第五話 波と雪と富士山と 〈5〉
「どうかしたのか、神崎司?」
知らず声が大きくなっていたらしい。黛さんたちがぼくのまわりに集まってきた。
「なに興奮してるの? ひょっとして淡井さんとの情事を反芻しているんだね?」
「つ、司ちゃん!?」
みさごさんの言葉を真にうけた泉が語気荒くつめよる。
「情事なんてないだろ。ちがいます。すごいことに気づいたんです」
「なあに?」
「『富嶽三十六景 神奈川沖浪裏』は、北斎が1枚の絵でアニメーション的な表現に挑戦した作品なんじゃないかって」
「はにゃ?」
ぼくの言葉にみんなそろって首をかしげた。いやもうホントわかりにくくてすいません。
「この作品って波の動きにあわせて右から左に見ていくじゃないですか?」
「たしかに波の動きと船の配置で視点をぐるっと誘導して最終的に富士山へもっていくようにはなってるけど」
夏希さんが怪訝な顔でうなづく。
「たとえば、アニメでかぼちゃが馬車になったり、ネズミが白馬へかわったりしますよね?」
「いつの時代のアニメよ」
「変身って云うか変化する感じ?」
上埜さんがツッコミを入れて、泉が要約した。
「うん。この作品は手前の小波が富士山へ、大波が雲へ変化していくようすを描いているんです。大波からほとばしる波しぶきの白い点々を見てください」
みんなが『神奈川沖浪裏』をのぞきこむ。
「富士山にだけ注目すると波しぶきが富士山へ降る雪にかわるんです」
富士山の背景が黒くぬりつぶされているため、波しぶきが夜の富士山へ降る雪のように見えるのだ。
「……ホントだ。うっわ。鳥肌立った」
瞠目した夏希さんが腕をさすり、みんなも息を呑んだ。
「4コママンガって云うんですかね? 右から順番に船を追っていくと、4コマ目で小波が富士山、大波が雲、波しぶきが雪にかわっておわるんです」
「……異時同図法」
高城さんがつぶやいた。
異時同図法とは、ひとつの画面に異なる時間の場面を描いたものだ。
古い例では、法隆寺の『玉虫厨子』(7世紀中ごろ)に描かれた「捨身飼虎図」や、絵巻『伴大納言絵詞』(12世紀後半)にそう云った表現を見ることができる。
「そう考えると、この作品って昼から夜への時間経過まで描いていると云えませんか?」
泉がみんなへ訊ねた。
「全体的には夜の光景を描いたように見えませんが、富士山だけに注目すると夜の光景にしか見えませんものね」
「暗転する感じなのね」
淡井さんの言葉に小早川さんも同意する。
「動から静へのダイナミズムもある。荒れくるう波の動と、夜に音もなく降りしきる雪の静けさ。メタモルフォーゼする波。昼から夜への移行。それらを1枚の小さな絵のなかで北斎は完璧に表現しきっていると云うのか……」
黛さんが感嘆した。
「驚異の冴えなんだよ、司ちゃん。今はこうやって額に飾って見せる浮世絵版画だけど、当時は安いイラストで、手にとって好きなように見てたんだから、よけいにそう云った感覚は強かったはずなんだよ」
みさごさんが興奮した口調で云った。
「ちょっと、神崎くん、あんた何者なの? だれでも知ってる作品だけどそこまで読みこんだ研究者とか今までひとりもいないよ」
上埜さんが本気でおどろいていた。上埜さんだけでなくみんなもおどろいていた。そこまでおどろかれていることにぼくもおどろいた。
「いや、ぼくも図版で見ていた時はぜんぜん気づかなかったんだけど、実物をじっくりながめていたら気がついたって云うか」
マンガを読んでいて、背景のすみに小さく描かれた(物語とは無関係の)かくれキャラをさがす感覚に近いだろうか?
