を加え、未来を変えてしまうことも、彼女は可能だった。

 時空の超越、そして改竄。無限の魔力を持つ彼女だけが行える、神にも等しい所業だった。

「それで、聞かせてもらいましょうか? あなたの辿り着いた、魔力の真髄を」

「――あくまで、これは俺の推論ですけど、構いませんね? ……魔力だけには限りませんよ。俺達、人間種の持つ、能力――これらは、自然界――いや、世界の持つ存在権限を俺達が譲渡されたもの……そう考えられます」

「うん。その根拠は?」

「……理屈に合わない現象の数々。当然、俺達の知る物理の法則では、測れない代物です。何故こうも違うのか、特殊な臓器があるわけでも、道具の力を借りているワケでもない、俺達が、ですよ。物事には因果があります。原因なき現象は在り得ない。全ての始まりなんて、きっと存在していないんです。何もない、そう思えるのは、観測や推測が及ばないだけで、何かは有る筈なんです」

「……成る程。それで、続きは?」

「その何かが判れば、あるいは俺達の能力が完全に別のものだと判断できるのかもしれません。ただ、俺の辿り着いた答えは、それらを一括りの法則によるものと判断させるものでした。

 ――俺達は在り得ない能力を行使します。魔力、神気、再生、異能……。どれも常識の範疇から逸脱した能力です。それらに全て――いや、俺達の知る物全てに、共通する項目があります」

「……それは?」

「名前と意味です」

「……どういうことか、説明しなさい」

「はい。全てのものは、意味を持ちます。それは俺達の感じ取れる――知り得る範囲での、絶対の法則です」

「うん」

「意味は事実に基づく、絶対の法則で、そして変化し続けるものです。全てに名前が与えられ、それに付随する意味が与えられます。意味と、それを表す名前……二つあわせて、それは説明の付く存在になります。説明の付く存在、というのが、大きなポイントです。意味を――その名前を持つ理由を持たない物は存在しません。それこそ、理由もなく違う名前を持つものは、それこそ意味がない――理由がない代物になってしまいます。理由がない代物は在り得ない。それはなにかの理由が必ずあって、理解できるにしろ出来ないに

しろ、意味があるんです。理由から成り立つ意味は絶対、そして、その意味を表す名前も絶対。……いや、あるいは、名前のほうが強いのかもしれません」

 言葉を区切り、白峰は少し息を吐く。

 そして再び言葉を紡ぐ。

「さっき、説明のつく存在って言いましたけど、説明は意味に付随する要素です。説明出来るということは、それは俺達が知っているということでもあります。認識も、理由に大きく係わる要素です。認識と理由は表裏一体。認識できなければ、理由はあってもないことになってしまう。俺達は認識で世界を形作ります。認識出来ないものは、その主観世界において、存在しないのと同じです。だからこそ、認識によって生まれる意味と名が大きな力を持つわけですが……」

「相変わらず話を長くしちゃう癖は健在ねー」

「そこはどうしようもないので、諦めましょう。……ブーイングが入ったので、本題です。存在とは、認識によって意味と名前を持つことだと俺は考えました。それが俺達の作り上げる主観世界の現実になるのですから。で、存在と意味は同じようなものなので、俺達の持つ能力は、意味の力と言うことになります。ただ、この場合、意味が先行して、その後に理由がくっついてきている形です。つまり、俺達は世界に意味だけを突きつけて存在を強引に引っ張り出している形になっているようです」

「ふむ」

「まあ、元の元を形にするのであれば、こんなものが妥当だと俺は思いますよ。これにさらに細かい要素が絡んだり絡まなかったりするんでしょうけど、俺にはそこまで調べる余裕はないですね。今回の件、上手くいったので、問題はないと思いますよ」

