願の果て
3度目の死はない。私がゼノを終わりまで導いてみせる。悪役になっても構わない。たとえゼノに嫌われたとしても、この役目果たしたい。
いや、嫌われるのは悲しいな。できる限り嫌われないように、でもいざとなったら覚悟は決めなければ。それまではこのままでいさせてほしい。
女神は、私の手を引いて上に向かう。水の中の世界は、空がきらきらしている。風に揺れる水面は陰ることを知らないよう。それなのに、隣の女神の横顔はどんどん陰っていく。
「なぜそこまでする?」
「好きだから」
「それだけか?」
「はい」
女神はまるで奇妙なものを見るような目で私を見た。そんなに変なことを言っただろうか。人を動かす原動力は案外単純だ。ただ好きだから。その思いさえあれば、どこまでも走って行ける。どんなに遠かろうとも。何年かかろうとも。
陸に上がる寸前、「私には分からない」と言った女神はどこか寂しげだった。
地上に出た時、女神の姿は見えなかった。あれは幻だったのだろうか。不安に思ったが、泉のそばにゼノが横たわっていた。さっきまで無かった体がちゃんとある。
「女神さま、ありがとう」
泉の方へお礼して、ゼノの元へ駆け寄った。彼の心臓に手を置くと、時を刻むようにゆっくり動いていた。それに反して、私の鼓動はバクバクと音をたてていた。
生きている事がこんなにも嬉しと思ったことは無かった。ただ、当たり前のようにあった命。それがあることに慣れて、有り難みを忘れてしまっていた。
今、生きていることは奇跡みたいなものなのだ。
風が吹いている。雲が流れて、太陽を隠す。小鳥のさえずりは、よく聞こえる。世界はこんなにも豊だっただろうか。この世界だけのことか。いや、私の居た場所にもあったはず。
存在していたのに、見えていなかったのだろう。どれだけ多くのものを見過ごしてきたのか。今になってはもう知ることは出来ない。だから、しっかりこの目に焼き付けなければ。ゼノのに必要とされなくなる日まで。
顔にかかる髪に触れると、まぶたがぴくりと動いた。とっさに手を引っ込め、少し距離をとる。
目をこすり、まるで今まで眠っていただけかのようにあくびをした。
「俺、こんな所に来てたか?」
ゼノは不思議そうに辺りを見渡す。どこまで記憶が残っているのだろう。
「お散歩して、休憩してたんだよ」
「そうだったか」
「さあ、帰ろう」
泣きたくなるのをこらえて、笑った。
隣に並んで歩いたのは初めてだ。端から見ていたら細く見えるのに、意外と大きかった。私よりも重たいだろうに、あの首の軽さを思い出してしまった。
まだ拭いきれないあの感触は、しばらくは消えてくれないだろう。
家は燃える前の状態に戻っていた。安心しつつも、アインがどこからか襲ってくるのではないかと、不安になる。きょろきょろしていたら、ゼノに不審な目で見られた。
「うさぎを探してるんだ」
「腹減ったのか?」
まさかの言葉に驚いたが、張り詰めていた気持ちが少し緩んだ気がした。
家の中だからといって油断は出来ないが、ゼノの存在を近くに感じられる。少しは安心していいのかもしれない。
椅子に座ると、ゼノがお茶の準備をしてくれた。いつもはそんなことしないのに。慣れない手つきだが、ここは見守ることにしよう。
茶葉を準備していると、ゼノは「こんな傷あったか?」とでも言いたげな顔で、窓に映る姿を見ていた。
「その傷、どうしたの?」
恐る恐る聞いてみるが、あっけらかんとしていた。
「さあな。いつの傷かなんて覚えてねえよ」
「そう」
私は指先の小さな傷跡さえ覚えている。缶詰の切り口でついたもの。溢れる血が恐ろしいと思ったのに。
首を一周する傷跡さえ軽く思ってしまうほど、多くの傷があるのだろう。
「痛くない?」
「大したことねぇよ」
「ほんとに?」
「ああ」
ゼノは目を逸らした。本当の事なのか、強がっているのか分からない。もし痛いのなら、苦しいのなら教えてほしい。
そう思うけど、それは叶わないだろう。ゼノは強い人だ。何でも一人で抱えてしまう。だから、この先抱えるであろうものを私が消し去りたい。その目が、もう二度と絶望を映さないように。




