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根無し草

作者: 朝海 有人

「カンボジアを始めとした発展途上国や紛争地を訪れ、献身的なボランティア活動によって様々な功績を残した日本人男性が、ノーベル平和賞に選ばれました」


 生まれてからずっと、俺は自分を殺し続けてきた。物理的にではなく、精神的な意味で。

 他人の意見に同調し、自分の言いたいことを抑えつけて、場の流れに身を任せ、決して逆らおうとしはしないように生きてきた。

 その生き方は、意外にも上手くいった。友達にも恋人にも恵まれたし、先生からの評価も高かった。周りからは羨望、あるいは嫉妬の視線を受けることもあった。

 もちろん、そんな視線に囲まれていた俺は市場の優越感に浸っていた。周りの人よりも優れている、なんて本気で思っていた。

 しかし裏を返せば俺の生き方は、自分というものがない、主体性のない生き方とも言える。最初はそれでもうまくいったが、歳を重ねる毎にそうも言っていられなくなる。

 俺が新卒で解雇通知を受けた理由も、それに起因しているのかもしれない。

 そんなわけで俺は、なし崩し的に職を失った。

 自立した大人として、流石に親を頼りに生きるわけにもいかないと考えた俺は、丁度募集していたバイト先に応募してそこで働かせてもらうことになった。

 長い事テナントのいなかったボロ店舗に新しくできた『根無し草』というラーメン屋が、俺の新しい勤務地だった。最悪な立地で流行るとは到底思えないラーメン屋で、俺は働いていた。

 こんなところで本当に大丈夫なのか、という俺の予想は的中し、新装開店と共にバイトとして俺が入った日から二ヶ月後の今日を持って、店は畳まれることになった。


***


「茂さん、暖簾下ろしたぞ」

 入口の暖簾を外して中に入れ、各種テーブルを回り閉店作業を進める。

 そんな中、店主の茂さんは小上がりのテーブルで何やら書き物をしていた。

 覗き込んでみると、「今日入った客の数」と書かれた紙を、穴が空くほど見つめていた。しかし、いくら見ても客の数を表す正の字は一つも増えず、紙はほぼ白紙のままだ。

「茂さん?」

「がっはっは! おう見ろよ、三日連続で客数0人だぞ!」

「笑うところかよ、それ」

「こんなの初めてだぜ! いやぁこいつは傑作だぜ!」

 呆れた俺は、笑い転げている茂さんを放っておいて帰宅の準備を始める。

 茂さんが店主のラーメン屋『根無し草』があるここは、地元では『ラーメン街道』と呼ばれている場所で、ラーメン激戦区に指定もされている。

 とは言うが、都市部からの交通も大して発達していないこの市で店を出しても、流行らないのが現実だ。

 それに加え、店主の茂さんはかなりの楽天家で能天気、そしてガサツだ。敬語を使われるのが嫌いという理由で、バイトの俺にタメ口を強要したりするところにそれが現れている。

 さらに、客が来ないのに客引きを行おうとせず、誰もいない店内でも常にハイテンションなのだ。この危機感の無さから察するに、間違いなくこの人は商売に向いていないとだろう。

 しかし、それも今日で終わりだ。明日になればここはまた、テナント募集の紙が貼られている無人の空間となるだろう。

 また新しいバイト先を探さなければいけない。

 そう思って茂さんの所に戻ると、酒のボトルを持った茂さんが俺を待っていた。手に持っているのは、ウォッカという酒ではなかっただろうか。

「最後だしよ、いける口か?」

「……多少は」

 茂さんに誘われるがまま、俺はテーブル席に座る。

 俺の対面に座った茂さんは俺の前にグラスを置き、ウォッカを注いでくれた。距離がかなりあるはずなのに、アルコールの匂いが鼻をついてくる。

「ほら、乾杯」

「……乾杯」

 カラン、とグラス同士がぶつかって音を鳴らした。

 注がれたウォッカを飲もうとするが、度数が強すぎて少しずつしか入らない。

 その向かいでは、乾杯からわずか十数秒で一杯目を飲み干した茂さんが二杯目を注ごうとしていた。

「飲み過ぎたらやばいんじゃないのか? ウォッカだろ? それ」

「こまけえこたぁいいんだよ!」

 そう言ってどんどんと飲んでいく茂さん。相変わらず豪快な人物だ。

 ラーメンを作る時も大雑把というか、危なっかしくて見ていられない事が多い。よくもまあ、ラーメン屋を始めようなんて思ったものだ。

 せっかくだ、聞いてみるのもいいかも知れない。

 そう思った俺は、酒の力を借りて聞いてみることにした。

「なあ茂さん、何で茂さんはラーメン屋をはじめようなんて思ったんだ?」

 どうせ下らない話が始まるんだろうな、と思っていたのだが、茂さんは今まで騒いでいたのが嘘だったかのように静かになると、ゆっくりと語り始めた。

「俺は昔、札付きの不良でな。それはそれは恐れられたもんだったぜ。だけど、不真面目なのがかっこいいと思われてチヤホヤされるのにも限界があるんだってわかったんだ。だけどその頃には、威厳も地位も金も何もかも失っちまってたよ」

