8 二律背反
「……ジル」
「はい」
「どうしたらいいと思う?」
「急に深刻そうな顔で話しかけられると怖いんですが、まずは内容をお伺いしても?」
執務室で紅茶を淹れていた私に、唐突に投げかけられた問い。
声の主はもちろん我が主――ソフィーさま激推し貴族代表、ジュリエンさまです。
ただでさえ「ちょっと変わった思考回路」の持ち主なのに、ここ最近は特に「思考に感情が混ざる割合」が爆増していて、会話するたびこっちの胃が痛くなります。
「……ソフィーが、陰口を叩かれていたらしい」
「陰口……とは?」
「『公爵家の後ろ盾があるからって調子に乗っている』とか、『あれくらいで気に入られるなんて』とか……」
……なるほど。まぁ、貴族の学園には付き物ですね。
いくらソフィーさまが人格者でも、突き抜けて目立つ存在であれば、妬み嫉みの類は避けられません。
まぁ、あのソフィーさまなら笑顔ですべて躱しておられそうですが。
ただ、私はちょっと心配になっていることがあります。
これを聞いて、この脅迫魔人がどう動いたのかが。
「……で、どう対処されたんですか?」
「していない」
「はい?」
「ジルに『脅迫はやめなさい』って言われただろう」
「えらい!!」
私は即座に拍手を送りました。
誰よりも反省の色が見えなかったくせに、ちゃんと覚えてるとは……これは確実に成長しています、うん、してる。
しかし、ジュリエンさまは続けました。
「だからこそ悩んでいる」
「……?」
「脅迫するのではなく、彼女の魅力を正しく伝え、理解を深めてもらえれば、誤解も解けると思う」
「……ほぅ。珍しく真っ当なことをおっしゃいますね」
「それに――彼女は本当に、誰よりも素晴らしい存在だ。あの優しさ、あの気遣い、あの笑顔……一度でも知れば、軽々しく口にすることなどできないはずだ」
「…………」
「彼女の美点を知らないまま、偏見で陰口を叩くのは、もったいない。だから……伝えたい」
……なるほど。
「――でも」
「出た、でも」
「全人類が彼女の良さに気づいてしまったら、俺は生きていけない」
「はい! 来ました、ジュリエンさま恒例『情緒の暴走』タイムです! ちゃんとしたことを言い始めたときから、むしろこれを期待していた自分に反吐が出そうです!!」
ここからが長かったんです。
以下、ジュリエンさまの矛盾の渦をご覧ください。
「ソフィーは誰からも称賛されるべき存在だ」
「でも、そうなると視線が集まりすぎてよくない」
「とはいえ、否定されるのはもっと許せない」
「だから認めてほしい」
「でも、愛されすぎるのは困る」
「せめて俺よりは愛してほしくない」
「いや、愛されてると嬉しいんだけど……!」
「…………矛盾で爆発しそうだ」
「してるんですよ、もう」
要するに彼の言いたいことはこうです。
一、ソフィーさまの悪口は許せない
二、だから魅力を知って、改心してほしい
三、でもみんなに好かれすぎたらそれはそれでイヤ
いや、わかります。わかるんですけれども。
完全に愛が強すぎて、独占欲と布教欲が喧嘩してる状態です。
「なあジル。俺は……どうすればいいと思う?」
真剣な顔で聞いてくるジュリエンさまに、私は真面目に答えることにしました。
「……正直、どちらかに振り切る必要はないと思いますよ」
「……どういう意味だ?」
「『ソフィーさまの良さを理解してもらいたい』という気持ちは大事です。でもそれは、全員が恋愛的に彼女を好きになるわけじゃありません」
「そうなる人間もいるだろう!」
「そうなった人はもう、ジュリエンさまのお好きになさればよろしいかと。ですが、ソフィーさまの人柄に敬意を持って接する人が増えることは良いことでしょう? 好意を持つことと、恋に落ちることは、別ですから」
「……なるほど……」
ようやく少し落ち着いた顔になりました。
よかった。爆発しなくて。
「でも……念のため聞いておくが、俺がその『境界』を超えたと思ったらどうする?」
「即脅迫はよくありません。きちんと、諦めてもらうよう説得しましょう」
「それなら今もしていることだろう」
「あれは説得とは言いません。脅迫です」
この日の夜、ジュリエンさまはソフィーさまに「今日も君は誰よりも素敵だった」と手紙で伝えたそうです。
ジュリエンさまのくせになかなかやるではありませんか。
人間の心というのは、自分の知らぬ間に傷を負っていることもありますからね。
今回は特に大きな事件は起こりませんでした。
ただ、最近なぜか一部の女子生徒がソフィーさまにそっと菓子を渡しているという噂を聞くことが多くなったのは、気のせいではないと思います。
ジュリエンさまの布教活動、地味に始まってる気がしてなりません。
ほどほどにしてくださいね、ほんとに。