⑦
キースの告白が終わったあとも、長い沈黙が続いていた。
離宮の空気は、まだ過去を抱えたままだった。
キースは動かなかった。
いや――動けなかった。
長い年月。
誰にも触れさせず。
誰にも伝えられず。
たった一人で抱え続けてきた後悔が、ようやく言葉になってしまったから。
「……っ」
喉の奥で、何かが詰まる音がした。
キースの肩が、わずかに震える。
それを見た瞬間。
私の胸は、痛いほど締め付けられた。
この人は、どれだけ長い間。
自分を罰し続けていたのだろう。
愛した人を救えなかったことをー、全部自分一人の罪だと思い込んで。
キースは俯いたまま、小さく息を吐く。
「……私は」
掠れた声だった。
「ただ、ティアに幸せになってほしかっただけなんだ」
その声音は、あまりにも弱かった。
王族でも。
前世の宰相の子でもない。
ただ、大切な人を愛してしまった、一人の人間の声だった。
「なのに……」
指先が、震える。
「結局、私は何一つ守れなかった」
ぽつり、と落ちた言葉。
その瞬間だった。
キースの中で、何かが崩れた。
張り詰めていたものが、音もなく砕ける。
肩が、大きく震える。
堪えていた呼吸が乱れ。
押し殺していた感情が、とうとう溢れ出す。
「……っ、あ……」
うまく息ができないみたいに。
喉の奥から、壊れた声が漏れる。
泣いていた。
キースが、まるで子供みたいに静かに泣いていた。
ルーナの胸の奥で、何かが切れた。
気づけば、身体が動いていた。
ゆっくりと近づき。
震えるその背中へ、そっと腕を回す。
キースの身体が、一瞬だけ強張る。
私はキースを離さなかった。
まるでーずっとそうしたかったみたいに。
「……ルーナ」
掠れた声ー壊れそうな声だった。
私は、その背中へ額を寄せる。
広い背中だった。
ずっと、自分を守ろうとしてくれていた背中。
でも今は誰よりも孤独でー誰よりも傷ついて見えた。
「……貴方だけじゃありません」
静かに、言葉を落とす。
「罪を抱えているのは」
キースの肩が、わずかに揺れる。
私は目を閉じる。
前世の記憶。
王座。
アランへの恋。
そして国を捨てた夜ーあの時、自分は確かに愛を選んだ。
国よりも。
責任よりも。
”愛されたい”と願ってしまった。
その結果、多くのものを失った。
「だから、私も同じです」
声が震える。
それでも、逃げなかった。
「私は……愛を求めて、国を滅ぼした」
静かな告白だった。
誰にも言えなかった罪。
女王でありながら。
民を守るべき立場でありながら。
一人の女として、愛を選んでしまった。
その結果ーたくさんの人を傷つけた。
「貴方の罪なんて……」
私はゆっくりとキースを抱きしめる腕に力を込めた。
「私が犯した罪に比べれば、大したものじゃありません」
その言葉に、キースの呼吸が、止まる。
ルーナは続ける。
「だから……もう、一人で背負わないでください」
涙が、静かに頬を伝う。
「前世で犯した罪も」
「失ったものも」
「苦しかった記憶も」
全部、消えたりなんかしない。
きっとこれからも、一生残る。
「それでも一緒に、生きていきましょう」
その言葉は、赦しではなかった。
忘却でもない。
罪を抱えたまま。
傷を消せないまま。
それでも隣で生きると決める、覚悟だった。
キースの肩が、再び震える。
その震えは、さっきまでとは違っていた。
張り詰めていた孤独が。
長い時間閉じ込めていた痛みが。
少しずつ、溶けていくみたいだった。
「……っ」
キースは顔を覆うように俯く。
声にならない嗚咽が漏れる。
私は何も言わず、キースを抱きしめ続けた。
もう二度と、この人を一人で泣かせたくないと思った。
やがて離宮の窓から、柔らかな光が差し込んでいた。
静かな午後の光だった。
けれどそれは、ただ部屋を照らしているだけではなかった。
長い長い孤独の果てに。
何度もすれ違い。
何度も失い。
それでもなお、辿り着こうとし続けた二人を――静かに包み込むような光だった。
涙の痕が残るまま、キースはゆっくりとルーナを見る。
その瞳には、もう誤魔化しも、拒絶もなかった。
過去に囚われたまま閉ざしていた感情をーようやく、差し出そうとしていた。
「ルーナ……私の気持ちを伝えてもいいだろうか?」
その声は、ひどく静かだった。
しかしそれは王族としてでも。
前世の罪を背負った男としてでもなく。
ただ、一人の人間として。
愛した人へ届いてほしいと願う声だった。
私は、涙の滲む目を細める。
胸の奥が、熱く痛んだ。
この人はずっと。
言いたかったはずなのに。
失うことが怖くて、口にできなかったのだ。
ルーナは、泣きそうなまま微笑んだ。
「……ずっと、待ってましたよ」
その瞬間ーキースの表情が、静かに崩れる。
張り詰めていたものがほどけるみたいに。
ようやく、“許された”みたいに。
キースは、そっと手を伸ばした。
壊れ物へ触れるみたいに。
けれど今度は、もう迷わなかった。
「愛してる。もう、絶対に離さない」
その言葉は。
前世では伝えられなかった想いだった。
守るだけでは届かなかった感情。
失ってから気づいた願い。
何度生まれ変わっても。
結局、たった一人しか愛せなかった男の、痛いほど真っ直ぐな告白だった。
キースは私を自分の胸の中へ引き寄せる。
強くーけれど、確かめるように抱きしめた。
私もまた、その背へ静かに腕を回す。
もう、逃げなかった。
もう、手放さなかった。
前世で背負った罪も。
失ったものも。
消えることはない。
それでも二人は、互いを選んだ。
痛みを知ったまま。
傷を抱えたまま。
ーそれでも隣で、生きていくために。
離宮の静かな部屋で、ようやく二人は――
“同じ場所”へ辿り着いたのだった。




