第五話 波と雪と富士山と 〈3〉
「すいません! 神崎さん、大丈夫ですか?」
まだ頬の赤い淡井さんに気づかわれた。
「……ふ~っ。ああ、なんとか」
ようやく痛みが引いて声をだすことができた。
「司ちゃん大丈夫? 骨とか折れてない?」
「それはないと思う」
「それじゃみんなに土下座して謝罪するんだよ。「おさわがせしてすいません」て」
「それはないと思う」
ぼくはみさごさんが理不尽な謝罪請求を即座に拒否した。て云うか、この足でできるか。
「いえ、みなさん私の不注意なんです。おさわがせしてすいません」
淡井さんが頭をさげると、ことの顛末を説明した。もちろんパンツまる見えの件はスルーした上で。
「もー、ドジなんだから梓は」
上埜さんが淡井さんの肩にポンと手をやると、
「とにかくケガしなくてよかったね」
小早川さんもあいまいに笑った。……いやまあ、たしかにぼくも淡井さんにケガがなくてよかったとは思うけども。
淡井さんを中心に女のコたちがやいのやいのとはしゃいでいたので、ぼくは自分で車イスを動かすと、みんなからそっとはなれて淡井さんが照明をなおしていた作品を見た。
「『富嶽三十六景 神奈川沖浪裏』か」
荒々しい波と遠景の富士山でもっとも有名な北斎作品である。
そもそも、さいしょにどこで見たのかすらおぼえていないくらい当たり前に知っている作品だけど、本物の浮世絵版画を見るのは生まれてはじめてだ。
顔を近づけてよく見ると、特徴のひとつである藍色の線が版木の凹凸で和紙に刻まれていた。江戸時代の名もなき職人(彫師・摺師)の息吹を感じた気がする。
『冨嶽三十六景』に使用されている藍色は、海外から輸入されたベロリン藍(ヘロリン)とよばれたもので、合成顔料プルシアンブルーのことだ。
宝永元[1704]年にドイツのベルリンで発明されたことからベルリンブルー、それが転じてベロリン藍とよばれた。近年、放射性セシウムをとりこむことでもちょこっと注目された。
日本では渓斎英泉が文政12[1829]年に、このベロリン藍の濃淡だけで描いた摺物が評判となり、あざやかな発色のベロリン藍によって描かれた作品が流行した。
北斎もそう云った流行の尻馬にのって、3年後の天保2[1831]年ころ『富嶽三十六景』を藍摺で出版する。
「なに見てるの?『神奈川沖浪裏』かあ。そう云えば、ドビュッシーの交響詩『海』の楽譜初版の表紙に『神奈川沖浪裏』を写したデザインが描かれてたって知ってる?」
泉がぼくのそばへやってきた。
「たしか、ドビュッシーは『神奈川沖浪裏』から着想を得て作曲したんじゃなかったっけ?」
どんな曲かまだ聞いたことないけど。
「いいかげんなうわさのひとり歩きってこわいよね。楽譜の表紙に『神奈川沖浪裏』風のイラストを希望したのはドビュッシー本人だし『神奈川沖浪裏』が彼の自室に飾られてたのは本当だけど、彼は『神奈川沖浪裏』から着想を得て作曲したなんて一言も云ってないの」
「そうなの?」
「もともと『海』第一曲はカミーユ・モークレールの短編小説『サンギネール島の美しい海』って云う題名をそのまま使用してたくらいだし」
「なにそれ?」
「荒れ狂う海で難破した船のお話」
「北斎、関係ないじゃん」
「……交響詩『海』の作曲中、ドビュッシーってお金もちの生徒の母親と不倫してたの。本妻に別れ話をきりだしたら、その本妻が拳銃で自殺未遂しちゃってさ。「金と色に目がくらんだドビュッシー」てなふうにバッシングされたり、本妻との離婚調停がつづいてた時期だから、私生活のゴタゴタが作品に反映されたなんて見方もできそうよね」
泉の言葉をかっさらうみたいにスキャンダラスな話題を提供してくれたのは夏希さんだ。
「第三楽章なんか聞いてると『神奈川沖浪裏』っぽい印象もあるけど、本妻の自殺未遂がモチーフになってるかもしれないし。ドビュッシーが『神奈川沖浪裏』からインスピレーションをうけて交響詩『海』を作曲したって云いきってしまうのはちょっちムリかな?」
夏希さんの言葉に泉がうなづいた。
「……きっかけのひとつではあったんでしょうけど」
そうなのか。なんでも鵜呑みにはできないなあと思う。
「ねえ泉。『富嶽三十六景』って藍摺をうたった作品だったんだよね?」
「うん」
「でも『神奈川沖浪裏』とか赤富士の『凱風快晴』とか純粋な藍摺じゃなくない?」
「パイずり?」
「……『神奈川沖浪裏』や『凱風快晴』はシリーズ後半に描かれた作品だからな」
下ネタのきらいな黛さんが夏希さんの頭を軽くはたきながら云った。
「そうなんですか?」
これはぼく。
「『富嶽三十六景』には前北斎為一筆と北斎改為一筆と云う2種類の落款があり、前北斎為一筆と云う落款のなかには「筆」の字が竹かんむりに毛と云う漢字で書かれたものがある。それらがシリーズ第1期10枚だ」
『富嶽三十六景』は三十六景と云いながら46枚ある。歌川広重の『東海道五十三次』が始点の日本橋と終点の京都をふくめた55枚と云うのとは意味がちがう。
版元・永寿堂が出した『富嶽三十六景 発売予告に「此ごとく追々彫刻すれば猶百にもあまるべし」とあり、好評ならシリーズをつづけると明言していた。
また、その広告には「七里ヶ浜にて見るかたち又は佃島より眺る景など」とある。
竹かんむりに毛と云う漢字で「筆」と書かれた前北斎為一の作品に『相州七里浜』や『武陽佃嶌』のあることから、それらが第1弾であったことがわかる。




