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3 好きな子には構いたい

 最近のジュリエンさまは、調子に乗っています。


 公爵家の嫡男にしては可愛げがある方だとは思っていましたが、ソフィーさまとの婚約が決まってからというもの、まあ何というか、いろいろと()になっておられます。


 もちろん、私の主人が誰かを想って幸せそうにしているのは、執事として嬉しいです。けれど、今夜の彼の企みには、正直言って反対でした。


「ジル。今日の食後酒に、例のフルーツリキュールを出せ。ソフィーの分も少し」


 それを聞いた私は、思わず眉をひそめました。


「ソフィーさま、お酒はお好きではないと聞いておりますが……?」

「いや、好き嫌いではない。『弱い』だけだ」


 なお悪い。


 ちなみにこのときのジュリエンさまの顔は、真面目ぶっていましたが、明らかに悪戯を企む子どもの顔をしていました。


「一滴程度だ。少量なら問題ない」

「その()()が一番怖いんです」

「……少しだけ、様子が見たいだけだ。ソフィーは、どうなるのか……気になって」


 好きな子に構いたい。それはわかります。分かりすぎるほどに。


 ですが、その方法がこれでいいのかというと、断固としてよくありません。


「おやめになったほうがよろしいかと」

「……ジル。お前には、好奇心というものはないのか」

「使用人に好奇心など必要ありません。必要なのは危機察知能力です」


 それでアルノー家の方々に怒られるのは執事である私なのですから。

 彼らは伯爵家で、ジュリエンさまは公爵家。いくら婚約している関係とはいえ、圧倒的にジュリエンさまの方が身分が高いのです。怒りたくても、表立って直接怒ることなどできませんから、必然的にそのお怒りは私にまわってくるということです。


「……この間、俺との賭けに負けただろう。そのときに何でも一つ俺の言うことを聞くと約束した」

「待ってください、それとこれとは――」

「見ろ。ここにお前の書いた契約書がある」


 ああ……! こっそり処分しようと探し回っても見つからなかったのは、そんなところに隠していたからなんですね……!


 思わず、ジュリエンさまが引き出しから取り出した一枚の紙を睨みつけてしまいます。そこには確かに、私の署名が。


「……本気で、こんなことに使うおつもりですか」

「俺にとっては『こんなこと』ではない。それに、必要ならまたお前に勝てばいい話だ」

「ああそうですか!! あなたはそうやって余裕でいればいいですよ!!」


 ……いつか痛い目を見ればいいのに。


 と、まぁなんだかんだで押し切られてしまった私は、リキュールに細工をし、限界ギリギリまで薄めた風味だけある水を用意する羽目になりました。


 これくらいなら、お酒が弱いというソフィーさまでもきっと大丈夫だろう、と。


 ……それが、甘かったとは思いもよらずに。



 ***



「この果実水、とても美味しいですね。少し温かくて、香りも豊かで……」


 その夜、ソフィーさまは本当に嬉しそうに笑っておられました。


 しかし――


「……んふふ」


 その表情が徐々に、変わっていきました。


 どこかぼんやりして、頬がほんのりと赤い。

 口元には、普段の上品な微笑とは違う、ふにゃりとした緩みが浮かんでいます。


「……ソフィー、酔ったのか?」


 あまりの可愛さに口の端を上げているジュリエンさまが、そっとソフィーさまに近づきます。

 彼女は「大丈夫」とふるふる首を横に振りました。


「ジュリエンさまって、やさしいですね」

「ッ……!」


 私の前で、ジュリエンさまの背筋がピクリと震えました。


「い、いきなり、どうした……?」

「ん〜? いつも……私に優しくしてくださって、素敵な方だなって……」


 あー、これは……大丈夫じゃないですね。確実に今のソフィーさまは、酔っています。

 こんなに酔うほどのものを出した覚えはないのですが、それほどソフィーさまはお酒に弱い、と。

 万が一のことがないように、あとで料理人たちには報告しておきましょうか。


 ですが――

 これはまた、とんでもなく、可愛く酔っておられますね。


 普段から穏やかな笑顔でジュリエンさまとも良い関係を築いておられますが、これほど率直に気持ちを伝えておられるのは初めて見ました。

 お酒の力って、すごいです。


 ジュリエンさまの顔色が、サッと青ざめました。これは、別の意味で限界だという顔です。


「ソ、ソフィー。大丈夫か……?」

「だいじょうぶです……でも……ちょっとあついかも……」


 そして、ポスンとジュリエンさまの肩に頭を預けました。


 ……おや。



 ドゴォン!!


 という幻聴が聞こえた気がしました。

 きっとジュリエンさまの鼓動が、耳に届くほど響いたのでしょう。


「……ジル」

「……はい」

「……おれの、心臓が、止まりそうだ」

「止めないでください。こっちが困ります」


 それでも彼は動けません。

 ソフィーさまの前でもいまだにあの無表情で通していたはずの男が、今は顔を真っ赤にし、目を泳がせております。


 そんな彼に、私は一歩近づいて、囁くように言いました。


「……で、ジュリエンさま。これが()()の結果ですよ」

「…………うん。ごめん」

「次はありませんからね?」

「……はい……」


 この期に及んでソフィーさまが「ジュリエンさまの婚約者でよかったです」などと口にし、ついに彼は椅子から転げ落ちていました。




 それから数分後。


 ソフィーさまは客室のベッドでぐっすりと眠られており、私はジュリエンさまの私室でお茶を淹れながら、彼をにらみつけておりました。


「もう二度と、ソフィーさまにお酒を飲ませるなんて真似はしないでください」

「……しない。誓う」

「ほんとですか? 本当に『ちょっと見たいだけ』で、こうなったんですよ?」

「……もう見た。十分見た。……満足した」


 反省しているように見えますが、半分は感動の余韻に浸っている顔でした。


 やれやれ。完全に恋に落ちた男は、面倒くさいにもほどがあります。


「本当に次やったら、ソフィーさまに全部報告しますからね。『あのときのお酒、わざとですよ』って」

「やめてくれ……」


 情けない声で項垂れるジュリエンさま。


 彼の隣で紅茶を差し出しながら、私は一言、念を押しました。


「――絶対、ですからね」



 ちなみに、後日アルノー家のすごく怖い侍女の方に、ジュリエンさまも私もしっかりと怒られたのでした。

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