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第二話 春朗(しゅんろう)と北斎と卍(まんじ)と 〈7〉

「……粋なあそび心って云えば、北斎の洋風版画もおもしろいじゃないですか。あれって〈宗理(そうり)期〉と〈北斎期〉の間くらいじゃありませんでしたっけ?」


 北斎っておもしろいことを考えていたんだなあと感心したシリーズだ。


「お? やるじゃん、司ちゃん。ポイントをうばいかえしにきたね?」


 なんのポイントなんだか。


「文化年間初期[1804~07]の摺物(すりもの)や『銅版近江八景』『阿蘭陀画鏡(オランダえかがみ) 江戸八景』(文化年間[1804~16])なんかですね」


 泉がみさごさんへ確認しながら、横目でぼくを見て満足げにうなづいた。さっするに「このコやればできるんです」的母親目線である。


「ほんとは銅版画じゃなくて、バリバリ木版画なんだけどね」


 泉の言葉にみさごさんが笑った。


 クラッキングタイル(石垣?)風とかの(がく)にかこまれた風景画で、いかにも洋風版画っぽく強めの陰影をほどこしたりしている摺物(すりもの)のシリーズだ。


 絵の題名も筆記体のアルファベット風にみせるため、たて書きの文字を横にねかせている。


 もともとは狂歌摺物(きょうかすりもの)だったものが『画本東都遊(えほん とうとあそび)』みたいに狂歌を削除したかたちで描きなおして販売されたものもある。


『おしをくりはとうつうせんのづ(押送り波濤通船の図)』は『富嶽(ふがく)三十六景 神奈川沖浪裏(かながわおきのなみうら)』そっくりの構図だったりする。


 ついでに云うと「おしをくり」と云うのは()をこぐ押送(おしおくり)船とよばれた運搬船のことだ。


 房総とか江戸近海の鮮魚を江戸へ輸送するための船だったらしい。


「『銅版近江八景』や『阿蘭陀画鏡(オランダえかがみ) 江戸八景』は、銅版画のエッチングの線描を表現していたりしておもしろいですよね」


「今ぱっと見てもおもしろいんだから、当時のインパクトはさらなりコロスケなり」


「北斎の自信みたいなものを感じます。オレはこんなのも描けるんだぞ、どうだ! みたいな」


挿絵(By みてみん)


宗理(そうり)あらため北斎の〈宗理(そうり)末期〉から〈北斎期〉への過渡期ってさ、プロ野球投手の松坂大輔風に云うと「自信が確信にかわった」感があるよね。ふつうの絵師なら勝川派に破門されて仕事を干された時点でおわっちゃうもの」


「ピンチをチャンスにかえたみたいな、ですか?」


「俵屋宗理(そうり)号を継いだのはラッキーだったよね。運が味方してくれたかもかもだけど、めげずによりいっそう精進していたからこそ結果がついてきたんだろうなって」


 中学の陸上部顧問(こもん)がよく云っていた。


天賦(てんぷ)の才にすがって努力しないやつはいずれダメになるが、毎日コツコツ努力できるやつは時間がかかっても必ず成功する。努力のしかたさえまちがっていなければ、ちゃんと結果は出る」


 ぼくはこの言葉を信じてがんばってきたからインターミドル8位入賞をはたすことができた。


 上には上がいるため現状に満足しているわけではないが、ここまでのぼってきたことに意義がある。まだまだ上にいける可能性があることを上位の人たちは証明しているのだから。


 今は車イス生活だけど、ケガが完治したら前よりもっと強く速くなってみせる。


 泉とみさごさんの会話をききながら、ぼくは意思がしっかりしていれば美術館部での経験も今後の陸上人生で意味のあるものになるかもしれないと思った。


 ……どう云うかたちで意味のあるものになるのかは、まったくわからないけれど。



    6



「〈北斎期〉は読本挿絵(よみほんさしえ)の時代ですね」


曲亭馬琴(きょくてい ばきん)との蜜月(みつげつ)期だね」


 曲亭馬琴(きょくてい ばきん)(明和4~嘉永元[1767~1848]年)は江戸時代を代表する読本(よみほん)作家だ。


 代表作の『南総里見八犬伝(なんそうさとみはっけんでん)』98巻106冊(文化10~天14[1813~1841]年)は、完成まで28年もの歳月をかけた大作である。


 晩年は失明し、口述筆記でこの物語を完成させたと云うからすごい。


 ちなみに、98巻106冊と云うのは、98話(巻)の物語を106冊で書いたと云うことだ。かならずしも1冊で1話(巻)完結と云うわけではない。


 文化2[1805]年、46歳の北斎は、ぼくらのよく知る葛飾北斎と云う画号を使用する。


 これまで摺物(すりもの)・狂歌絵本・肉筆画を中心に制作していた北斎のメインが読本挿絵(よみほんさしえ)にうつる。


 読本(よみほん)とはざっくり云うと、江戸時代に書かれた伝奇小説(アクションファンタジー小説)のことだ。5冊1セットが基本だったらしい。


 最初は関西、すなわち上方(かみがた)(おこ)ったので「前期上方読本(かみがたよみほん)」、のちに江戸で流行したものを「後期江戸読本(よみほん)」とよぶ。


 前期上方読本(かみがたよみほん)の代表作が、上田秋成(うえだ あきなり)雨月(うげつ)物語』(安永5[1776]年)や、建部綾足(たてべ あやたり)本朝水滸伝(ほんちょうすいこでん)』(安永2[1773]年)だそうだ。


本朝水滸伝(ほんちょうすいこでん)』はともかく『雨月物語』は日本史か文学史なにかできいたおぼえがある。


「むかし、溝口健二(みぞぐち けんじ)の映画『雨月物語』(昭和28[1953]年)が、ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞を獲ってたりもするしね。でも、みさごは上田秋成なら『春雨物語』(文化5[1808]年)の方が好きなんだよ」


「あ! 私もです」


 泉がみさごさんの意見に賛同した。どちらも読んだことのないぼくは蚊帳(かや)の外である。


 ……て云うか、みんなふつうに読んだことあるのか? 春雨って麻婆春雨(マーボーはるさめ)の春雨とかじゃないよな?

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