10 アルノー家からの報告書
月に一度、私にはある「大仕事」があります。
それは――
アルノー家、ソフィーさま付き侍女からの定期報告書の確認です。
「……来ましたね」
テーブルの上にそっと置かれた封筒。
差出人の名は書かれていませんが、独特な封の結び目と、宛名の筆跡ですぐにわかります。
アルノー家筆頭侍女、マルグリット嬢。
ソフィーさまを幼少期から支えてきたという名侍女にして、絶対に怒らせてはならない相手ランキング第一位の御方である。
ちなみにそのランキング、第二位はなぜか「ソフィーさまが本気で怒ったとき」、第三位は「ソフィーさまが泣いたときを目撃したジュリエンさま」です。全部ソフィーさま絡み。
封筒を開けると、ピシッと折り目の入った便箋が二枚。
手書きで隙のない丁寧な筆跡、文末に書かれた「以上、今月の報告とさせていただきます。アルノー家侍女代表 マルグリット」――これは、緊張しますね。
さて、内容は……
【報告一】
ソフィーお嬢様が、シェネル卿とお別れになる際、毎回苦虫を噛み潰したようなお顔をされているのを見て、「私、何か無礼をしてしまっているのでしょうか」と不安を口にされました。
お嬢様は、もしシェネル卿に疎まれているのであれば、婚約を辞退すべきかとも悩まれているようでした。
【報告二】
図書室にてお互いに読書される際、新しい本を取ろうとするたびに、なぜか毎度同じ本を選ばれてしまう件についてもお悩みです。
いつもシェネル卿が譲ってくださるので、「私ばかり受け取って申し訳ない」と気にされておりました。
意図的にかぶせていらっしゃるのかと疑念を持たれつつあります。ご説明を願います。
「…………はあ」
私は思わず額に手をあてて、ため息をつきました。
かわいそうに、ソフィーさま……。
でもそれ以上に、説明をしなきゃいけない私が一番かわいそうだと思います。
まず、報告一の件に関して。
あの苦虫を噛み潰したような顔について、私は知っています。
毎回ソフィーさまと別れたあと、部屋に戻ってすぐ「つらい……今日も終わってしまった……」と膝を抱えるジュリエンさまを、何度介抱したことか。
「あと一分でもいい、もう一度顔を……」
「あのとき手を振るんじゃなくて、名前を呼んでいれば……!」
「もっと語彙を豊かにして『好き』を表現すべきだった……!」
ジュリエンさま、ただの恋に全振りしたポエマーです。
顔が険しいのは、ソフィーさまと離れがたすぎて、自分の表情を保つので精一杯だから。
それだけなんです。怖がらせるつもりなんて、これっぽっちもないんです。
ましてや嫌っているなんて。そんなこと絶対にあり得ません。
そして報告二。
図書室で本を選ぶときに、同じ本に手を伸ばす件。
……うん、それも知ってる。
あれ、完全にタイミングを狙ってやっています。
「すまない、俺もこの本を取ろうと思っていた」
「どうぞ」
「……いや、君に読んでほしい。ぜひ感想を聞かせてくれ」
このやりとりがしたくて、わざわざ手元に置いた選書リストを捨てて、ソフィーさまの視線をガン見して選んでるんですよ、ジュリエンさまは。
本がほしいんじゃない。手が重なる瞬間がほしいだけ。
ほんとに、堂々と下心見せてくれたほうがまだ清々しいんですけどね。
私は、丁寧に報告書の返信を書き始めました。
【返信】
報告一について:
ジュリエンさまは、アルノー伯爵令嬢とのお別れがあまりにお辛いため、感情を抑えようと必死になっているだけです。
いわば顔面に現れる「我慢の結晶」であり、決して不快感や怒りではありません。
彼の心中は常に「まだ話したい」「あと少しだけ傍にいたい」でいっぱいです。ご安心ください。
報告二について:
手が触れそうな距離で同じ本に手を伸ばすのは、ジュリエンさまなりのスキンシップです。
恋心の表現が古典的かつ回りくどいため、ご令嬢が混乱されるのも無理はありません。
譲っているのは善意ではなく、「君のためなら全てを差し出したい」という愛のアピールです。
すでに十二回繰り返されておりますので、そろそろバレるかもしれません。
なお、両案件とも悪意は一切なく、愛情過多による現象です。
万が一にもアルノー伯爵令嬢が不安を抱かれるようであれば、即刻ジュリエンさまに指導を行います。
以上、報告への回答とさせていただきます。
ジル・ルブラン
封をして、使いの者に託します。
これで今月も親衛隊としての役割は果たしたはずです。
ただ、油断はできません。
あのマルグリット嬢――
以前、一度だけ「報告書では物足りないので直接伺います」と言って、夜会の会場に現れたことがあります。
そのときのジュリエンさまの汗の量は、今でも忘れられられません。
……彼の婚約者は、本当に素晴らしい女性です。
その背後にいる侍女が、本当に怖いことを除けば。