 白峰は言葉を切り、瑠璃に視線を向けた。

「どうです? そこまで的外れじゃないと思いますけど?」

「そうねー。でも、ちょっとメカニズムの部分が説明不足な気がするわ」

「ああ、そこは結局最初の部分と繋がるので。あくまで、俺達の能力は世界の存在権限です。意味をそこに映し出し、それに伴う現象を引き起こす。それらが限定されているというのが、能力の差になっているだけでしょう」

「……そんな感じの認識で、多分間違ってはいないわ。合格ね、直樹」

「ありがとうございます。……ところで、なんで俺にこんな宿題を? 瑠璃さんにとってのメリットが見えませんけど?」

「メリットならあるわよ。見ていたい物語を長続きさせているわけだし」

「……見ていたい物語?」

「そ。わたしにとっては、あなたとあの子の日常は、なかなかに見ていて楽しい代物よ。そうね、わたし達らしからぬ、平穏、とでも言うのかしら? 敵も味方も、そんなもの関係無しに、運命を忘れて、ただただ穏やかで――さしずめ、幻想譚ね。本来在り得ない、でもそれがありえてしまったのが、今のあなた達」

「あの子、ですか?」

「大体察しはつくでしょ?」

 白峰は黙り込んだ。確かに、察しはついている。

「黒姫、ですか」

「そうよ」

「しかし、随分前に分岐点を設けたられと思うんですけど、よくまたこの流れに戻せましたね」

「そりゃ、結構な手間かかったけどねー。見たいもの、やりたいことのために、労力は厭わないわよ」

「流石ですね」

「ま、ルート弄っといてなんだったけど、かなり不安だったのよねー。ヒントばら撒くとか、本当に骨だったわー」

「ありがとうございます。それでも一切そういう雰囲気無しだったのが相変わらず恐ろしいですけど……まあ、そのおかげで今俺は生きていますし」

「感謝なさいな。あの子とあったのは元のルートでも必然だったけど、使い魔の子に手を出して朱音に殺されるのは変わりなかったんだから」

「読み間違うのは決定的でしたか」

「組織の内部事情に詳しいあんたにしては、痛恨だったわよねー」

「いえ、単純に力のある越種じゃなきゃ、仕方なかったんで、当然と言えば、当然の選択だったんですよ。鬼種とか竜種は下手すれば殺されますし、魔種や異種じゃ、余計な影響でそうですし。余計なもののない越種でも、かなり強い方で、組織内の顔を知らない面子となると、そうそういなかったので」

