第二話 春朗(しゅんろう)と北斎と卍(まんじ)と 〈6〉
『画本東都遊』3冊(享和2[1802]年)は、北斎改名の翌年に出版されたモノクロの狂歌絵本『東遊』(寛政11[1799]年)のリニューアル本である。
471首の狂歌に29図の江戸名所と風俗を描いた『東遊』から狂歌が削除され、色刷り(ようするにカラー版)の分冊で出版された。
狂歌人気にあやかったそえものとしての絵ではなく、絵のクオリティが狂歌をこえたと云うことだ。
筆ではなく丸ペンで描いたかのような精緻さにおどろく(彫り師の技術力の高さにもよるけど)。
写楽の作品を出版した蔦屋重三郎の耕書堂(絵草紙屋)の店先を描いた絵もあり、史料としての価値も高い。
「長崎屋とオランダ人も描かれていますよね?」
泉が意味ありげに訊いた。その言葉にみさごさんがニヤリと笑ってぼくの顔を見た。
「第五問。北斎が宗理号を門人へゆずった寛政10[1798]年春ころ、北斎に風俗絵巻を依頼したとされるのは、だれちゃん?」
「オランダ人のカピタンですよね?」
泉がオランダ人を話題にしていたのだから、オランダ人に決まっている。
「う、じゃあカピタンってなに? て云うか、だれ?」
しまった。ものの本にカピタンとしか書いていなかったから、カピタンとしかおぼえていなかった。ノンタンとかそう云う感じじゃないよな?
言葉につまったぼくを、してやったりの表情でみさごさんが見下した。
「司ちゃんはまだまだ資料の読み方があさいようだね。カピタンを英語読みすると?」
……カピタンを英語読み?
「キャプテン? 船長ですか?」
「ざんねーん! たしかにオランダ貿易船の船長のこともカピタンって云うんだけど、この場合は長崎にいたオランダ商館長のことなんだよ」
ひっかけとはあざとい。
「長崎屋って云うのは、日本橋にあった外国人専用の宿泊施設なの。当時は外国人が自由に江戸の町を歩きまわることはできなかったんだよ。それで日本人の一生や風俗を知りたいと思ったオランダ商館長が北斎へ絵巻を依頼したんだって」
泉が補足した。
『画本東都遊』(『東遊』)には、めずらしいオランダ人たちをひと目見ようと、やじ馬たちが長崎屋の窓の外へ集まっているようすが描かれている。
「北斎の描いたとされる風俗絵巻が現存しないから、このエピソードもウラがとれてないんだけど、カピタンたちとかかわりがあったからこそ描き入れたひとコマって感じはするよね」
のちのシーボルト事件でもあきらかなように、日本の情報を海外へ持っていくのはタブーだった。
幕府の御用絵師である狩野派ではなく、オーダーメイド専門の町絵師である北斎に白羽の矢がたったのは当然と云えよう。
「で『画本東都遊』に話をもどすと、北斎の江戸名所と市井の風俗を描いた狂歌絵本は大あたりして『東都名所一覧』とか『美やこどり』(隅田川の1年を描く)とか『絵本隅田川 両岸一覧』とか『百囀』とか似たようなものをバンバカ出すんだよ」
「『絵本隅田川 両岸一覧』はみごとですよね」
「うん、有名だね」
泉の言葉にみさごさんがうなづいた。
「そうなんですか?」
浮世絵とか肉筆画の図版はいろいろ見られるが、版本の挿絵となると全部掲載されているものは少なくて、抜粋みたいなかたちで見るしかない。
この美術館部にはすべての北斎図版がデジタル化されているが、あまりにも量が多すぎて目をとおすだけでも大変だ。だから北斎の版本作品はいまいちよく知らない。
「『絵本隅田川 両岸一覧』は隅田川から吉原までを1枚つづきの絵巻形式にしちゃったんだよ。北斎の粋なあそび心と、それを作品としてまとめあげる腕がすごいよね」
ひらたく云うと、巻物を本にした感じだ。
「なんかこのあたりにもカピタンから依頼された風俗絵巻の影響が出てると思わない?」
カピタンが北斎へ依頼したのは江戸町人の男女が生まれてから死ぬまでを一巻ずつ描いたものと云われている。
そのため、カピタンの風俗絵巻の図版をそのまま利用したことはないだろうが、絵巻の制作をとおして江戸名所絵に市井の風俗をクローズアップしたり、絵巻形式の狂歌絵本を描く着想を得たのではないか? と云うのがみさごさんの推論だ。
「みさごさん、すごいです! 私ぜんぜん気づきませんでした」
泉が感嘆した。