⑤
キースがソラに出会ったのは、まだ剣を握り始めたばかりの頃だった。
自分は強いのだと、どこかで信じていた。
若さゆえの傲慢さだったのかもしれない。
折れないと思っていた。
自分なら、何でもできるのだと。
その思い込みを、たった一言で砕いたのが――騎士団を率いていたソラだった。
「遅いですね、殿下」
淡々とした声。
だがそこには、一切の迷いがなかった。
悔しかった。
胸の奥を、鋭く抉られたようだった。
けれど同時に、目を逸らせなかった。
そこにあったのは、ただ“正しい強さ”だったからだ。
勝つためではない。
誰かを守るために、無駄を削ぎ落として辿り着いた強さ。
迷いを抱えたままでも、前へ進める人間だけが持つ静かな強さだった。
だからこそ――キースは、その背中を選んだ。
ソラの剣は、美しかった。
激しさではなく、静けさで圧倒する剣だった。
誰かを傷つけるためではなく。
誰かを守るためだけに振るわれる剣。
無駄な力みはなく。
見栄もない。
ただ、“守る”という意思だけが研ぎ澄まされていた。
キースは、そんなソラに惹かれていった。
師として。
憧れとして。
いつしか、“こうなりたい”と思うほどに。
そして、ソラから剣の訓練を受け、数年が経った頃。
キースは、ソラに大切な存在がいることに気付く。
それが――ルーナだった。
ソラに迎えられた、一回りも年下の婚約者。
最初に彼女の話を聞いたとき、キースはただ静かに耳を傾けていた。
「……ルーナは、全然笑わないんです」
ソラは、どこか苦しそうな顔をしていた。
「閉じ込められて育ったせいで、人の顔色ばっか見ている」
その声音には怒りも滲んでいた。
彼女をそんな風にした環境への、抑え込んだ怒りが。
ルーナは、長い間、壊れた環境の中で生きていた。
愛情という名の執着に閉じ込められ。
誰にも助けを求められないまま。
ただ静かに耐え続けていた。
それでも、完全には壊れなかった。
傷つきながらも。
怯えながらも。
それでもなお、生きようとしていた。
ソラは、そんな彼女へ惹かれていた。
最初、ソラはその話を淡々としていた。
義務として始まった婚約なのだと。
そう言い聞かせるみたいに。
けれど、話を重ねるたび、その声音は少しずつ変わっていった。
「……最初は、私はただの婚約者であろうと思ってました」
窓の外を見ながら、ぽつりと零す。
「でも、気づいたら彼女を救いたいと思うようになっていた」
その言葉だけが、やけに静かだった。
静かでーどうしようもなく、本気だった。
ソラはルーナを救おうとしていた。
壊れ物へ触れるみたいに、慎重に。
閉ざされていた世界を、少しずつ広げるみたいに。
その話を聞くたび、キースの胸の奥には、説明できない感覚だけが残った。
知らないはずなのに、なぜか、引っかかる。
名前を聞くだけで。
話を聞くだけで。
胸の奥が、妙にざわついた。
まるでー遠い昔に、一度失ったものを思い出しかけるみたいに。
そして――数年後。
貴族の夜会で、初めてルーナと出会った。
ソラの隣に立つ少女。
美しく着飾っているはずなのに。
その身には、どこか静かな危うさが残っていた。
華やかな灯りの中にいるのに。
まるで、一人だけ別の場所に立っているみたいだった。
誰かに怯えているわけじゃない。
けれど、“傷つかないように存在している”空気があった。
周囲へ気を配り。
空気を乱さないように笑って。
けれど、その笑みの奥だけが、ひどく遠かった。
そして、ソラがルーナを見る横顔は、剣を握る時とはまるで違っていた。
あれほど静かで、あれほど優しい顔を、キースは他に知らなかった。
キースは、ルーナと視線が合った瞬間。
息が、止まりそうになった。
――似ている。
それは顔立ちなんかじゃない。
もっと曖昧で、もっと深いものだった。
かつてのティアも、そうだった。
ー王女として、誰からも愛されて育った人。
太陽みたいに真っ直ぐで。
笑うことを疑わず。
人を信じることを、当たり前のようにできた人。
その笑顔だけで、周囲まで明るくなるような存在だった。
しかし、両親を亡くし、王座を継ぎ、一国を背負うようになってからー。
ティアは、少しずつ変わっていった。
誰よりも気丈に振る舞いながら。
誰よりも弱音を隠すようになった。
泣きたいはずなのに笑って。
苦しいはずなのに、人を安心させる側でいようとした。
平気な顔で立っているくせに、一人になると、静かに息を吐く癖があった。
“自分が崩れれば国も崩れる”と知ってしまった人間の顔だった。
ルーナを見た瞬間。
その“壊れ方”が、あまりにも似ていた。
痛みに慣れようとしているのに。
本当はまだ、誰かに助けを求めたいままの目。
――もう限界まで孤独なのに。
それでも周囲を気遣ってしまう優しさ。
そして何より。
――自分を後回しにする癖。
全部、知っていたー前世で。
ずっと、近くで見ていたから。
その瞬間、キースは理解した。
ルーナは、ティアだ。
そして同時に。
自分は、またこの人を愛してしまうのだと。
そして――ソラもまた、気付いていた。
キースが、理由もなくルーナを目で追っていることに。
そこにある感情の輪郭に。