「で、あんまり影響力ないと思ったら、予想以上に組織がお冠でした、と」

「そういうことです。失敗しましたよ」

「とりあえずはもっと情報収集に力を入れることね。最近慢心勝ちになりそうだから。あなたは、幾ら強くても結局はただの魔種だということを忘れちゃ駄目よ」

「肝に銘じます」

「本当にわかってる?」

「わかってますよ。今だってあんなもん撃った所為で、身体があちこち痛いんでね」

「自業自得ね。極種の本気に並ぶ一撃を、あんな距離でぶっ放せば、余波で身体がばらばらになってもおかしくなかったし」

「障壁は念入りな奴を張ったんですけどね」

「足りないわよ、全然」

「そうですか」

 溜息一つ吐いて、また視線を前に戻した。

「俺、これからはそうそう死にかけないんですか?」

「ええ。死にかけはするでしょうけど、滅多にないはずよ。恐らくは、世界で一番幸せに死ねる魔種でしょうね」

「……そうですか」

「あんまり嬉しそうじゃないわねー」

「生かされてるって事を、再認識しただけですよ」

「それは大事ね。さぁわたしのことを崇めなさい。そして今日の夕飯をご馳走しなさい」

「……了解です、瑠璃さん」

「あ、あら? いいの?」

「ちょっとは大人になったってことですよ、俺もね」

「うーん、なんか悔しいわ」

「悔しがる瑠璃さんが見れて、俺は嬉しいですよ」

「まあいいわ。ほら、早くおいしいご飯をご馳走しなさい!」

「はいはい」


 ……


「それで客人がいるというわけか」

「ああ」

 黒姫の質問に、白峰は頷いた。

「ふむ、確か先日あった――」

「瑠璃よ。そう呼んでくれれば構わないわ」

「うむ、瑠璃じゃな。髪の色と同じで、覚えやすいの。どこかの真っ黒とは大違いじゃ」

 彼女の物言いに、白峰は額に手をやった。

「……だから、これは素材色でしかたないって言っただろうが」

「知らん。だったら色の塗りなおしでもすればいいじゃろ」

「残念ながら、塗料なんかを弾くように出来てるんだよ。そもそも血なんかがつかないよに開発されたものだからな」

「なんじゃ、つまらんの」

「何がだよ」

「こっそり後でピンク色にでも塗装しようかと思ったのにのう」

「……ふざけてるのか?」

「真剣じゃぞ? 可愛いではないか」

「……もういい」

 呆れたようにそれだけ言って、白峰は溜息を吐いた。

「ところで、夕餉はなんにするのかの?」

「いつも通りだ」

「なんじゃ、客人が来ておるのにまたれとるとか」

「……他に食うものもないしな」

「……やはり白峰の買い物に付き合ってやる必要があるようじゃの」

「勘弁してくれ」

 黒姫が溜息を吐く。

 瑠璃がその様子を面白そうに眺めていた。

「やっぱり楽しそうねー。終わらせなくて正解だったわ」

「む?」

「気にすんな。この人の科白の内容は知らないほうが絶対に気分がいい」

「うむ?」

「とりあえず、知って得するわけでもない。むしろ損するから聞くな。いいな?」

「う、うむ」

「よし」

「だから、その犬を躾けるような言い方は……あ、頭撫でても、よくないのじゃぞ!」

「わかったわかった」

 なんとも言えない雰囲気の二人を、なんとも言えない表情で見つめて、ポツリと瑠璃が呟いた。

「……なんだろう、すごく場違いな場所に乗り込んだ気がするわ」

「あながち間違ってもいないんじゃないですかね?」

「ああ、うん、帰っていいかな?」

「飯食わせろって言ったのは瑠璃さんでしょう?」

「やっぱりいいわよ。お二人のイチャイチャっぷり見てると、なんとも惨めになってくるわ」

「そうですか。まあ、食費浮くのは助かるんですけど」

「わたし居ないからって、いちゃつくのも程々にしなさいよー?」

「む、帰るのか?」

「ええ、そうよ。黒姫ちゃんも、あんまり直樹に四六時中べったりなのは、どうかと思うわよ」

「むぅ……少しは自重せよ、と言うことかの?」

「まあそんなところ」

「むぅぅ…………」

「そんなに難しく考えなくても……」

「……死活問題じゃからの」

「……余計なことを言っちゃったみたいねー」

 苦笑し、瑠璃は踵を返した。

「じゃあね。風邪とか引かないように、気をつけるのよ」

「はい。それでは」

「またのう。今度はゆっくりと話してみたいものじゃ」

「機会があれば、ね」

