エンドレスサマー
盆入りも近い八月の夜――。
家族全員が帰省している中、ひとりだけ家に残ったボクは、部屋に籠って英語の長文問題を解いていた。
ピコン、とスマホに着信音。
無事秋田の実家に着いた連絡だろうと画面を見たら、知らないアカウントからのLINEメッセージだった。アイコンは初期設定のままで、名前は「さや」。
――だれかいますか
なんだこれ?
新手のスパム?
勉強に集中したいので放置していたら、また少しして着信音。
――さみしい
――だれかお話ししよ
今度は二連投。
絵文字もスタンプもない、文字だけの短文。
さやって誰だろう?
クラスメイトや友人知人、親戚の従妹まで考えてみたけど思い当たらない。
誰かがいたずらで名前を変えて送っているのかな。
下手に返事をしたら相手の思う壺だ。
スルーするつもりしかなかったが、もう集中力が途切れてしまっていた。
気分転換――リフレッシュだ、うん。
ちょっとだけ。
ほんのちょっとだけ。
>誰?
――!!
――よかった、返事きた
――ありがとう、ゆっくん
は?
どうしてボクの名前を知ってるの?
一瞬怖かったが、すぐに気がついた。
自分のアカウントが「ゆうすけ」と表示されていたことに。
それでも、見ず知らずの女の子からいきなり愛称で呼ばれて驚いたけど、ちょっと嬉しかったのは否定できない。
――あれ? ゆっくん?
――無視しないでよ
――おねがい
>なんでいきなりそんな呼び方なの
――え、だってゆっくんはゆっくんでしょ
>いや、ボクきみのこと知らないし
今度は返事が来るまで時間がかかった。
――そうだよね、ごめん
――やっと話ができる人があらわれて、舞い上がっちゃった
――なれなれしくしてごめんなさい
そんな風に言われると、こっちが酷いことを言ったような気になってくる。
>別にいいけど。こっちこそごめん
――やさしいね、ゆっくん
――ゆっくんと話せてよかった
――ありがとう
まるでそのまま消えてしまうかのような言い方が、妙に引っかかった。
>あのさ、なんでボクのアカウント知ってるの?
――わかんない
>え? でもそっちからメッセージくれたよね?
――メッセージ?
>え?
――なに?
微妙に話が通じてない。
いったいどういうことなんだろう?
しかし、ここでボクは彼女とのやりとりをやめてしまった。
彼女もその後、一度も返事をしてこなかった。
***
次の日の夜、ボクは英単語アプリで発音の練習をしていた。
昨夜と同じような時間に着信音が鳴り、通知バナーにメッセージが表示された。
――ゆっくん、いる?
いるってなんだよ、と思いつつも今夜はすぐに返信した。
>いるよ
――よかった
――お話できる?
>うん
――昨日はごめんなさい
>え、なんであやまるの?
――なれなれしくしちゃったから
>もういいよ、別に怒ってないし
また少し、返信が来るまで時間が空いた。
――ありがとう
――ゆっくんは今なにしてたの?
>勉強。来年受験だから
――高3?
>うん。キミは?
――さや
>え?
――キミじゃなくてさやがいい
ドキッとした。
自慢じゃないが、ボクは妹以外の女性の名前を呼び捨てにした経験がなかった。
>じゃあ、さやは何年?
――ゆっくんと同じ。たぶん
>たぶんてなんだよ、自分の学年わからないの?
――わかるよ。だから同じ高3!
>じゃあ来年受験、一緒じゃん
――さやは受験しないよ
>え、じゃあ就職するの?
――うん、まぁそんなところ
>なんかヘンなの
それから好きな食べ物の話になって、気がつくと日付が変わっていたので、慌てておやすみを言ってシャワーを浴びてそのまま寝てしまった。
***
それから毎晩、さやとLINEのやり取りをするようになった。
短い時はほんの数回の往復だけ。
長い時は1時間くらいずっとやり取りをすることもあった。
――へえ、妹がいるんだ?
>うん。あかりって言うんだけど
――あかりちゃんか。かわいい名前だね
>実物はかわいいっていうより生意気だよ
――いいなぁ
――さやは一人っ子だから、兄妹に憧れてるんだ
>そうなんだ
――そうなの
>いいことばっかりじゃないけどね、兄妹も
――贅沢!