「己の不明を恥じ入るばかりだ、神崎司。以前、わかった気になっているのが一番こわいと云ったが、私自身のことではないか。……しかし、つくづく美術とはおもしろいものだな」
「みさごは前々から思っていたんだよ。司ちゃんはタダ者じゃないって。逆の意味で」
「それってダメってことじゃないですか」
美術とか勉強に関してはまったくそのとおりですけど。
「みさごさん。複製木版画の浮世絵を用意して、浮世絵を手にとって見られるコーナーをつくってみたらどうでしょう?」
淡井さんが提案した。
「……そうだね。レストラン『水羊亭』のテーブルで複製浮世絵が見られるようにすれば〈北斎ランチ〉の注文もふえそうだし、複製木版画の売り上げも伸びるかもかもって業者にかけあえば、タダで用意してもらえるかもしれないんだよ」
ぬっふっふと肩をゆらしてぶきみに笑うみさごさんが、淡井さんの「来館者に美術観賞を楽しんでもらわんとする純粋な提案」を「金もうけの算段」として了承した。
「出た。燃える商魂・都大路みさご」
「……守銭奴」
上埜さんと高城さんがつぶやいた。
「それと……」
みさごさんがパンと手をたたくとぼくにむきなおって云った。
「司ちゃん、今の発見はおもしろかったから、解説パネルとリーフレットつくろう! 文章書いて」
「えっ、ぼくがですか? ムリですよ。解説文なんて書いたことありませんし」
「司ちゃんが気づいたんだから、司ちゃんが書かなくてどうすんの? 泉ちゃん手伝ってあげて」
「はい!」
困惑するぼくをよそに、泉がうれしげに返事をした。
「私も手伝おう、神崎司。なに30分もあればおわるさ」
「ムリムリ、ぜったいムリですって」
〈アルテ・バッジ〉の才媛・黛さんと一緒にしないでください。今からはじめても今日中に書きあげる自信はありません。
「司ちゃん、リーフレットのデザインはまかしといて。おねえさんがかっこいいのをどぴゅっ! とつくってあ・げ・る」
夏希さんが云った。だから擬音がおかしいです。
「小早川さんは、司ちゃんがつかれたら、そのおっぱいで司ちゃんの顔をぱふぱふして元気を回復させてあげるのよ!」
「はい! ……ってそんなことできるわけないじゃないですか!?」
夏希さんの言葉に小早川さんがみごとなノリツッコミをみせた。意外な才能をかいまみた気がする。ぼくの顔を恥じらうようにぬすみ見る小早川さんと目があった。
「……もう、バカ!」
小早川さんは顔を真っ赤にすると怒ったように背をむけた。だからぼくがなにをしたと云うのだろう?
「時間がないから司ちゃんはさっそく執筆にとりかかるんだよ。ほかの人は午后1時までのんびりお昼休みぴょん」
「それじゃ司ちゃん、部室へもどりましょ」
泉がぼくの車イスのうしろへまわろうとしたら、黛さんが車イスの介助者用グリップに手をかけて云った。
「今回は私が押すと云っただろう?」
「え、でも……」
なにか云いたげな泉を尻目に夏希さんが云った。
「しょうがないなあ。それじゃ私が司ちゃんのひざの上に座るから、ちゃんと押すのよマユノ」
「座るな。ひとりでさくさく歩け。……それじゃいこうか、神崎司」
「わかりました。お願いします」
「うむ」
黛さんに車イスを押されてぼくたちは学芸員室へむかった。
『葛飾北斎展』開催まであと3日。陸上部員としての熱い夏は不本意なケガでおわったが、美術館部員としての熱い夏はまだまだおわりそうにない。
【第五話 おわり】
この物語はフィクションであり、モデルになった学園や美術館は存在しません。……なんてわざわざ云う必要ありませんよね(笑)?
