第二話 春朗(しゅんろう)と北斎と卍(まんじ)と 〈14〉
「85~86歳(弘化元~2[1844~45]年)には信州の小布施まで出むいて、祭り屋台の天井画とか描いているんですから超人的ですよね」
「ひたすら部屋にひきこもって絵ばっかり描いてたジイサンのどこにそんな体力あったんだろうね?」
北斎は旧暦で云うところの9月のおわりから4月のあたままで、こたつに入りっぱなしで、ひたすら絵を描いていたと云う。
つかれたらそのまま横になり、起きたらまた絵を描く。
一流の絵師でなければ、せっぱつまった浪人生か究極のダメ人間のどちらかだが、痛風になやまされたと云う逸話はあっても、腰痛になやまされたと云う逸話はない。
それどころか、87~88歳になっても、老眼の兆候はなく腰もまがらず、西両国から日本橋を往復しても(およそ7~8km)矍鑠としていたそうだ。
北斎は江戸で知りあった高井鴻山(文化3~明治16[1806~83]年)に依頼され、小布施の祭り屋台の天井画を描いている。
祭り屋台とはようするに山車のことだ。
東町屋台の天井には龍と鳳凰、上町屋台の天井には怒濤、男波・女波。
後者の屋台には北斎の描いた『水滸画伝』の軍師・皇孫勝と龍の彩色彫刻が置かれている。
今の感覚で云うと、マンガ『ドラゴンボール』悟空や『ワンピース』ルフィの等身大フィギュアがのっているようなものだ。
「怒濤・女波の額には動植物が描かれているんだけど、そのなかになぜか赤い花をもったキューピッド(翼をもつ子ども)が描かれてるんだよ」
「なぜか北斎は三浦屋八右衛門って偽名をつかって手紙のやりとりしてるんですよね」
みさごさんと泉がトリビアを披瀝した。
また、北斎は小布施の岩松院と云うお寺の大天井画(鳳凰図)を制作している。
下絵を描いたことと、彩色を小布施の人たちにまかせたことはたしかだが、本図を描いたかどうかはわからない。
弘化2[1845]年、86歳の北斎は『須佐之男命厄神退治之図』と云う大作(縦1.3m、横2.8m)を向島の牛嶋神社へ奉納した。
この作品は関東大震災で社殿とともに焼失してしまったため、現在はモノクロ写真でしか知ることができない。
「さしずめ北斎版『群仙図屏風』って迫力だよ」
「本物を観てみたかったですね」
みさごさんの言葉に泉がしみじみと云った。
ちなみに『群仙図屏風』(明和元[1764]年)とは、江戸時代中期に独自の画風で活躍した曾我蕭白(享保15~安永10[1730~81]年)の作品だ。
ぼくもあとで本物を観る機会を得たが、たしかに独創的でインパクトのある作品だった。
ただ『須佐之男命厄神退治之図』が現存していれば『群仙図屏風』以上に評価されていたと思う。
おなじ年に出版された読本『釈迦御一代記図絵』6冊(作・山田意斎)も、北斎の読本挿絵の頂点をしめす傑作だ。
さらに弘化[1844~47]年間には『弘法大師修法図』(縦1.5m、横2.4m)と云う大作も描いている。
弘法大師(空海)が巨大な悪鬼の姿をした病魔を鎮めている場面である。
黒く塗りつぶされた背景が緊迫感をあおっていて、最晩年の傑作とよぶにふさわしい1枚だ。
「今回の『葛飾北斎展』は美術館の所蔵作品中心の展示だけど、前期はこの『弘法大師修法図』後期は『鎮西八郎為朝図』が目玉ってわけ」
どちらも図版でしか見たことのないぼくは内心興奮した。本物を観るのが楽しみでしかたない。
泉や黛さんがぼくを美術館部に誘ってくれなければ、ぼくは『葛飾北斎展』そのものをスルーしていたと思う。
「司ちゃん、最後の質問。北斎の亡くなった日時は?」
「えっと、嘉永2[1849]年4月18日、朝7ッ時(今の暦で5月10日午前4時頃)です」
目下、ぼくが作品解説ツアーのガイドをさせられるのかどうかは未定だが、これくらいは答えられないとダメだと思う。
ちなみに死因は老衰だ。
絵師としての人生をフルに使いきった北斎は恵まれた人なのだと思う。
「おー、よくできたんだよ」
みさごさんの言葉に泉も小さく拍手する。
「あ、そうだ。みさごさん。質問があるんですけど」
ぼくはずっと気になっていたことを訊いてみた。
「なあに?」
どうしてお子さまイチゴパンツなどはいているんですか? ……ではなく。
「どうして北斎って葛飾北斎ってよばれているんですか?」
「はにゃ?」
質問がつうじなかったらしい。
「ふつう歴史上の人の名前って、最後によばれてた名前か、亡くなってからつけられた名前でよばれることが多いじゃないですか?」
聖徳太子なんてよび名は諡号(=亡くなったあとでつけられた名前。歴代天皇の名前はすべて諡号)だし、豊臣秀吉も羽柴秀吉とはよばない。
30をこえる画号をもっていた北斎も、晩年は画狂老人卍とか九十老人卍とか云う画号をつかっていたのだから、葛飾北斎ではなく卍とよびそうなものだ。
「画狂老人卍とか九十老人卍って、画狂老人Zとか九十老人Xみたいな感じしない? 名前っぽくないじゃん。特撮ヒーローものっぽいって云うか?」
「画狂老人とか九十老人は名字じゃないですものね。名前だけじゃなくて名字もあった方が日本人的にしっくりくるとか?」
みさごさんがふざけて泉がまじめに答えた。
「でも代表作の『北斎漫画』が戴斗『富嶽三十六景』が為一なんだから、葛飾戴斗とか葛飾為一でもよくないか?」
泉へ水を向ける。
「やっぱり『北斎漫画』のインパクトが大きかったんじゃない? 北斎の死後、明治時代に入っても続編が出版されていたわけだし」
「飯島虚心が北斎の評伝を『葛飾北斎伝』にしちゃったからじゃない?」
みさごさんがきししと笑う。
「だから、その理由ですよ」
「泉ちゃんの云ったことも理由のひとつだけど、江戸の人たちに北斎の名を知らしめたのが葛飾北斎の時代、馬琴とタッグを組んだ読本挿絵だったからなんだよ。北斎は浮世絵版画じゃなくて、版本でブレイクした絵師だから」
「なるほど。そっか」
泉がポンと手を打つ。
「北斎自身もそのことをわかっていたから、戴斗改為一って画号はほとんど使ってないんだよ。戴斗をとばして北斎改為一って号していたくらいだし。生前から北斎としての認知度が高かったってことだね」
「……なるほど。ガッテンしました」
「北斎の真骨頂は読本挿絵の武者絵にありってなもんよ。まだまだ印刷物でも見られる機会が多いとは云えないのがざんねんだけど、ここ(学芸員室)のPCにすべての図版が入ってるから、あとでしっかり勉強しておくんだよ」
「はあい」
ぼくと泉が異口同音に答えた。泉は楽しげに、ぼくはいささかげんなりとした口調で。