>そんなことない。一人っ子の方が全部ひとり占めできて贅沢じゃん
――そうかな
>そうだよ
――でもひとりはやっぱりさみしいよ
こんな感じで、普通に話せるようになっていた。
さやはいつもだいたい同じ時間、23時前後にメッセージをくれた。
いつの間にか、ボクはそれを楽しみに待つようになっていた。
***
――さや、ゆっくんに会ってみたいなあ
突然そう言われたのは、そろそろ家族が帰って来るお盆過ぎの17日の夜だった。
LINEのやりとりはもう随分慣れて普通に会話するようになったけど、直接会うのはさすがに抵抗があった。
――ゆっくん?
>あ、ごめん。考え事してた
――うそ
――ほんとは会いたくないって思ってたんでしょ
先にそう言われてしまうと、それを肯定するのが難しくなった。
>そんなことないよ
――え! じゃあ会ってくれるの?
ここで間を空けたらまたツッコミが来る。
>そのうちね
――そのうちっていつ?
>そのうちはそのうちだよ
――そのうちってゆっくんのうち?
いきなり話がズレたな、と思ったけどちょっと面白かったので
>そうだよ
と返してしまった。
――やった! ありがとゆっくん!
その日はそこで会話が終わってしまった。
さやってちょっと気紛れなところがあるよなぁと、ボクは笑って済ませた。
***
翌日、本来なら家族が帰省から戻る日のはずだったのに、東北地方の大雨の影響で飛行機が欠航になってしまったらしく、一日延期になったと昼過ぎに母から電話がきた。
もう一日、自由な日が出来たことに浮かれながらも、やることは勉強に変わりなかった。
冷凍食品のチャーハンをチンして食べて、午後は苦手な古文をやった。
するとスマホの着信音が鳴った。
あれ、母さんたちもしかして飛行機飛ぶようになったとか?
そう思ってスマホを覗き込むと――。
――ねえ、なんで無視するの?
え? なに? どういうこと?
まだ夕方になる前なのに、さやからだった。
時間も、内容も、いろいろ様子がおかしい。
――ゆっくんってば!
ピコンという音と同時に通知バナーにメッセージが表示された。
>どうしたの?
おそるおそる文字を打ち込んで送信した。
――どうしたのじゃないよ!
――さっきからずっとさやのこと無視して
――ひどいよ、ゆっくん!
さっきからってなんだよ。
いきなりメッセージ送ってきたのはそっちじゃんか。
と思ったけれど、そのまま返しても火に油を注ぐようなものだ。
>ちょっと落ち着いて
と送ったが、リアクションがなかなか返ってこない。
>さや?
――ゆっくん、今なにしてるの?
来た!
けど、脈絡のない返事にまたボクは困ってしまった。
>勉強してたとこだよ
――そうじゃなくって、今何してるの?
>さやとスマホでメッセージのやりとりしてる
ヘンな質問だなぁと思いつつも、正直に答えた。
――そっか、そういうことだったんだ
>え? なにが?
――ううん、こっちの話
――ヘンなこと言ってごめんね、ゆっくん
急に機嫌がよくなったのだろうか。
元々そういう性格だったとしたら、ちょっと怖いな。
――ゆっくん、そのTシャツ似合ってるね
え!?
慌ててスマホの画面を確認した。
カメラ通話にはなっていなかった。
でもじゃあどうして?
***
その夜、早めの夕食を済ませて英単語アプリを始めたところで着信音が鳴った。
――ねえ、寒いよ
>寒いって、今どこにいるの?
――なに言ってるのよ
――ずっとゆっくんと一緒にいるじゃない
――それより、ちょっとエアコン効きすぎじゃない?
どういうこと!!???
