第四話 つかと漫画と剣術と 〈4〉
「ふむ。これを手本に絵を描くのか。……武具や馬具、弓道や馬術あたりの絵は参考になりそうだが、槍術や剣道の稽古の場面などはだれが参考にするのだ?」
心太が『北斎漫画 六編』(文化14[1817]年)をパラパラとめくりながら首をかしげた。
「漫画とは 云えどみだりで 無い手本」
唐突に黛さんが一句詠んだと思ったら、
「はいはーい。北斎漫画の数捨編。まねもならざる画風の筆癖。為一とかえてやっぱり北斎」
みさごさんが講談師みたいな口調で云った。
「はい?」
ぼくが首をひねるとふたりが説明してくれた。
「私が詠んだのは『俳風 柳多留』(文政10[1827]年)96編の川柳。みさごのは、狂歌本『古今畸人伝』(嘉永元[1848]年ころ?)からの引用だ」
「ようするに、スゴすぎてマネできるかっ! ってことだよ。当時からたんなる絵手本の域をこえてるって評価されていたみたいだね」
「佐倉さんの云うとおり、絵を描く参考になるのかな? って感じの絵も少なくありませんよね」
「絵手本と云うより、目手本って感じよね?」
国際的天才デザイナーでもある夏希さんがつづける。
「ただたんに北斎の絵って云うだけじゃなくて、北斎がなにに興味をもって、それをどう表現しようとしているのか。浮世絵とか肉筆とか読本挿絵の範疇におさまらないものを、遊び心をもって描いているのはスゴイよね、やっぱ」
おそらく、実制作者ならではの感慨だろう。
めずらしく夏希さんがエロスなしでまともなことを云ったなあと感心していたら、わざわざかき氷の練乳を木の小さなスプーンで口元につけると、流し目でぼくを見つめながらなめとった。
あきれるほどチープで意味不明なパフォーマンスなのに、ヘンに色っぽいと感じてしまう自分が負けたみたいで腹立たしい。心太ははじめて見る夏希さんの奇行に目を白黒させている。
「欧米じゃ『Hokusai Sketch』ってよばれているんですよね?」
上埜さんが黛さんへ訊ねた。黛さんが首肯した。
「スケッチとよばれるほど即興性の強いものでも完成度の低いものでもないが、あたかも森羅万象をスケッチしているようにみえるあたり、存外、云い得て妙なのかもしれんな」
「……北斎はちゃんとものを見て描いていたのだろうか?」
心太がみんなに向かって訊ねた。
「描いてただろ」
ぼくの言葉に心太が『北斎漫画 六編』をひらいた。
『北斎漫画 六編』は今風にざっくり云うと「作画ポーズ集〈アクション篇〉」だ。
前年に出版された『北斎漫画 五編』巻末広告に「剣法鎗法弓馬炮術等稽古(けんぽうそうほうきゅうばほうじゅつなどけいこ)のかたちをうつしてつまびらか也 尤も武徳の尊きを表せる一書と云べし」とある。
「ここに描かれている剣道の防具は古い時代のものだ。防具にはまだ前垂がなく、竹刀も袋竹刀とよばれるもので、実物を見たことのないぼくは感心した。……しかし、だ」
心太の目が大きく見ひらかれた。マンガなら「くわっ!」みたいな擬音で表現されそうだが、現実的にさほど効果はない。夏希さんの練乳エロスの方がインパクトはある。ちがった意味でだけど。
「ここに描かれている稽古のようすはなにもかもめちゃくちゃだ。竹刀の握り方からして、てんでなっちゃいない。彼は剣道の稽古を一度も見たことがないんじゃないか?」
『北斎漫画 六編』には関節技で相手をきめているところや、手のとり方まで克明に描かれている。こんなところ実際に見ていなければ描けるわけない。
しかし、心太の開いた別のページをのぞきこんだぼくもおかしなことに気がついた。
「ホントだ……」
「え、どれどれ!?」
ぼくの言葉に食いついたみさごさんが作業机にやってくると、ほかの部員たちもぞろぞろ集まってきた。
見ひらきのページ上部には槍をかまえあう男たちの姿が描かれていて、その下に剣道の上段と中段でかまえあう男たちの姿があった。
心太の云うとおり、刀の握り方がおかしい。
ふつう、剣道では刀のつかの縁を右手で、頭を左手で握る。ようするに、つかの端と端を握る。
しかし、北斎の描く武士たちは刀のつかの縁、すなわち鍔の根元で両拳をそろえて握っていた。
しかも上段のかまえをみせる武士は左足が前に出ている。右足を前にすり足でうしろ足(左足)を引きつける剣道のかまえや動きではありえない。
それ以外のページも見てみたが、刀の握り方は一貫していて足も左足を前にかまえている方が多い。
「えー、そうなんだ?」
「……新事実発覚?」
「ふみゃふみゃ」
「エロスがない」
「……たしかに、時代劇でも腕の動きを大きくみせるため、わざと刀のつかを長くしたものがあると聞いたことはあるが」
めずらしく黛さんまでおどろいていた。
「やはり、おかしかろう?」
どうだ! と云わんばかりに心太が胸をはる。経験者は目のつけどころがちがうなあと感心しかけたのだが、
「なーんもわかっちゃいないね、剣道少年」
あざけりの声が図版を見つめるみんなの頭上に響いた。心太の場合はあご下だけど。
「これは写実よ。正しいのは北斎。まちがってるのはあんた」
声の主はショートカットに大きな瞳が印象的な上埜さんだった。




