第五話 波と雪と富士山と 〈4〉
「第1期の時点で、緑をひかえめに使用しているし、鶴の頭に朱をさしているので、さいしょから藍一色で勝負する気もなかったのだろう」
「表題とか主版が墨摺りの10枚が36枚以降に描かれた〈裏富士〉って云われてるから『神奈川沖浪裏』とか『凱風快晴』とか『山下白雨』の北斎改為一筆10枚は36枚の掉尾をかざるものだったんだよ」
みさごさんがひょっこりあらわれて云った。
「どうしてわかるんですか?」
「『凱風快晴』と『山下白雨』の2枚以外は題名にぜんぶ地名が記されているんだよ。特別な理由もないのに、この2枚だけういてるのっておかしいじゃん」
『凱風快晴』と『山下白雨』は背景としての富士山ではなく、富士山そのものの情景を描いている。いろんな場所から見てきた富士山をさいごにクローズアップすると云う演出である。
「〈裏富士〉のラストが『諸人登山』なんだよ。これも風景としての富士山じゃなくて、富士山そのものに登っている絵だから」
「富士講ですね」
みさごさんの言葉に泉が云った。
富士講とは江戸時代に流行した富士山信仰、ひらたく云えば、パワースポットめぐりの富士登山サークルである。林間学校とか修学旅行みたいに旅費をつみたてて富士登山旅行するブームがあった。
寛政7[1795]年以降、幕末まで5回も富士講禁止令がでたくらいだ(北斎の没年でもある嘉永2[1849]年にさいごの禁令がでている)。
富士山へ登れない人たちのために、神社の境内へ富士塚と云うミニチュアの富士山をつくって登山(信仰)気分を味わうアトラクションまであった。今も富士塚ののこっている神社がある。
「北斎が富士講人気にあやかって富士山を描いたかどうかはわからないけど『富嶽三十六景』を出版した永寿堂の主人・西村与八が富士講の講元、ようするに富士登山サークルのリーダーだったって云うから、富士講とまったく無関係とは云えないんだよ」
「ペナントや観光絵葉書はおろか、ケータイで記念写真もできない時代だもん。北斎の描いた富士山の浮世絵版画だったらほしいよね」
夏希さんもうなづいた。……どうでもいいけどペナントってなに?
「富士講人気にあやかった証拠はある。『凱風快晴』も『山下白雨』も夏の富士山を描いたものだ」
黛さんが云った。
「富士山と云えば山頂に白雪をいただいた姿を思いうかべるものだが、あの2枚の富士山にはほとんど雪がつもっていない」
「『凱風快晴』は日の出で富士山が赤くそまった光景を描いたものだし『山下白雨』の白雨は夕立の光景だもんね」
「さっき、みさごさんが『凱風快晴』と『山下白雨』が『富嶽三十六景』の掉尾をかざるとおっしゃったように、この2枚は富士山の朝と夕方、1日のはじまりとおわりを描いたものだったんですね」
泉が興奮した口調で云った。
「富士登山が可能なのは夏。江戸の人々が間近で富士山を見る機会があるとすれば、富士講で登山する前かあとだ。北斎はその光景を描いていたのだ」
「黛さん、すごいです!」
「で、版本『富嶽百景』へつながるわけよね」
「そう云えば「富嶽百景」って小説ありませんでしたっけ?」
いきなり上埜さんが訊ねた。淡井さんを中心にはしゃいでいた面々がこっちに気づいてみんな集まってきた。
「太宰治の掌編だ」
黛さんの言葉にみさごさんが苦虫をかみつぶしたような表情にかわる。
「うげー、みさご太宰キライ。あんなしみったれた男イヤなんだよ」
「……太宰超好き」
「珠緒、趣味悪っ!」
高城さんの吐露に上埜さんが過剰な拒絶反応を示した。
「私も太宰よか谷崎かな? 谷崎にはエロスがあるもん」
云わずもがなの夏希さんに、
「自己否定に見せかけた自己憐憫が気に食わん」
一刀両断する黛さんの言葉に小早川さんが巨乳の陰でもじもじしている。小早川さんは太宰治ファンであるらしい。
「『走れメロス』も「生まれて、すいません」もパクリじゃん」
「『走れメロス』をパクリにしてしまうと『今昔物語』から題をとった芥川の立つ瀬がなくないですか?」
「その芥川賞を獲れなかったのに今でも根強い人気があるんですから、他人や時代の評価ってわかりませんよね。もう本屋さんで手に入らない芥川賞作品もけっこうありますよ」
みさごさんの言葉に泉と淡井さんがつづけた。
「太宰治の「富嶽百景」って北斎を主人公にした小説なんですか?」
上埜さんの問いに、
「ぜんっぜん。太宰の私小説なんだよ。なんだっけ?「富士そばにはゴボ天がよく似合う」だっけ?」
「富士山には月見草がよく似合う、です」
太宰治も「富嶽百景」も知らないぼくにでもわかる、みさごさんのわざとらしいボケに泉がしっかりつきあった。そう云うのは放置しておかないとつけあがるぞ。
とは云え、ぼくには不得手な文学ネタの応酬なので、会話につきあうのはあきらめて『富嶽三十六景 神奈川沖浪裏』をふたたびながめた。
「あれ?」
ぼくは今まで看過していたことに気がついた。
「どったの? なんかエロスに感応した?」
「いいえ。……夏希さん、この波のかたちって不自然じゃありません?」
大波の下にある白い波が山のようなかたちになって、奥に見える富士山と呼応している。
「反復よ。おなじかたちをくりかえすことで画面にリズムを生みだして視覚的快楽をあたえているの」
国際的天才デザイナーでもある夏希さんによると、北斎作品にはななめの格子状に補助線を入れてみると、幾何的かつ緻密な構成であることがよくわかるらしい。
「大波の背景に広がる雲のかたちも大波に呼応してる」
「ホントだ」
うっすらとしてわかりづらく、図版で見ていた時は気にもとめなかったが、云われてみればたしかにそのとおりだ。
大波と雲、小波と富士山。……あれ? これってひょっとして。
「夏希さん。これってアニメーションじゃないですか?」
「アニメ?」
夏希さんが首をかしげた。我ながら舌足らずな発言だがまちがいない。たぶんそうだ。