ボクは痩せ型なのに暑がりなので、エアコンはいつも24度に設定していた。
もちろん風量は強で、しかもパワフルモードだ。
>冗談やめて、怖いよ
もう充分怖かったが、冗談にしたかった。
冗談にしなければならなかった。
ピッピッピッと音がした。
あれはエアコンを操作するリモコンの音だ。
ちょっと、まさか――。
慌ててリモコンの液晶画面を見たら温度設定が27度に、風量が微風に、モードは「しずか」に変更されていた。
「うわぁッ!!」
堪らず声を上げてリモコンをベッドの上に放り投げると、そのままスマホと財布だけ持って階段を駆け下り、外に飛び出して自転車に乗ると全力でペダルを漕ぎ出した。
***
「悪い、こんな時間に」
「いいよ、別に。でも珍しいな悠介がオレんち来るなんて」
ボクは小学校からの付き合いの同級生、健太の家に逃げ込んだ。
健太の母親に怪訝な表情をされながらも、健太の部屋に入れてもらって、ようやく一息つくことが出来た。
「で、なにかあったのか?」
「それが……」
あの晩の最初のやり取りから、ついさっきのエアコンの件まで、一気に話した。
健太は百面相のように表情を変えながらも、何も言わず最後まで聞いてくれた。
「悠介、お前さあ――」
健太が自ら話をしようとしたその瞬間、着信音が鳴った。
ボクはほとんど反射的にびくっと体が動いた。
しかし、鳴ったのは健太のスマホの方だった。
さっきの自分の反応が少し恥ずかしくなって、苦笑いをするボクの目の前で、スマホを見ている健太の顔色がゆっくりと青ざめていった。
イヤな予感がして、健太の隣に回り込んでスマホの画面をのぞいた。
――ゆっくんを返して
息をのんだまま、固まってしまった。
健太も黙り込んで、身動きひとつしなかった。
ピコン。
――早く返して
ピコン。
――そこにいるんでしょ
ピコン。
――健太くん、お父さんいないの?
「うわぁッ!!!」
健太がスマホを放り投げて、尻もちをついたまま後退りして壁に背中をつけた。
「悠介……なんなんだよコイツ……」
ボクは気味が悪いのと同時に、健太に申し訳ないという気持ちで一杯になった。
健太の父親はボクが小学校5年の頃、病気で亡くなっていた。
それから母一人子一人で、ここまで頑張ってきたのだ。
「ごめん、健太」
「ばか、お前が謝るなよ」
少し気を取り直した健太だったが、まだ頬がちょっと引き攣っていた。
「ボク、帰るよ」
「あ、おい悠介! 待てよ!」
健太の言葉を背中に聞きながら、小走りに階段を下りると「お邪魔しましたー」とリビングの母親に声をかけ、健太の家を出ると再び自転車を漕いだ。
ポケットの中でスマホが着信音を鳴らし続けていたが、無視した。
***
駅前にある、たまに行く漫画喫茶の個室ブースに入り、黒いマットの上に横になった。
今夜はここで過ごそう。
家には戻らない。
ピコン。
まだ鳴っている。
もう怖くてスマホの画面を見ることも出来ない。
ピコン。
なんだよもう!
急にキレてしまったボクは、LINE画面からさやをブロックした。
これでもうメッセージを送ってこられないだろう。
ガコンッ!!
突然真っ暗になった。
え、なに? 停電?
漫画喫茶全体が真っ暗になり、スマホの画面らしき灯りが各ブースの中で光っている。
ピコン。
ピコン、ピコン。
嘘だろ、おい。
もしかして……。
「申し訳ございません。ただいまブレーカーの確認中ですので、少々お待ちください」
店員の声が聞こえてきた。
スマホのライト機能で店内を確認して回っている様子だった。
ピコン。
ピコン。
そう言えば最初もいきなり何の前触れもなくメッセージが来たんだった。
ブロックしても無駄なんだな。
ピコン。
わかったよ、戻ればいいんだろ戻れば!
もうヤケクソだった。
スマホのライトでカウンターまで行って会計をしようとしたら、お代は結構ですと言われたのでそのままビルを下りてまた自転車へ。
ただし今度は決して急がず、できるだけゆっくりとペダルを漕いだ。
***
――ゆっくん、おかえり
玄関に入った途端、さっきまでのことは何もなかったかのようにメッセージが来た。
>ただいま
ボクはそれだけ返すので精一杯だった。
その夜は眠れなかった。
***
翌日――。
「ただいまゆうくん。ごめんね一日遅れちゃって」
「朝イチの便しかなくて、父さんたち寝不足だよ」
「おにい、ただいま」
玄関で家族を迎えた時、本当に心の底から安心した。
さやが家族になにかするんじゃないかと、気が気じゃなかったからだ。
母と父と妹は、ボクの目の下のクマを見ても何も言わず、そっとしておいてくれた。
大方、遅くまで勉強していたのだと勘違いしてくれたのだろう。
そして安心したボクは、そのまま部屋に戻って眠った。
***
ピコン。
着信音で起こされた。
――ゆっくん、そろそろ勉強しないの?
スマホの時間を見たら16:37だった。
>今日はまだいいよ
――ふーん、そうなんだ
――それじゃ、さやとあそぼ
>遊ぶってなにするの?
――かくれんぼとか
>いつも隠れてるのに?
