第四話 つかと漫画と剣術と 〈5〉
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「どう云うこと? 上埜さん」
ぼくは困惑して訊ねた。
「神崎くんたちが知ってるのは剣道でしょ? 北斎の描いているのは剣術よ。まったくの別ものなの」
「別腹?」
みさごさんがプラカップの底に溶けてのこったオレンジの汁をずじゅ~と飲み干しながら云った。みさごさん、今はボケるところじゃない。
「剣道と剣術はちがう? キミになにがわかると云うのだ?」
「わかるよ。だって私、香島鬼神流免許皆伝だもん」
「香島鬼神流……免許皆伝?」
心太が驚愕した。
香島鬼神流とは室町時代に興った古武術の一派だそうだ。
「軽い竹刀で相手をたたきあうスポーツの剣道と、鉄でできた重い日本刀で相手を斬るのとでは、動きの原理がまったくちがうの。北斎が『北斎漫画 六編』を描いたころは、まだ打込稽古がめずらしかったのよ」
木刀による打込稽古は、死傷者が絶えないことから江戸幕府によって禁止された。そこで打太刀と仕太刀による型稽古がことさら主流になる。
「文化14[1817]年って云うと、八丁堀に鏡新明智流の士学館があってさ。竹刀(袋竹刀)による打込稽古が好評を博して門人をふやしていたって云うの。たぶんそこを描いてる」
のちに鏡新明智流は江戸三大道場のひとつとなる。「技の千葉、力の斎藤、位の桃井」と云われる「位の桃井」が鏡新明智流である。
「『北斎漫画 六編』をちゃんと見てもらえればわかるんだけど、防具をつけている人たち面と小手だけで胴当てをつけてないでしょ? このころの鏡新明智流は他流派から胴を打ちこまれると弱いって有名だったの」
たしかに、稽古のようすで胴当てが描かれているのは槍を相手にしている時だけだ。
近代スポーツ剣道の祖と謳われ、竹刀による本格的な打込稽古で江戸三大道場のひとつへのしあがった千葉周作の北辰一刀流が登場するのは、それよりあとの文政5[1822]年である。
ふつうの道場へかようより数倍速く上達すると云われてたらしい。蛇足だが坂本龍馬も北辰一刀流だ。
「当て勘をやしなうのに竹刀の打込稽古が有効って点は私も認めたげる。でも、そこでうしなわれたのが戦場における古武術の足さばきだったり、刀の握り方だったりするの。つまり、あんたたちの常識である今風の握り方は『北斎漫画 六編』以降、幕末に生まれたものなのよ」
「そうだった……のか?」
心太が素直に納得……しなかった。
「右手を支点に竹刀をくるくるまわすじゃない? 日本刀であんな動きさせてたら、かえって時間をロスするし、甲冑の上から人は斬れないよ。今風の握り方はあくまで軽い竹刀を小器用にふりまわすための技術なの」
まるで甲冑の上から人を斬ったことがあるような云い草である。
「でも『北斎漫画 六編』の時代は、まだ木刀や刃をひいてない日本刀での型稽古が主流だったから、描かれた武士たちは両手をそろえて袋竹刀を握ってるわけ」
「上埜さん、すごいです!」
泉が感嘆した。
「左足が前なのも一歩踏みこみながら斬るため。〈ナンバ歩き〉いわゆる同足の身体運用術よ。わかるでしょ?」
右手と右足を同時に出す歩き方だ。今の日本でこんな歩き方をする人はいないが、むかしの日本人はみんなナンバ歩きをしていたと云う説もある。
「しょ、証拠はあるのか?」
「へへーん、そうくると思った。見せてあげるわ、私のコレクション」
上埜さんはダッシュでカバンの中からA4サイズのタブレット端末をとり出すと〈もののふ〉とキャプションのついたアイコンをタッチした。ちなみにアイコンは赤い面頬だ。
「日本絵画からカッコイイもののふの図版だけを集めたの」
上埜さんは画面をすいすいスクロールさせた。
「ほらこれ。『平治物語絵巻』(13世紀半ば)」
たしかにそこに描かれた武士は刀のつかの縁、すなわち鍔の根元で両拳をそろえて握っていた。
「まだまだ」
『前九年合戦絵巻』『蒙古襲来絵詞 下巻』(ともに13世紀末)『男衾三郎絵詞』(永仁2[1249]年~正安3[1301]年ころ)『法然上人絵伝 巻一』(文保2[1318]年ころ)『土蜘蛛草紙』(14世紀)『後三年合戦絵詞 下巻』(14世紀半ば)『芦引絵』(15世紀半ば)『結城合戦絵詞』(15世紀半末)などなど。
ただ、むかしは刀よりも遠距離攻撃の弓やなぎなた(戦国時代に入ると槍にとってかわられる)が主力な武器で、刀は敵の首を斬ったり、非常手段の武器みたいなあつかいだったらしい。そのため剣術は少数派のマニアックな武術だったそうだ。




