第三話 夜とプールとスクール水着と 〈2〉
「マユノはエロスが足りないのよ。素材は完璧なのにもったいない。……アートの本質はエロスよ! エロスなきところにアートは生まれないの!」
ぼくだけではなく、ほかの1年生部員の女のコたちも狐につままれたような顔でほおけていた。いろいろと刺激が強すぎた。いつもみたいに冷やかすだけの余裕もない。
云ってることもやってることも容姿もエロい夏希さんだが、北斎の滝にエロスをみる感性はたんなるエロいおねえさんとは一線を画している気がする。
「でも、北斎の滝にエロスを感じるってのはわかる気がするんだよ。なまめかしさって云うか、ぬめりって云うか、生物的な存在感を感じるよね」
エロスとは138億光年ほどかけはなれた幼い容姿のみさごさんの言葉に、
「日本には古来より陰陽五行説や風水の思想が浸透していたことを思えば、北斎が滝の流れを気、すなわちエネルギーの流れと理解し、ひとつの生物、あるいは生命と解釈したと考えるのは妥当かもしれないな。ま、あくまで見方のひとつとしてだが」
黛さんの晦渋な言葉がつづく。そんなふたりの言葉をうけて高城さんがつぶやいた。
「……気韻生動?」
「気韻生動っちゃ気韻生動なんだけど、その言葉だとエロスがうすまるって云うか、ちょっち刺激がたりないって云うか」
「あの、気韻生動ってなんですか?」
執拗にエロスへのこだわりをみせる夏希さんをうけ流してぼくが訊ねた。
「気韻生動とは、日本絵画におけるリアリティの一定義だ」
黛さんが端的に説明する。
「むかしの日本絵画では生命感・躍動感と云うものが重視された。もののカタチを正確に描くことよりも、多少デッサンが狂っていようが、図像的にまちがっていようが、それっぽく見える方が大事とされていたのだ」
「たとえば、浮世絵なんかでもスズメの群れが元気よくとんでたり、川の中をお魚が生き生きと泳いでいたりする絵とか多いじゃん?」
「ええ」
みさごさんの言葉にうなずく。
「ああ云うのを描く感覚って西洋にはなかったんだよ。絵画におけるリアリティの定義がちがうの」
「写真のない時代にせわしなく群れとぶスズメを正確にスケッチしたり、水族館もない時代に水の中を泳ぐ魚をスケッチすることはできないだろう?」
「そうですね」
スズメはともかく魚はムリだ。
「つまり西洋絵画におけるリアリティとは、もののカタチを正確に描写することだ」
「そう云えば、静物画って英語でStill Lifeですよね?」
みさごさんのそばに立つ泉が云う。
「直訳すると、動かない生命? 生きていたものとか死んでいるものって云いかえることもできそう。ちょっとブキミかも」
上埜さんが図録をかかえたまま身ぶるいした。
「時よとまれ、おまえは美しい! みたいな意味あいだと思うんだけど」
みさごさんがゲーテ『ファウスト』のセリフを引用した。生命の美しい瞬間を永遠にとどめる、みたいなことらしい。
ただ、美しい花々や果物に虫食いのあとや枯れる兆候を描きこむことで、若さや命は永遠でないと云うメッセージをつたえているらしい。これも日本絵画にはなかった感覚だ。
そのため、北斎の『西瓜図』を乞巧奠(七夕祭)になぞらえて描かれたと云う説に懐疑的な研究者もいるらしいのだが、玩具絵や判じ絵を描いていた浮世絵師は西洋絵画の隠喩に近い遊び心をもっていた。
「もののカタチを正確に描写することを日本では〈図〉って云ったんだよ」
「一方で気韻生動を描くことを〈画〉と云う」
図画工作の図と画か。あれってちゃんと意味とちがいのある言葉だったとは。てきとうにならべているだけかと思っていた。
「気韻生動って云うのは、生きている姿が想像できるように描く、生命そのものを描くってことなんだよ」
「ようするに生命力こそエロスなのよ」
「そうは云ってない」
夏希さんのゆがんだ要約を黛さんが即座に否定する。
「客観的リアリティを追求してきたのが西洋絵画、主観的リアリティを追求してきたのが日本絵画と云いかえることもできよう」
「秋田蘭画の佐竹曙山とか徹底してたよねー」
「『画法綱領』か?」
みさごさんへ黛さんが訊きかえす。
秋田蘭画とは、平賀源内が佐竹藩へつたえた西洋絵画技法をもとにおこった一派である。陰影法で立体感を表現し、空気遠近法で距離感を表現した。
そして、佐竹曙山『画法綱領』(安永7[1778]年)は西洋絵画の技術書である。
佐竹藩の藩主、すなわちお殿さまが技法書を書くほど絵にのめりこんでいたのだ。
「えっと、なんだっけ? 書画に倣いて筆法を主とする時は実用を失う。……画の用たるや似たる貴ぶ、だっけ?」
意外なことに夏希さんがそらんじた。エロに堕しているように見えても、さすがは〈アルテ・バッジ〉のメンバーだ。
「だいぶ、はしょったな」
黛さんが云った。佐竹曙山は日本絵画の伝統である気韻生動をまっこうから否定したのだ。絵画を美術(芸術)ではなく技術としてとらえていたとも云える。
そもそも「美術」と云う言葉は、明治期にドイツ語「Kunstgewerbe」の訳語として生まれたそうだ。
そのため、美術とか芸術とか云う概念が生まれたのも明治時代であり、江戸時代の日本でその概念はあいまいだったらしいのだが、
「図と画って云うと、曾我蕭白の有名な言葉がありますよね?」
泉の言葉をうけて、黛さんがあやしげな言葉を唱えた。
「画を望まば我に乞うべし、絵図を求めんとならば、応挙主水よかるべし」
「はい?」
ぼくのハテナをみさごさんがかみくだいて説明してくれた。
「わかってないんだね。ざっくり云うと「魂のこもった本物の絵がほしければオレに依頼しな。うわっつらだけのおキレイな絵がほしければ応挙さんでいいんじゃね?」ってこと」
曾我蕭白(享保15~安永10[1730~81]年)と円山応挙(享保18~寛政7[1733~95]年)は、江戸時代中期に活躍した絵師である。
曾我蕭白は北斎と肩をならべるほど独特でインパクトのある作品をのこした絵師であり、円山応挙は写生派として知られる円山・四条派の祖である。
「気韻生動とは異なる西洋画のリアリティを上手に和様化したのが円山応挙と云えるだろう」
「写生派って云われてるけど、水の中を泳ぐ魚とか描いてるし」
「応挙の仔犬の絵、かわいいですよね」
みさごさんの言葉に上埜さんがはずんだ声を出した。
「幽霊画もあるしな」
と黛さん。
「……見えてたりして」
「ちょっとやめてよ、珠緒!」
高城さんのつぶやきに上埜さんがおびえた。
円山応挙には美人の幽霊画も少なくないらしい。応挙が幽霊を写生していたらおもしろいけども。
「シャセイって響きはエロスよねえ」
「だまれ」
夏希さんがぼくの耳元へささやいた下ネタを黛さんが一蹴する。