 少し笑って、彼女は帰っていった。


 ……


「ところでじゃ、白峰」

「ん?」

「妾達、いちゃついておったかの?」

「さあな。俺はお前と恋人になったつもりは毛頭ないんだが」

「ふむ、それは少し寂しい返答じゃが、つまり、瑠璃には妾達が恋人同士に見えたということかの?」

「そうなんじゃないか?」

「嬉しいのぉ」

「……そうかい」

「な、なんじゃ、不満か?」

「いや、何にも不満じゃないが?」

「不満そうじゃ。不満そうにしか聞こえんわ」

「気のせいだろう」

「絶対に気のせいではないのじゃ!」

「気のせいだ。それともお前は、俺がお前が嫌いなほうがいいのか?」

「っ!? そんなワケがなかろう!」

「なら、わざわざそんなことを確認取らなくていいだろ」

「うぅぅぅ〜……」

「大体、俺はそうじゃないっていったんだから、信じてくれれば……」

「わかっておるのじゃ! ……そんなこと、わかっておるのじゃ」

「……ああ」

「それでも、その、なんというか、変に意地になってしまって……悪かったと思っておるのじゃ」

「……そうか」

「う、うむ……すまぬ。白峰。あのような意地は、張るものではないな」

「わかればいい」

「ああ、わかったのじゃ」

「ところでだ」

「なんじゃ?」

「夕飯どうする? レトルトで出せる範囲ならリクエストに答えてやる」

「おお! 真か!? ならチーズ入りのハンバーグじゃ! あれは美味かったからから、また食べたかったのじゃ!」

「了解」

「ありがとうじゃ白峰ー!」

「ああ」


 ……


 黒姫のリクエスト通り、今夜は少しだけ値の張る、チーズの入ったハンバーグがメインである。

「むふふ……」

「嬉しそうで何よりだな」

「うむ! 嬉しいのじゃ! そして美味いのじゃ!」

「そうか」

 白峰はささっと自分の分を食べ終わり、のんびりと黒姫がハンバーグをぱくつくのを見ている。

「ところで、だ」

「んむ……なんじゃ?」

「お前、新しい服とか欲しくないのか?」

「む?」

「その黒い着物だけでいいのか?」

 黒い着物は以前白峰が黒姫にあげた、黒い獣製の着物である。

 ちなみに性質的には白峰のコートや刀と同じなので、何日着ても汚れるということはない。汚れたとしても、獣が体内に取り込んでエネルギーに変換してしまう。

「むぅ、あまり考えたことがなかったのう」

 黒姫が少しだけ困ったような顔をする。

「妾が与えられた服はお主が破いた白装束のみじゃったからのう……」

 黒姫は忌み子として扱われていたため、姫としての身の振り方を学んでこそいるが、その実、普通なら与えられるものも与えられていなかった。

 そのことを思い出し、白峰は苦りきった顔をした。

「……そうだった、な」

「うむ。あまり多くの服を持つ、ということを想像できんのじゃよ」

「……着てみたい服とか、ないのか?」

「よく判らん。それに、服は高いじゃろ? 妾は居候じゃ。そこまでの贅沢は、白峰に申し訳ないのじゃ」

「そうか」

「なにより、この着物――子猫は気に入っておるからの。寝る時に妾の上で丸くなって眠るのが、愛らしくてたまらんのじゃ!」

「……ああ」

「この子がおれば、そうそう不満はないのじゃ。むしろ、この子と離れるのは寂しいからの」

「なら、いいさ」

 少しだけ笑った彼を、真っ直ぐに黒姫は見つめる。

「……のう、白峰」

「ん?」

「むしろお主は何かしたいことはないのか?」

「なんだよ、いきなり」

「お主に前も妾は言ったな。枯れておる、と」

「ああ」

「未だに、お主が何が好きで、何がしたいのか……まったく判らんのじゃ」

「そうか」

「いつもいつも、やらなくてはいけない事に囚われているようにも見える」

「多分間違ってないんだろうな」

「もしもじゃ、お主に恋人を殺せ、等とどうしても受けなければいけない命が来たら、お主はどうするのじゃ?」

「殺すだろうさ。その後で多分、おもいっきり泣く」

「……馬鹿か?」

 全身全霊がこめられているだろう、その一言に、白峰は笑った。

「馬鹿なんだよ、俺は」

「馬鹿も馬鹿でも大馬鹿ものじゃな、お主は」

「そうだな」

「己の欲を優先することを、お主は良しとはしないわけか?」

「仕事一筋っつー言い方も出来る」

「一筋で犠牲にするにも、限度があるじゃろうに……」

