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第三話 夜とプールとスクール水着と 〈4〉

   2



「おつかれさまでーす」


 午后5時をまわって美術館が閉館すると、受付業務についていた美術館部1年の淡井梓(あわいあずさ)小早川琴音(こばやかわことね)が学芸員室へかえってきた。


「おつかれさま。今、冷たい烏龍(ウーロン)茶いれるね」


 泉が席をたってお茶の用意をする。


 学芸員室にいたのはぼくら4人だけだった。


 ほかの部員たちは美術館の施錠確認や館内清掃などに出ている。ぼくは車イスなのでそう云った作業を免除されている。ちょっとばかし申しわけない。


「受付って、たいしたことするわけじゃないのに地味につかれるよねー」


 そうひとりごち、メガネをはずして、ぐったりと席につく小早川さんの胸が大きくゆれた。美術館部員暫定(ざんてい)1位の巨乳である。


 巨乳であることは一目瞭然(いちもくりょうぜん)だが、まだ会ったことのない部員もいるので軽々しく美術館部員1位と断言はできない。


「神崎さん、お仕事すすみました?」


「ええ。今日の分はなんとか」


 淡井さんの問いかけに、ぼくは笑ってこたえた。先の江戸野菜の一件以来、淡井さんの方からよく話しかけてくれるようになった。


「神崎さんが美術館部に入ったことをお父さまにお話したら、神崎さんをうちの料亭にご招待したいと云ってました。ぜひ一度、ご家族のみなさんといらしてくださいませんか?」


「ありがとう。でも、まだコレなんでケガが完治してからってことで」


 ぼくは車イスを指さして云った。老舗(しにせ)三ツ星料亭なんて足のケガが完治して棒高とびの選手に転向しても敷居が高すぎる。


「あら、車イスの方でもくつろげるお座敷もありますよ。私もかいぞえしますし」


(あずさ)ダメだよ。泉の仕事とっちゃ」


 泉から冷たい烏龍(ウーロン)茶をうけとった小早川さんが茶々を入れた。泉は笑って首を横にふる。


「あ、いや。そうやっていろんな人の手をわずらわせるのが申しわけないんで。泉にもホント悪いと思ってるし」


「ううん。私は好きでやってるからいいの」


「きいた(あずさ)? 泉、神崎くんのこと好きなんだって」


「そうは云ってないだろ!」


 小早川さんの意図的な曲解にぼくはツッコミを入れた。


「え、あの、そんな……」


 小早川さんの冗談を真にうけた淡井さんが狼狽(ろうばい)する。


「かんちがいしないで。私はただの幼なじみ」


 泉が天使のほほ笑みで淡井さんにも冷たい烏龍(ウーロン)茶を手わたした。


「……はい」


 空のトレイを冷蔵庫の方へもっていく泉が、淡井さんと小早川さんから見えないところでふりかえると、ぼくにむかってしかめつらで舌を出した。


 ちょっと待て。ぼく、なにか泉におこられるようなことしたかな?


「おつかれー。あじぃー、フロー、めしー」


 上埜(うえの)さんが会社がえりの中年男みたいなことを云いながら学芸員室へもどってきた。


 高城さんも犬みたいにあえぎながら無言でつづく。


 美術館展示室は作品保護のため一定の温度・湿度に保たれているが、美術館閉館後それ以外の場所では冷房がきれる。学芸員室は冷房の効いているさいごの砦だ。


 みさごさんと夏希さんもむし暑さでへろへろになってもどってきた。


 (まゆずみ)さんはさすがに(りん)としていたが、ひたいにうっすら汗がにじんでいる。


 みんな無言でイスに座りこんだ。窓の外は濃紫につつまれていて地平線だけが赤い。


 影絵のようにうかぶ黒い木々の影からしゃわしゃわと蝉の鳴く声が遠い日の幻のように響く。


 なんて云うか、けだるい。


「ねえ、みんな……」


 みさごさんがぽつりとつぶやいた。


「プールいこっか?」


「えー、今からですかあ? 電車とかのるのめんどくさい~」


 露骨にイヤがる上埜(うえの)さんへみさごさんが云った。


「外のプールじゃないって。学園のプールだって」


「……学園のプール?」


 (まゆずみ)さんが首をかしげた。


「だって今日、みんな水着もってきてるでしょ?」


「……たしかに」


 女のコたちが異口同音にこたえた。


「え? どうしてもってんの?」


 ぼくが訊ねると、


「今日は学園のプール開放日だから、みんなでお昼に入ろってメールしたじゃん」


 いや、ぼくのとこにはきてませんけど。きてても入れませんけど。


「でも今日、美術館休館日じゃないし……」


「いつも以上にいそがしかったし……」


「けっきょく入るヒマなかったんだよねー」


 みさごさんの言葉にみんな嘆息(たんそく)した。……オマエらバカだろ?


「でねでね。人気の()えた夜の学園プールで暑気払(しょきばら)いしようじゃないか! とみさごは提案しているんだよ」


「プールの使用許可は出しているのか?」


「ううん。でも、だれも使ってないからいいじゃん」


「鍵とかかかってるんじゃない?」


「ふっふっふ。みさごにぬかりはないんだよ」


 みさごさんは机の引き出しをあさって小さな鍵束をとり出すと、


「学園マスターキー!」


 未来の世界からやってきた(あお)い猫型耳なし寸胴(ずんどう)二頭身ロボットのような声色(二代目)で云った。


「どうしてそんなものもってるんですか?」


 想像はつくが一応訊いてみた。


「みさごは学園理事長の孫娘だよ。もっててあたりまえじゃん」


「……あたりまえじゃないし」


「公私混同だろう?」


 ぼくと(まゆずみ)さんがあきれた。


「こっそりつかるだけだって」


 一応、悪事の自覚はあるらしい。


「賛成! 暑くてやってらんないし!」


「私も夏希さんに一票!」


 夏希さんが席をたつと、上埜(うえの)さんたちも席をたちはじめた。(まゆずみ)さんや泉が決めかねていると、みさごさんが云った。


「部長命令。みんなでプール!」


「……部長命令ならしかたないな」


 (まゆずみ)さんまでヤレヤレと席をたった。さてはこの人、最初から入る気ありありだったな。(まゆずみ)さんの言葉に泉も席をたつ。


 こうして、みんなみさごさんの軍門へ下った。


 ぼく以外をのぞいて。

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