7 下心はあるのかもしれない
小学生レベルの下ネタあり。ご注意ください。
夜会というのは、社交の場であると同時に、貴族社会における「舞台」でもあります。
男たちは礼服をまとい、女たちは煌びやかなドレスに身を包む。
音楽と香水の香りが混ざる空間のなか、表向きは優雅に、しかし水面下では政略と感情が渦巻く。
――まあ、私はそういう場があまり得意ではないのですが、出席しないわけにもいきません。
なにしろ、私は「ルブラン伯爵家の三男」という立場でもあるのですから。
ジュリエンさまの執事である以前に、私もまた、貴族の男なのです。
さて、そんな夜会の会場で、私はワイングラスを片手に、周囲をさりげなく見回していました。
目当ては一つ。ジュリエンさまの様子を見ることです。
こうして、何の苦労もなく夜会でのジュリエンさまのご様子を伺うことができるのは、貴族として生まれた甲斐があったというものでしょう。
こういった夜会では、権力に目が眩んだ愚か者どもが、彼に近づこうとすることだってあるのですから。
たいていの人間はジュリエンさま自らが処理なさいますが、それでもやはり心配事はあるもので。
「…………」
いた。
そして。
様子がおかしい。
いや、正確に言えば、姿勢も所作も完璧です。背筋は伸び、手元のグラスも角度も美しい。
周囲の令嬢たちからの視線も熱いですが、彼はまったく気に留めることなく、ただ一点を見つめていました。
――その視線の先には、ソフィーさま。
なるほど、あの美しいドレス姿を見て、少々理性が吹き飛んでしまったんですね。
うんうん、まあ分かる。わかりますとも。
あれはたしかに可愛いです。すごく可愛い。というか、反則の領域ですね。
しかし――
「……いや、どこ見てるんですか、ジュリエンさま」
思わず、口から声が漏れてしまいました。
ジュリエンさまの視線は、ソフィーさまの顔ではなく――明らかに胸元あたりに落ちています。
しかも、ずっと。何分も。ほとんど瞬きもせず。
あの、お言葉ですが。
それ、紳士としては大事故です。
私は慌ててグラスを置き、人波をすり抜けてジュリエンさまの元へ急行しました。
さすがにまずい。まずいのです、これは。
使用人ごときが出しゃばるな、などと言ってられない事態なのです。
「ジュリエンさま!!」
「……ジル?」
「……目を上げてください」
「え?」
「いや、あの、そこじゃなくて、視線。見るならソフィーさまのお顔を見るべきです。お顔を」
声を潜めて訴えた私に、ジュリエンさまはようやく視線をずらしました。
その顔はほんのり赤く、頬まで染まっています。
「……見れない」
「はい?」
「……あんなに、綺麗で……かわいくて……あんなドレス姿で……目を合わせたら、心臓がもたない……」
やめてください。本気で言ってますよね、それ。
こちらが照れてしまいますから。
「いえ、それはわかるんですけど……その、第三者から見ると『ずっと婚約者の胸元見てる人』になってますので……」
「……っ!?」
ジュリエンさまが、ビクンと肩を震わせた。
「し、下心とかじゃないんだ……!! 本当に……! 本当にそんなつもりは……!!」
「わかってます。私にはわかってますから、落ち着いてください。大丈夫です」
そう、私は知っています。
ジュリエンさまが、ソフィーさまに対して抱いているのは「純粋な好意」です。
いわば初めて男女を意識したような幼い子どもたちが、お互いの顔を合わせるのに恥ずかしがっているような、そんな態度であり、そこに下心など存在しません。
――が。
「見た目が、完全に『あからさまに凝視してる変態』なんですよね……」
「……ッ……」
これはちょっとフォローしきれない。
「とにかく、目線だけでも顔の方に上げましょう。意識して。いけますか?」
「……努力する……」
「はい、がんばって。いつも通り、無表情を装ってください」
「……それが、無理なんだ……」
「……ですよね……」
ジュリエンさまの声は、本当に苦しげでした。
普段はあれほど感情を顔に出さない方が、今はもう明らかに、顔が緩みそうで緊張している状態です。
必死で平静を装おうとしているのが、痛いほど伝わってきます。
「……これは、あれですね。見てる場所に下心はなくても、結果的に『あるように見える』という恐ろしい現象」
「…………」
ジュリエンさまは、もう消え入りそうな声で言った。
「……下心……ないとは……言い切れないかもしれない……」
「何言ってるんですか、蹴飛ばしますよ」
手を繋ぐことさえいまだに躊躇っているあなたが、それ以上のことなど勇気を出せるわけがないでしょう。
まだまだ子どもなのですから、そんなに焦って背伸びをしなくてもよろしいのです。
とはいえ、このままだと、シェネル公爵子息は婚約者の胸元をじっと見ている変態だ、などと変な噂が飛び交ってしまいます。
シェネル公爵家の敵は、ここぞとばかりに攻め立ててくることでしょう。
ジュリエンさま、そうならないように、なんとか頑張ってください!
***
その後。
なんとか視線をソフィーさまの顔に戻したジュリエンさまは、頑張っていつも通りの冷静さを装い、ソフィーさまと言葉を交わしていました。
ソフィーさまは、何も気づいていないのか、それとも気づいても笑って受け流してくださっているのか、終始にこやかに応じておられます。
――心が広い。広すぎる。天使か?
そのやりとりを遠目で見守りながら、私はそっとため息をつきました。
(やれやれ……ジュリエンさま、ほんと顔に出やすいんだから……)
心配は尽きませんが、まあ。
それも「本気で好きだから」ということは、痛いほど分かっているので。
……せめて、あと少し視線の管理を覚えていただければと思う、夜会の夜でした。