美術鑑賞のおもしろさをつめこんだライトノベルが書きたい! と云うわけで、今回は葛飾北斎の生涯と作品についてご紹介させていただきました。
北斎初心者の方にお楽しみいただけるよう心をくだいて書きましたが、一般的な北斎関連書籍に書かれていない新知見・新解釈をもりこんでおりますので、北斎ファンの方にも充分お楽しみいただけるかと思います。
一応、ご紹介している作品の雰囲気だけでも伝えようと、がんばってイラストを描きましたが、やっぱり本物、あわよくば図版で作品をご鑑賞いただきたいところ。
「第五話」にも書きましたが、やっぱり本物を観てみなければわからない感動とか発見ってあるんです。
印刷技術が発達したと云っても、画集と本物では色も異なりますし、作品の大きさでずいぶん印象のかわるものもあります。
とは云え、作品によってはなかなか本物を観る機会がないものも少なくありません。ひとまず画像を検索されたり、かたわらに画集など置きながら、ご笑読いただければさいわいです。
「第四話」に登場した剣道部員の佐倉心太は、家庭の事情で秋口には転校されたようです。
『退儺師アスカ I』(http://ncode.syosetu.com/n5517dc/)には、その後の彼も登場いたしますので、あわせてご笑読いただければさいわいです。
……もっとも『退儺師アスカ I』は、異能をもった障碍者美少女コンビ+1が活躍する「痛快美少女アクションファンタジー小説」なので、美術とはまったく関係ありませんが。
また、美術史の常識・定説をくつがえすマニアックな純系美術ミステリが読みたい! と云う方には『〈水羊亭画廊シリーズ1〉蠣崎波響の華麗なる陰謀!?』(http://ncode.syosetu.com/n7981dc/)をご用意しております。
狛犬と日本絵画の意外な関係や、アイヌ絵の世界と日本史の闇など、一般的な美術関連書籍ではほとんどとりあげられないテーマに全力でいどんでおりますので(笑)、あわせてご笑読いただければさいわいです。
ほかに『水羊亭つれづれ美術読本』(http://ncode.syosetu.com/n4860ea/)と云う美術史エッセイも掲載しておりますので「小説部分がかったるい」と云うみなさんはそちらをご笑読いただければさいわいです。
慧眼なみなさんはすでにお気づきでしょうが、この作品では8人いるはずの1年生部員がまだ6人しか登場していません。そんなわけで、いずれ続編を書きたいと思います。
なにせ美術館部部長の都大路みさごは世界に冠たる〈都大路昆布〉財閥の社長令嬢にして、私立アルテア学園理事長の孫娘。
「……ポンピドゥー行って、そのあとMOMAだね」
などと云う思いつきの一言で、美術館部の面々をひきつれて、自家用ジェット機で世界中の美術館を飛びまわることすら可能です。
よい意味でそれくらいムチャクチャできるのがラノベの強みではないかと思うのですが、今回はそこまでのポテンシャルを十全に発揮できませんでした。……ようするに、もっとおもしろいものが書けるんです(笑)。
世界をまたにかける華々しい西洋美術篇はいずれ書くことにして、次回作があるとすれば縦軸なしの短編集になりそうです。
今さら人にはきけない基本的な絵具の話とか、影の話とか、ハチャメチャ学園祭ミーティング(?)篇とか、そう云ったものを考えております。乞うご期待!?
あと、作中の創作料理について。
親子丼や牛丼にトマトをくわえるとおいしいので(しっかり炒めたトマトをめんつゆで煮こむのがポイント)イタリア風柳川丼がおいしいであろうことは想像にかたくありません。
しかし、フレンチ風深川丼は実現可能かどうかわかりません。だれか勇気のある人はチャレンジしてみてください。結果、マズくても責任は負いかねますので、悪しからず。
ブックマークなどつけておつきあいくださった奇特な方々もいらっしゃるようで、心より感謝申しあげます。
さいごまでおつきあいいただきありがとうございました。
余談ですが、私が〈よのすけ〉名義で掲載しているアメーバブログ『水羊亭随筆 Classics』へ、北斎風漫画『鬼狩り』(http://ameblo.jp/suiyou-tei-classics/entry-10707558339.html)を公開しています。北斎の画風で短編マンガを描いてみました。よろしければ、そちらもご笑読ください。