――あははは、面白い
――でもゆっくん、全然見つけてくれないじゃん
>見えないんだよ、仕方ないだろ
――そっか。やっぱり見えないんだ
もぞっ。
布団の中で何かが動いた。
足の先の方。
もぞもぞっ。
なにかが、足をだんだん上の方に上がって来る。
どうしようもなく気になるけど絶対に見ちゃダメだと、もうひとりのボクが言ってる。
もぞもぞもぞ。
とうとう腰から胸の辺りまで移動してきた。
ダメだ、このまま放っておいたら顔まで来てしまう。
両手で布団の上をそっと掴み、呼吸を整える。
(いちにのさんっ!)
心の中で叫んで、思い切って布団を上げて中を――目が合った。
大きな二つの目。
「うわああああああッ!!!!」
叫びながら布団から這いずり出てベッドから転げ落ちた。
「どうしたの、おにい」
隣の部屋の妹が驚いて様子を見に来てくれた。
ノックもせずに開けるのはどうかと思ったけど、今はむしろ嬉しい。
「いや、なんか寝ぼけてベッドから落ちたみたい。ははは」
頭の後ろに手を当てて苦笑いするしかなかった。
ピコン。
おいやめろ、やめろやめろやめてくれ。
一度部屋を出て行こうとした妹が振り返る。
「夕食出来たら呼んでくれよ」
笑顔を作ってできるだけ自然に言うと、「うん」と言って部屋の扉が閉まった。
ピコン。
――あかりちゃん、かわいいね
>なんのつもり?
――え? どういうこと?
>家族は関係ない
――関係なくないよ
――ゆっくんの家族はさやの家族と同じだよ
くそ、ここはたぶん絶対間違えちゃダメなとこだ。
>そう思ってくれるのは嬉しいけど、家族が驚くようなことは絶対しないって約束して
――わかった
――約束する
良かった……。
ピコン。
――だからゆっくんもさやと約束して
交換条件か?
>なにを?
――さやをひとりにしないって
どういう意味なのか、考えろ。
全然わからないけど、下手に答えたらダメなのはさっきと一緒だ。
>どういうこと?
――昨日みたいにひとりにしないで
>外に出るなってこと?
――本当はそれがいいけど
――さやもついて行っていい?
え、外に出れるの?
この家の中にしかいられないのかと思ってたけど、そうじゃないのか。
ますますわからなくなってしまった。
>何もしないって約束するなら、いいよ
――ほんとに?
――やったー!
――ありがと、ゆうくん♡
こうして、外出する時にもさやがついてくることを、心ならず許可してしまった。
***
それからは特に何事もなく、一日に何度かさやとやり取りしながら、平和に過ごした。
ただ、日が経つにつれて、家の中でさやの気配を感じるようになっていった。
姿は見えないけれど、確かにさやがいる。
部屋で勉強している間も、さやの気配を常に感じていた。
夜、寝ている時も、たまにあのもぞもぞが起きた。
もちろん、布団の中をのぞこうだなんて二度と思わない。
そうしているうちに気づいた。
よくよく考えると、さやが外で誰かに何かをしたとしても、ボクにはそれを全て見抜くことは不可能なんじゃないかと。
もしかすると、もう家の中で、家族の誰かが何かされているのではないだろうかと。
つまり、あの約束はボクが見つけられる範囲でのみ有効なのだ。
さやは幾らでも、その隙をつくことができるだろう。
夏休みが終わりに近づくにつれて、ボクは妹との会話が減ってきていることに気づいた。
「おい、あかり」
夕食の後、思い切って声をかけてみた。
「なに?」
「なにって……あ、最近どう?」
「なにが?」
「調子、とか?」
「へんなの」
ボクの方がキョドってしまい、うまく話せなかった。
すると、一旦離れかけた妹が立ち止まって振り向いた。
「……私は大丈夫だから」
それだけ言うと妹は階段を駆け上がって自分の部屋に入ってしまった。
大丈夫ならそれでいいや。
少なくとも、さやは今の会話を邪魔しなかった。
両親の方は今のところ特に変化は見られない。
このまま夏休みが終わり、学校が始まったら、いったいどうなるのだろう?
さやが学校についてくる、それだけで不安の種は尽きなかった。
ボクの残りの高校生活は?
ボクの受験は?
友達や、家族は?
ピコン。
――学校、楽しみだね
ああ、夏休みがこのまま終わらなければいいのに――。