 そう言うと、茂さんは二杯目のウォッカを飲み干した。それに釣られて、俺も半分ほど残っていたウォッカを飲み干す。

「そんな時、俺は旅に出ることにしたんだ。色々行ったぜ? どでかい寺院があるところとかな」

「どでかい寺院? どこだよそれ」

「わかんねえけど、とりあえずいろいろ見て回って探したんだよ。俺のやりたいことを、な」

 茂さんの言葉に、思わず反応する。

 自分のやりたいこと、なんて俺は考えたことがない。何せ俺は、昔からそういう自分を殺してきたのだ。いまいちピンと来ないのも無理はないだろう。

 そんな俺をよそに、茂さんは話を続ける。

「まあ、なんやかんやあってラーメン屋を開くことが俺のやりたいことだって結論になってよ。俺、これでも家庭科の評価が五だったから料理には自信があってよ。始めてみたはいいがこれが中々難しくてな、未だに慣れないんだよ」

「……えっ、そんな行き当たりばったりでラーメン屋始めたのかよ!」

 衝撃の事実に、思わず大声を上げてしまう。そんな感じで始めたのならば、こんなに流行らないのも納得できる。

「がっはっは! だが後悔はしちゃいねえさ! 何せ俺は自分のやりたいことをやりたいようにやってるんだ。人生楽しすぎて幸せすぎて、世界中の恵まれない奴らに分けてやりたいぐらいだぜ」

「そんな大げさな……」

「いーや、俺は神様に会ったら土下座して感謝するね。こんなに幸せを与えてくれてありがとう、ってな。やりたいことをやって生きるってのは、そういうことさ」

「……ふーん」

 気づけば、茂さんは三杯目のウォッカを、そして俺は二杯目のウォッカを飲み干していた。当然、俺も茂さんも顔が赤く、完全に酔いが回っている状態だ。

「んで?」

「で? って?」

「お前さんはどうなんだって聞いてんだよ、大卒のフリーターさんよ」

「だから何が?」

「やりたいことだよ! 何かあるんだろ?」

「……考えたこともないね、そんなこと」

 俺がそう言うと、茂さんは空になった俺のグラスにウォッカを注いできた。俺はそれを受け取ると、無言でウォッカに口を付ける。

 茂さんも無言だったため、しばらく店内に静かな時間が流れていた。

 その間、俺はずっと考えていた。自分の本当にやりたいと思うこと、殺していた自分本当の自分の声のことを。

 まだ幼かった頃は、純粋に夢を見ていた気がする。大工になりたいとか、戦隊もののヒーローになりたいとか、現実的かどうかは別としてやりたいことに満ち溢れていた。

 それがいつ頃からか、現実を知るにつれて一つずつ減っていった。そして全てが消えた頃、俺は自分を殺すようになったのだ。

「わかるわけねえよ……そんなの」

「あん?」

「いや……ただの独り言だよ」

 思わず口をついてしまった言葉をごまかして、またウォッカを飲む。

 その様子を、茂さんはずっと見ていた。

「……なんだよ」

「俺はなぁ、自分自身、いや、ここに生きている人間全ては点だと思っている」

「はぁ?」

 突然、茂さんはウォッカをあおりながらそう言ってきた。あまりに突然の話題転換に、思わず言葉を無くしてしまう。

 黙っている俺を前に、茂さんはさらに続けてきた。

「点ってのはな、集まると線になる。そして線が集まれば面になる。面が集まったら今度は立体になる。俺は思うぜ、これは人間のあり方そのものだってな」

「どういうこと?」

「人間は全員点だ。だけど、その点、人間同士が繋がり合えば線にだってなるし面にだってなるし、立体にもなる。俺達が見ている世界が三次元なのも、点の人間が色んな奴と繋がりを持って生まれた立体だから、だと俺は思っている。つまり俺達のこの世界は、たくさんの人間が繋がり合って生きているから成り立っている世界なんだ」