「そこら辺のブレーキは知らんな」

「ロクな死に方はせんな、お主」

「さて、な。あるいは仕事が無くなれば、じゃないのか? 無理だと思うが」

「無理じゃな。お主――もとい、妾達がこの世界の理から外れられるのは。社会が妾達を便利な消耗品としてしか扱わぬのなら、お主の仕事がなくなることもありえぬ話じゃ」

「ああ、その通りだ」

「社会をひっくり返せるような力も持っておらん。妾達にはどうしようもない、というわけじゃな、お主の仕事に対する意識は」

「そういうことだよ。願うなら、俺の仕事にそういうのが混じらないのが一番だがな」

「恐らくは大丈夫じゃろう、お主が読み違えぬ限りは、じゃが。お主の仕事は提示されたものから、自分で選び取っておるのじゃろう?」

「ああ」

「ならうまく立ち回るしかなかろう」

「その通りだな」

「まったく、その姿勢を変えるという考えは、お主には……」

「勿論無いさ」

「……じゃろうな」

 呆れたように、黒姫は溜息を吐く。

「なにがそうまで仕事にお主を縛り付けるのじゃ?」

「うん?」

「仕事が楽しいわけではなかろう?」

「当たり前だろ。人殺しが楽しいと思えるほど、狂っちゃいない」

「それを聞いて少しばかり安心……出来んな。見返りもさしてないこの仕事に対するその姿勢、ますます理解できぬからの」

「これしかない。だから打ち込む、そんな感じかもな」

「これしかない、とな?」

「ああ。俺達はいずれ死ぬ。普通には生きていけやしない。恐らくは誰かに殺されてで、それは早いか遅いかの差でしかない。だから、他の人間みたいな生き方は出来ない」

「うむ」

「だから仕事に打ち込む。これだけは避けられない。どうやっても俺達は自分の仕事はこなしていかなくちゃいけない。これしか全うに、俺たちがこなせることが無い」

「ううむ……」

「多分、そんな訳だ」

「それでお主はよいのか?」

「ああ」

「本当の本当にか?」

「ああ」

「本当の本当の本当にか!?」

「ああ」

「……やれやれじゃ」

「何がだよ」

「お主のアホさ加減じゃ」

「はぁ?」

「お主、人生舐めすぎじゃ!」

「……人生ほぼ土の下に言われたくは無いんだが」

「五月蝿いのじゃ。貴様のように、張り合いのない生活を送るより、余程マシじゃ!」

「張り合いの無い、ねぇ」

「あるもので満足じゃと……? そんな生き方でなんになる、そんな人生がなんになる!」

「……柄にもなく熱いじゃねーの」

「人生を楽しめぬ者は何人もいる! それも、本人がそれを望んでおるのにもかかわらずじゃ! なのに、長く楽しめない? 普通じゃない? そんな理由で可能性を蹴っ飛ばすのは納得がいかんのじゃ!」

「……失敗してもいいからやってみろ。……お前はそういいたいのか?」

「うむ!」

「あのなぁ……」

「やってみなければ分らんことは多い! 子供の理屈かもしれんがの、妾はそう間違っておるとも思わん。……やってみることの方が、何もしないより百倍楽しいしの!」

「……成る程な」

「分ってくれたかの?」

「言いたいことは判った。……考えてみるさ、俺なりに、俺のやりたい事を」

「それでよいのじゃ!」

 何故か偉そうに胸を張る彼女の笑顔が、彼には、やはりとても眩しく感じられた。

 人は生きる。

 人は死ぬ。

 社会にその形を定められた彼ら。

 そこから魔法使いが呼び起こした幻想譚。

 彼らはその生死の鎖から解き放たれ、有り得ない幻想を生きる。

 彼らは今まで笑っていたのだろうか?

 泣いていたのだろうか?

 それらは結局、彼らの胸の中の話である。

 魔法使いの望みどおり。

 彼らは、幸せに死んでいくのかもしれない。

 月姫を知っているなら、何人かのキャラの元ネタが判るかと……。

 同年代だと、ネロって言ったら赤セイバーなんですよ……。

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[良い点] 面白い人間模様で会話が回っていて素晴らしかったです<(_ _)> 対話形式を取ることで地の文を抜いた台詞(……科白?)回しでも説明不足を思わせない面白いシチュエーションを生み出していて素…
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