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第四話 つかと漫画と剣術と 〈3〉

    4



「ただいまもどりましたー」


「グッタイミン!」


 学芸員室へもどると、帰国子女のみさごさんがネイティヴな発音で云った。インターネット会議がちょうどおわったらしい。


「はいこれ」


 みさごさんの机に買ってきたものを入れたエコバッグをひらくと、みんながよってきた。


「ちょうどいい。休憩にしよっ!」


 みさごさんの言葉に学芸員室の空気が弛緩(しかん)した。


 みんなまじめに部活(仕事)してるんだなあ。文化部って体力使わないからダラダラしているものだとばかり思っていた。


 注文されたものをわたしながら代金をうけとる(おかげで財布のなかは小銭だらけだ)。


 上埜(うえの)さんがぼくにアイスの代金をわたしながら訊ねた。


「それで? くさい人はなんの用だったの?」


「ああ。なんか『北斎漫画』について訊きたいことがあるらしい。ぼくだけじゃ答えられそうにないから、あとでここにきてもらうよう云ってある」


「えー? くさい人くるの? みさごヤダあ」


 木の小さなスプーンでオレンジのかき氷をしゃりしゃりくずしながらみさごさんが云った。


「ちゃんとシャワーを浴びて着替えてくるよう云いました」


「そんなにくさいのか?」


 (まゆずみ)さんがペットボトルに口をつけながら真顔で訊ねた。


「ニオイフェチの女のコって意外と多いよね。ひょっとしてマユノも男のくっさいニオイフェチとか? 怜悧(れいり)美貌(びぼう)のウラに変態系エロスがかくれていたなんてゾクゾクするわね」


「ちがう。だまれ」


 夏希さんのヨタ話を(まゆずみ)さんの絶対零度な視線がはねかえす。


「……意外と好きかも」


「げえっ! 珠緒(たまお)、趣味悪っ!」


 高城さんの衝撃的カミングアウトなささやきに上埜(うえの)さんがどん引きした。


「メスはオスのにおいでオスを選ぶのよ。思春期に突然、父親のことキライになることってあるじゃない? あれって近親相姦をさけるために父親のにおいを拒否る動物的本能なんだって。云いかえれば、心身ともにオスをむかえ入れる準備ができたってことよね」


 夏希さんのウンチクを聞いた女性陣の間に気まずい沈黙が落ちた。


 多かれ少なかれ父親ギライに心あたりがあるらしい。それを黒一点なぼくの前で妙な感じに云いかえられて困惑しているのだろう。みなさん大丈夫です。ヘンな想像とかしてませんから。


 こう云う時、女の園にいる黒一点の立場のむずかしさを痛感する。少なくともぼくが率先してフォローするわけにもいくまい。


 ぼくは夏希さんの言葉を聞き流したていで、エコバッグにのこったさいごの1本をとり出すと、泉のいる机に向かった。


「はい、泉これ」


「あ、ありがと、司ちゃん」


 泉が天使のほほ笑みでゆがんだ空気の浄化を試みる。


「でもやっぱ、みさごはくさいのヤダなー」


「当然だ」


 (まゆずみ)さんも13代石川五右衛門みたいなストイックさでうなづく。


「ねえねえ知ってます? 剣道の小手って頭われるくらいくっさくなるんですよ!」


「……小手をかぐ恍惚(こうこつ)


「だから、珠緒(たまお)、趣味悪っ!」


 活気をとりもどしたガールズ・マシンガン・トークをさえぎるように学芸員室の扉からノックの音が聞こえた。


「あの、神崎さん。……佐倉さん、いらっしゃいました」


 扉が開くと淡井さんがやっぱり困惑した声で云った。遠慮したのに気を利かせて案内してくれたらしい。しかし、今回ばかりは彼女の親切が(あだ)となった。


 淡井さんのうしろにそびえ立つ制服姿の佐倉心太(しんた)の表情が引きつっていた。おそらく、さいごの会話が廊下にも響いていたのであろう。


 才知あふるる美女の園として名高い美術館部で〈くさい人〉に認定されてしまった佐倉心太(しんた)の胸中はいかばかりか?


「ありがとう、淡井さん。心太(しんた)。まあ入ってくれ」


 ぼくはなんにも気づいていないそぶりで心太(しんた)をなかへ招き入れた。


 これぞ武士の情けと云うやつだ。



    5



 心太(しんた)を大きな作業机の方へ案内した。応接セットで話を聞くより作業机の方が車イスを入れやすいし、まわりにも話を聞かせやすかったからだ。


 泉が冷蔵庫で冷やしてあった烏龍茶を入れてくれた。いつものくせでなんとなくそのままぼくのとなりへ腰かける。


 ほかの部員たちは自分たちの机でそれぞれのスイーツに舌鼓を打ちながら、こちらの話を聞くともなしに聞いていた。


「たしか、剣道のヒントをもとめて『北斎漫画』を読んだんだよね?」


「うむ」


「それじゃ『北斎漫画 六編』ですね」


 泉が席を立つと、学芸員室の本棚から復刻された和とじの『北斎漫画』(全15冊)を(ちつ)ごと持ってきた。(ちつ)と云うのは和とじ本をまとめて包む箱の帯みたいなものだ。


「こんなことを訊くのも今さらだが『北斎漫画』はマンガなのか?」


 心太(しんた)の問いにぼくがつけ焼き刃の知識で答えた。


「『北斎漫画』は(すず)ろに(えが)く。ようするに、いろんなものを描いたって意味」


「かんたんに云うと、絵のお手本ってことです」


 これは泉。


 むしろ、今で云うマンガのルーツは戯画と云う。超有名な『鳥獣戯画』の擬人化されたウサギやカエルの絵は日本人ならどこかで一度は目にしているはずだ。


『北斎漫画』のちゃんとしたタイトルは『伝神開手 北斎漫画』(全15編)だ。文化11[1814]年に名古屋・永楽屋から初編が出版された。


 北斎が版下絵を描いたのは出版からさかのぼること2年前。名古屋へ逗留していた文化9[1812]年、北斎が53歳の時である。


 出版に2年もかかっていることや続編の予定もなかったことから、永楽屋が『北斎漫画』にさほど期待していなかったことがうかがえる。


 しかし、数ヶ月後に江戸・角丸屋でも出版されるとたちまち人気を博した。江戸と名古屋での北斎作品にたいする温度差がわかろうと云うものだ。


 翌文化12[1815]年4月に二編・三編が同時発売された。名古屋・永楽屋と江戸・角丸屋の合同出版(相合版と云う)だった。


 当初はこれで完結予定だったようだが想像以上の売れゆきをみせたらしい。大々的に全10編の出版予定が組まれた。


 とどのつまりは全15編。最終巻が出版されたのは明治15[1833]年だった。


 北斎はとっくに「()(だま)で ゆくきさんじや 夏の原(辞世の句)」している。ひらたく云うと亡くなっている。


 ただし、北斎が出版に直接関与したのは十三編までで、十四編は遺墨(いぼく)集である。『北斎漫画』のために描かれた絵ではないものをよせ集めている。


 十五編もほかの北斎の絵手本から引用しているが、それでも枚数が足りなかったので、名古屋の某絵師にのこりを描かせたと云うからお祖末きわまりない。


 そんなわけで、北斎オリジナルは一応、十四編までと云うことになる。

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