「なんだよ、そのトンデモ理論は」

「まあ、簡単に言えば人とたくさん関われってことだよ! 人間一人じゃ点のままだ。だけど、たくさんの人間と繋がれば線になる。その線がお前にとってやりたいことになるんじゃないのか?」

 うまいこと言えて大満足しているのか、茂さんは残っていたウォッカを飲み干して四杯目を注ぎ始めた。

 しかし当の俺は、訳も分からず何も返答できないでいた。

 別に、茂さんの言いたいことが伝わらなかったわけではない。ただ、これで俺に何を伝えたかったのかがわからないのだ。

「なあ、茂さん」

「何だ?」

「何でそんなこと、俺に話したんですか?」

 そう聞くと、茂さんはまたウォッカを持ったまま黙り込んでしまった。しかしそれは、話す気がないための沈黙ではない、何かを考えているような沈黙。

「茂さん?」

「似てるんだよ、あの時の俺とお前が」

 茂さんは、そう言って俺の顔を見てきた。

「似てる? 俺と茂さんが?」

「あぁ、やりたいことが見つからなくて迷ってた頃の俺にな」

 そう言われて、俺は少し考えた。

 どうやら茂さんには、俺が迷っているように映っているようだ。しかし、俺自身は考えた事もない、自分が迷っているなんて。

「迷ってる、か」

「あぁ、そうじゃなきゃこんな寂れた流行らないラーメン屋になんか来ねえよ! がっはっは!」

「自分で言うかよ、それ」

 俺と茂さんは笑いながら、グラスのウォッカを同時に飲み干した。これで茂さんが五杯、そして俺が三杯と、結構な量を飲んだ。

 それ以降、茂さんは俺のグラスにウォッカを注いでくれなかった。つまりそれは、ここでこうやって話すのもそろそろ終わりだという事だ。

「よっしゃ! 最後にラーメン奢ってやる!」

「え?」

「遠慮するこたぁねえよ! 餞別だと思え!」

 そう言って、茂さんは厨房の方に歩いて行った。慎重に包丁を取り出して少しずつ材料を切っている茂さんの姿が見えて、思わず吹き出しそうになる。

 最後の最後まで、茂さんは茂さんだった。

 しばらくして、ネギの切り方もチャーシューの形も歪なラーメンがやってきた。

 何気に初めて食べる茂さんの作ったラーメンは、思いの外美味しかった。


  ***


 後で知ったのだが、茂さんが店主のラーメン屋「根無し草」は、各所を転々としている「幻のラーメン屋」として有名らしい。

 決まった場所に店舗を持たずに放浪している事、且つ滞在期間が平均二か月と短い事、名前の通り根無し草のような存在であるが故に、通の間で幻扱いされているらしい。

 しかし、何故茂さんは決まった場所に腰を落ち着けないのか。そんな事を考えるが、もう茂さんに会う事もないだろう。俺の中でこの疑問は、永遠に闇に葬られるだろう。

 その代わり、ずっと疑問だった事に答えが出てきそうだった。

「俺が迷っている、か」

 茂さんに言われた事を思い出して、俺は帰路につきながら少し考える。

 きっと俺は、茂さんに指摘されない限り考えもしなかっただろうし、思いもしなかっただろう。

 しかし、茂さんに言われてようやく気付いた。

自分を殺す事ができたのは、そこに間違いなく自分がいるからなのだ。元から自分と言う者がいないのならば、自分なんて殺せない。

「俺にもあるんだな、自分って奴が」

 ふと、茂さんが言っていた点と線の話を思い出した。

 もしかしたら茂さんは、人との繋がりを大事にするために各所を転々としているのではないか。色んな人と関わる事で、茂さんは点を線に、面に、そして立体にしたのだろう。

 そして茂さんは、こうも言っていた。そうやって出来た線や面が、その人にとってのやりたいことだって。

「……見つけてみようかな、俺も」

 茂さんがそうやって自分のやりたい事を見つけたのなら、俺もきっと見つけられるかもしれない。

どうせ会社もクビにされたし、バイトもこれで終わったのだ。これからの自由な時間を、見つけるのに使うのも悪くはないかもしれない。

「手始めに、旅にでも出てみるか」

 そう思った俺は、最初に行く予定の場所を頭の中で考える。

 その時、電気屋のテレビが目に入った。そこには、発展途上国の子供達を取り上げている番組が映っていた。

 今まではあまり気にしていなかったが、改めて見るとこんな自分にも彼らのために何か出来る事があるんじゃないか。テレビを見ながら、俺はそんなことを考えていた。

 ――そうだ、初めにカンボジアに行ってみようかな。


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