死神
「僕」の体験談。
短編ホラーです。
彼女は死神が見えると言った。
ぴったりとくっついて私の元からまるで離れないと、よく話していた。
彼女に出会ったのは、ある地元の総合病院の病室だった。
あまり予後の良くない患者の集められたその一室に彼女はいた。
彼女はよく外を眺めていた。
僕はその光景を今でも思い出す。
窓際に置かれた彼女のベッドからは外の景色がよく見えた。
僕は彼女の枕元に立って、その憂いを含んだ後ろ姿をいつも見ていた。
正直に話すと、彼女の余命は短かった。
それが僕にはよく分かった。
日に日に衰えていく彼女の体は、僕の耳元でその残酷な真実を囁きかけていた。
その息吹が僕の耳朶を撫でていく度に、僕はどうしようもない無力感に襲われた。
そして僕は彼女の名前を何度も無意味に呼んだ。
ナツミ。
それが彼女の名前だった。
ナツミはいつも笑っていた。
病室には彼女の澄んだ鈴の音のような笑い声がいつも響いていた。
隣のベッドの暗い顔をした男も、彼女の笑い声を聞くと心なしか和らいだ表情を見せた。
たまらず彼女に尋ねた時があった。
彼女は答えた。
だって楽しいんだもの。
楽しいものはいつだって楽しい。死ぬ間際だったとしてもね。
そう言って笑う彼女を見て、僕と男は言葉が出なかった。
胸が詰まる思いがした。
僕も男も彼女には死んでほしくなかった。
俺が先に死にたいなあ。
男がぼやく。
僕と男はふと目が合った。
彼女に生きていて欲しい気持ちは同じだった。
だめですよ。あなたが死んだら私泣いちゃいますから。
彼女は悲しそうな顔をして言った。
しかし、その三日後、本当に男は亡くなってしまった。
みんな寝静まる深夜、誰にも知られることなく男は静かに息を引き取った。
そうして日々が続いた。
いろいろな形で人はこの部屋を去っていった。
色々な病気の名前があった。
彼らは決まって早朝か深夜に去っていった。
何気ない会話が最後の挨拶になった。
中には快復して家族の元へ帰る人もいた。
そういう人はこの病室では稀であったが、退院の日になると彼らの家族がやってきた。
みんな抱き合って、外の世界へと帰っていった。
彼女は誰とでも仲良くなれたから、彼女の元にはお別れを言う人がいつも集まった。
屈託のない笑顔で彼らを見送る彼女を見て、僕は俯いたままだった。
彼女の元に面会に来た親族は一人もいなかった。
僕には彼女の孤独を完全に拭い去ることはおそらく出来ない。
僕に出来ることは、ただ彼女の側にいることだけなのだ。
ありがとうと呟く彼女を見て、僕は固く心に誓うのだった。
死とは唐突に訪れる。
その男が病室に現れたのも突然だった。
ひどく背の高い痩せぎすの男だった。
今にも破けそうなぼろぼろの服、ごわごわとした黒髪、落ち窪んだ目元、歪んだ唇。
どこか鋭利さを感じさせる視線が僕たちを射抜く。
まるで死神だ。
僕は身構えた。
男は自分を腕利きの医者とだけ名乗った。
あなたのご友人からの頼みで、あなたの病気を治すように来ました。
ご友人……?
彼女が不思議そうに尋ねると、男は何人かの名前を挙げた。
この病室で亡くなっていった人たちの名前だった。
ですが今日は挨拶だけしに来ました。
治療などはしないのですか?
彼女が聞くと、男は言った。
ええ、今日は上手くいきそうにないので。
男はそう言って、その日は帰ってしまった。
それからと言うもの、男は毎日のように彼女の元に現れた。
男は昼夜を問わずに現れた。
きっかり朝の九時、昼の一時、夜の七時の三回、彼女の元を訪れた。
しかし何か特別な治療をするわけでもない。
二、三言体調の良し悪しを聞いて部屋を出ていくのだ。
同じ部屋の患者たちは、みんな男のことを訝しがっていた。
彼女もやはり不審がった。
病状は日増しに悪化していくのに、男は一向に何もしない。
僕は苦しそうに咳き込む彼女のために、何度も吸い飲みの水を汲んできた。
それではまた明日の九時に来ます……。
そう言って男は今日も病室を後にする。
一人になった僕は彼女の顔を見つめる。
彼女の顔は苦痛に歪んでいる。
僕の顔も悲哀に歪んでいく。
彼女の額に浮かんだ汗を拭うと、水を汲みに僕も部屋を出た。
夜の廊下はとても冷ややかで、僕は少し背筋が寒くなった。
彼女がいなくなってしまったらどうしようと言う思いが、足元から僕の脳内までひっそりと這い上がってきた。
僕は彼女のことが好きだ。
いつまでも一緒にいたい。
片時も離れたくない。
死という存在が二人を分つものだというのなら、僕は一体どうしたら良いのだ。
そんなことを考えながら、僕が彼女のベッドまで帰ってくると、彼女は布団を頭までかぶって寝ていた。
僕は彼女の枕元に吸い飲みを置く。
少しでも飲んだ方が良い。
僕はそう言ってそっと布団をめくる。
そこには彼女の足があった。
僕の背後で声が聞こえる。
「ア……カ……テ…………」
僕は理解するのを拒む。
しかし僕の頭がその言葉を理解し始める。
ーーまるで消えゆく炎のように。
その時には僕の姿は跡形もなく、この世から姿を消していたのだった。
落語「死神」を題材に書きました。
ああ、消える……。




