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第二話 春朗(しゅんろう)と北斎と卍(まんじ)と 〈11〉

    8



「はい。前期分のキャプション仕分け終了っと」


 みさごさんが手をたたいた。


「やっぱまだまだ司ちゃんは戦力外だねー」


「……すいません」


 みさごさんの容赦ない言葉にぼくはうなだれた。しかし、こればかりは事実なのでしかたがない。


「でもまあ、シロートにしちゃがんばってる方だよ。泉ちゃんのしつけがいいのかな?」


 しつけって犬猫じゃあるまいし。


「司ちゃん、本当に毎日一生懸命がんばってるんです」


 泉がぼくをかばうようにみさごさんへ云った。いや泉、そのアピールはかえって落ちこむって。


「とりあえず前期分でつくりなおすのは9つなんだよ。じゃ、みさごが後期分の仕分けをはじめるから、ふたりは前期分のキャプションを展示リスト順にならべてくれる? つくりなおすキャプションのぬけてるとこに付箋(ふせん)はさんどいて。おわったらこっちの仕分けも手伝って」


「「わかりました」」


 ぼくと泉が異口同音で返事をした。5つに小分けしたキャプションの箱からちかいものをひきよせた。


 キャプションをひとつ手にとると『琉球(りゅうきゅう)八景 龍洞松濤(りゅうどうしょうとう)(天保3[1832]年ころ)前北斎為一(いいつ)筆』と書いてあった。あとの方の展示だ。


 文政3[1820]年、61歳の北斎は為一(いいつ)と改号する。この号は妙見信仰ではなく老荘思想、すなわち『老子』第十四章(賛玄)と云う有名な一節にもとづいている。


 オレ(北斎)が描いているのは、たんなる絵をこえた永久不変の真理なんだぜ、みたいに傲然(ごうぜん)とした気概(きがい)であるらしい。


 当初、続刊予定のなかった『北斎漫画』が江戸で好評を博し、最終的に10巻第1期シリーズを文政2[1819]年に完結させた北斎は、摺物(すりもの)のみならず揃物(そろいもの)とよばれるシリーズものの浮世絵版画をたくさん手がけている。


 揃物(そろいもの)には『千絵の海』(天保初年[1832~34]ころ)『諸国滝廻(しょこくたきまわ)り』(天保4[1833]年ころ)なんかがある。


 色紙版摺物(すりもの)元禄歌仙貝合(げんろくかせんかいあわせ)』(文政4[1821]年)と『馬尽(うまづくし)』(文政5[1822]年)は、北斎摺物(すりもの)の頂点をしめす傑作と評されているほどだ。


 浮世絵版画も名所絵(風景画)や風俗画のみならず、花鳥画、古典人物画、武者絵、はては『百物語』(天保2~3[1831~32]年)みたいな妖怪画のシリーズまで描いている。


 絵手本はもちろんのこと、翻訳者が馬琴(ばきん)から高井蘭山へバトンタッチした『新編水滸画伝』のイラストもひきつづき手がけている。


 めずらしいところでは、職人向けの図案集『今様櫛(いまようせつ)きん雛形(ひながた))』3冊『新型小紋帳』1冊がある。


 前者はクシとキセルの職人、後者は染織家向けのものだ。実際に職人がそれをきりとって使用したため現存数は少ないと云う。


「武者絵の構図がすごいんだよ。どんだけ体やわらかいの? ってくらいムリな体勢なのにふしぎと違和感なくおさまっているんだから。キュビズム以外の方法で人体をここまでバラして再構成してるのって北斎くらいなんだよ。ピカソでもふつうに描いたらここまでやれないと思う」


 みさごさんの言葉にそうだったのかと感嘆する。


「当時は60歳まで生きてるだけでもめずらしかったのに、北斎は60歳をすぎてからますます八面六臂(ろっぴ)の活躍をみせるんだからすごいですよね」


 泉の言葉にみさごさんがうなづいた。


「クリエイティヴな生き方してる人って老けないんだよ。たしかコリン・ウィルソンに云わせると、もっとも長命なのが哲学者か数学者だったと思う」


「……芸術家じゃないじゃないですか」


 ぼくのツッコミを意に介さず、みさごさんがつづけた。


「哲学者には言葉、数学者には数字や記号って云うくくりがあるだけラクなんだよ。北斎の為一(いいつ)って画号がしめしているみたいに、芸術って言葉をこえたところのなにかを表現するものだから、ちがった意味で哲学や数字ほどかんたんじゃないんだよ」


 哲学者や数学者にくらべると芸術家の自殺率は多いらしい。創造の苦しみをのりこえた者が長生きするようだ。


 じゃあ陸上選手はどうなんだろ? と思ったら、またしても野性のカンでぼくの心を読んだみさごさんがニヤリと笑って云った。


「動物の一生の心拍数は決まってるって云うから、身体に必要以上の負荷をかけるスポーツ選手は哲学者や数学者ほど長生きできないんだよ」


「だれもそんなこと訊いてませんって」


 哲学者や数学者ってヘビー・スモーカーが多いとかきいたことがある。ちがった意味で心肺に負担をかけていそうなものだけど、どうなんだろ?


「優秀なマラソン選手は一般人よりふだんの心拍数が少ないって云うから、競技をしりぞけば長生きするかもしれないけど、中距離走の選手はどうかなあ?」


「だから訊いてませんって」


「司ちゃん、陸上部はやめて美術館部だけにしようよ。そうしたら長生きできるよ」


 みさごさんの言葉を真にうけた泉がうるんだ瞳でぼくに云った。そこまで切実な問題でもなければ、足のケガ以外はまるっと健康だって。


「あのなあ泉。人生は長く生きたかどうかじゃなくて、どう生きたかだろう?」


 人生の意味とか自分の死とかはよくわからないけど、手塚治虫『ブラックジャック』にそう書いてあった。


 あれはたしか被曝(ひばく)したゴ・ギャンとか云う画家の話だったはずだ。


 ……て云うか、北斎の話である。


 美術館部に入る前、ぼくの北斎に関する知識は「富士山を描いた浮世絵師」くらいだったのだが、その富士山を描いた『富嶽(ふがく)三十六景』(天保2[1831]年ころ)も〈為一(いいつ)期〉の作品である。


 この時、北斎72歳。


 ふつう代表作とかって30~40歳代くらいに描かれそうなものだけど、北斎は当時の人の平均寿命をこえてから傑作を次々と生みだしているのだから、つくづくすごい。

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