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第二話 春朗(しゅんろう)と北斎と卍(まんじ)と 〈8〉

 後期江戸読本(よみほん)嚆矢(こうし)とされるのが、山東京伝(さんとうきょうでん)忠臣水滸伝(ちゅうしんすいこでん)』(寛政11~享和元[1799~1801]年)だそうだ。


 もともと、読本(よみほん)の作者は古典籍に造詣(ぞうけい)のふかい知識人が多かったと云う。


 そのため、物語こそ空想歴史アクション(ファンタジー)だが、草双紙(くさぞうし)(黄表紙)、洒落(しゃれ)本、滑稽(こっけい)本などとよばれるものより、文体が硬質(こうしつ)で文学性も高いとされている。


「江戸庶民の感覚からすると、おもしろそうだけどむずかしそうって感じだったんだよ。敷居が高いって云うか、とっつきにくいって云うか」


 そう云う気分はわかる。ぼくもイラストのない小説は息がつまるような気がしてとっつきにくい。世界の名作とか日本の名作とか云われるのも、むずかしそうでとっつきにくい。


「子どもなんかだとイラストのない本よりイラストのある方が手にとりやすいし、イラストで本を選んだりするじゃん?」


 ……すいません、それはぼくのことです。て云うか、外見が完全にお子さまのみさごさんにだけは云われたくない。


「前期上方読本(かみがたよみほん)にも、まったくイラストがないわけじゃないんだけど、そんなにうまくないしインパクトも弱いんだよね」


 泉がぼくに説明してくれた。


 文化2[1805]年に北斎と曲亭馬琴(きょくていばきん)が2度目のタッグをくんだ『新編水滸画伝(すいこがでん)』は、過去に翻訳(ほんやく)された2冊の『水滸伝(すいこでん)』をもとに新しく翻訳しなおした作品である。


 題名に「水滸〝画〟伝」とあるように、いわば読本(よみほん)の原点とも云える『水滸伝(すいこでん)』を北斎のイラストで紹介する目的だったのだろう。


 読本(よみほん)読者拡充作戦である。


「「伏魔殿(ふくまでん)(こわれ)て百八の悪星(あくせい)世に(いず)」って云う見ひらきのイラストなんて、ほとんど大友克洋(おおともかつひろ)『AKIRA』だよ」


 ほとばしる黒い光によって破壊される伏魔殿(ふくまでん)のざんがいが緻密(ちみつ)に描かれていて、黒い光の影から薄墨(うすずみ)で妖魔が見えかくれしている。黒い光の中心は薄茶色(うすちゃいろ)でほのかに赤い。


読本挿絵(よみほんさしえ)は基本モノクロなんだけど、北斎は薄墨(うすずみ)を使って今のマンガで云うスクリーントーンみたいな効果を出しててカッコイイんだよ」


 北斎は薄墨(うすずみ)をたんなるベタ(ぬりつぶし)として利用するのではなく、雨風や炎や煙、幽霊や妖魔を幻想的に表現した。


 この技法はのちに歌川国芳(くによし)も、武者絵の浮世絵版画で効果的に活用している。


「で、北斎と馬琴(ばきん)3度目のタッグとなる『鎮西八郎為朝(ちんぜいはちろうためとも)外伝 椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)』5編29冊(文化4~5[1807~08]年)が大ヒットして、北斎と馬琴(ばきん)は不動の人気をえたんだよ」


 読本(よみほん)読者拡充作戦大成功の巻である。


 ただし、安い黄表紙と異なり、高価だった読本(よみほん)は爆発的に売れたのではなく、貸本屋をとおして大勢の読者を獲得したらしい。


 一般に『椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)』とよばれるこの作品は、保元(ほうげん)の乱(保元元[1156]年)で敗れた崇徳(すとく)上皇側について伊豆大島へ配流された武将・源為朝(みなもとためとも)(通称・鎮西八郎(ちんぜいはちろう))の後日談である。


 大島を平定し九州へもどった源為朝(ためとも)が、ふたたび大島へむかう途中で暴風雨にあって琉球(りゅうきゅう)へ漂着したと云う前・後編はおおむね史実であるらしい。


 外伝と云っても、セクシーコマンドー外伝的なノリとはちょっとちがう。


 この前・後編の大ヒットをうけて書かれた続編・拾遺(しゅうい)編・残編は、内乱中の琉球を源為朝(ためとも)が平定し、琉球王の娘と結婚すると云う完全なフィクションだそうだ。


 ついでに云うと「椿説(ちんせつ)」とは「珍説」のことで、源為朝(ためとも)の配流された大島名産の椿とかけたシャレであろう。


「今の本ってだいたい毎月新刊が出るけど、当時の本(黄表紙や読本(よみほん)など)って、ほとんど年1回、お正月一斉発売だったんだよ」


「そうなんですか?」


 それは知らなかった。


「『椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)』前・後編は文化4年と5年のお正月に出てるんだけど、続編は文化5年12月。つづきを待ちきれない読者のあなたへ1ヶ月はやくおとどけ! みたいな?」


「……貸本屋の前に徹夜組が列をつくって待ってたりして?」


 みさごさんの言葉をうけて泉が冗談を云った。


「……『ドラクエ』とか『i phone』新作発売前夜じゃあるまいし」


 それくらい人気があったと思ってよいのかもしれない。ちなみに拾遺(しゅうい)編・残編も正月以外の月に出ている。


 文化4[1807]年の正月には5つの版元(出版社)から、馬琴(ばきん)と北斎コンビの読本(よみほん)が7タイトルも出版されている。


苅萱後伝(かるかやこうでん)玉櫛笥(たまのくしげ)』(3冊)

敵討(かたきうち)裏見葛葉(うらみくずのは)』(5冊)

新累解脱(しんるいげだつ)物語』(5冊)

『そのゝゆき 前篇』(5冊)

『新編水滸画伝(すいこがでん) 初編後帙(こうちつ)』(5冊)

鎮西八郎為朝(ちんぜいはちろうためとも)外伝 椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき) 前篇』(6冊)

『隅田川梅柳(ばいりゅう)新書』(6冊)

 計35冊。

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