第十二章(1)
「フリック、大丈夫?」
授業が終わったあと、心配そうに声をかけてくるマーガレットを連れて、僕たちは食堂で軽食をとることにした。
「大丈夫だよ、マーガレット。ちょっと目眩がしただけだから」
「フリックが珍しく寝坊してさ。朝ごはんを食べられなかったんだ」
ご飯を食べないとね、体力がつかないからね。ライズはそう言いながら、ケーキやパフェをものすごい勢いで口に運んでいる。
「どうして寝坊なんてしたの? 眠れなかったの?」
マーガレットにそう聞かれて、僕は一瞬言葉に詰まった。
言うべきか、言わないべきか。
ひとりで抱え込んで解決できる話でもない。早めに相談しておくべきだろう。
僕は意を決して口を開いた。
「実はさ、昨晩部屋に帰ったあとに、例の犬が僕を迎えにきてくれて」
「えっ、喋るワンちゃんが見つかったの? 迎えにきたって……部屋に?」
「窓の外を見たら、居たんだよ」
「それで、どうしたの?」
「神子が見つかったって言うから、付いていったんだ。そしたら……」
「ええ!? 会ったの?? 本人に?」
声が大きい。
僕は慌てて周囲を見回した。
カフェタイムの今、食堂に人はそれほど多くない。特に注目を浴びていないことを確認してから、僕は声を落として続けた。
「神子に会った。少しだけ話したよ。思っていたのとだいぶ違って……普通の男の子だった」
「普通って、具体的にどんな感じ?」
「僕たちと同じ言葉を喋るし、普通に笑うし、気弱なところもあって……至って普通の男の子だよ」
「人違いの可能性はない?」
「ないよ。あれは神子だ。普通じゃないところもあったし、間違いない」
僕は彼の容貌や話していたことを、ふたりに伝えた。
ギラギラとした赤い瞳、鋭い八重歯、尖った耳。寝起きだったせいか、記憶が混濁しているようで、仲間を探してさ迷っている様子だった。
「仲間?」
「神子は、仲間と暮らしていたみたいだ。たぶん、風見鶏に来る前の話だと思う」
「仲間って、どんな人たちなのかしら」
「神子と同じような体質らしい。歳を取らなくて、ご飯を食べなくても生きられるって」
「それって……神さまってこと? 神さまの世界の仲間なのかしら」
神さまの世界。
それは、もしかすると『聖地』のことだろうか。
この間の神政学基礎の授業で聞いた言葉が思い出される。
――神の安息地、そして我らが崇める神子様の故郷。
「聖地はザイヴァに荒らされたって言ってたよね。それで神さまの怒りを買ったって」
「ええ。今は荒廃していると聞くわ」
「じゃあ、神子の仲間は今どこにいるんだろう」
「天界に帰ったんじゃないかしら」
「天界? 月の上にある?」
マーガレットは頷いた。
「イーノスを置いて帰っちゃったってこと? 一人残らず?」
僕の問いに、マーガレットは困ったように眉を下げる。
「神子さまは、わたしたちアスティリアの国民を導くために、地上に残られたのよ」
「…………」
その説明に、僕はどうしても納得がいかなかった。
少なくともイーノスは、自分の意思で残ったようには見えなかった。
仲間と暮らすことを望んでいるのに、それが叶えられていない――そんな印象だった。
そのことを伝えると、マーガレットはさらに困った顔をする。
「そう言われても……神子さまは、ご自分で天界に戻ることはできないのかしら」
「空を飛べる雰囲気はなかったよ」
「それなら……飛行石をたくさん使えば、月まで行けないかしら」
「スフェーンを使いこなせたら、連れていけたりするかな」
僕たちは至って真面目に議論していた。
それなのに。
隣で黙って聞いていたライズが、突然ブフッと噴き出した。
「えっ、何? 突然。汚いわねぇ」
「あんまり笑わせないでよ。今、食事中なんだからさ」
「別に笑わせてなんかないわよ。何がおかしかったの?」
ライズはナプキンで上品に口元を拭き、僕たちを小馬鹿にしたように言う。
「発想が幼稚だよ。ランタンを飛ばしたり、人間を飛ばそうとしたり。いくら上に上げたって、物体が月に届くわけないのに」
「何よ。月は上にあるんだから、上っていけばいつか辿り着くでしょ!」
「着かないよ。絶対に」
「どうして断言できるのよ」
「だって、月は物体じゃないからさ」
「????」
相変わらず、ライズは謎めいたことを言う。
けれど彼がここまで断言するのなら、きっと本当にそうなのだろう――そんな気がした。
「じゃあさ、ライズはどう思う? 神子の仲間はどこにいて、どうやったら元の場所に帰れるんだと思う?」
「ぼくに聞かないでよ。知るわけないでしょ」
「天上世界にはどうやって行くの?」
「…………」
「神子は困ってるんだよ。きっと人間世界に居場所がないんだ」
僕の問いかけに答えず、ライズはどこか焦点の合わない視線をこちらに向けてきた。
「ねぇ、フリック」
「なんだよ」
その声音に、胸の奥がざわつく。
「その神子ってさ……今、どこにいるの?」
「棺のある部屋だよ。夜まで待っていてって言っておいた」
なぜか、マーガレットまでが不安そうな顔で僕を見る。
「一体どうしたの、ふたりとも……」
そう言いかけた瞬間だった。
背後に、ふっと気配が立ち上る。
振り返るより早く、その何者かは僕の首もとに抱きついてきた。
「見つけた! フリック!」
「!?!?!?!」
心臓が止まるかと思った。
耳元で聞こえた弾んだ声――間違いない、イーノスだ。
ここは真っ昼間の食堂。人目も多い。
思考が完全に停止する。
ガタン、と音を立てて最初に立ち上がったのはライズだった。
彼は無言で僕の腕を掴み、イーノスごと背中を押すようにして歩き出す。
マーガレットも事情を悟ったのか、何も言わず僕の反対側に回り、同じように腕を引いた。
――隠す。
三人でイーノスを囲い込むようにして移動する。
ライズは自分の制服のケープを脱ぐと、そのままイーノスの頭に被せた。
怪訝そうな顔をしながらも、イーノスは大人しく僕の背に張りついてくれる。
向かう先は、当然――棺のある部屋。
なんとか誰にも怪しまれずに辿り着き、扉を閉める。そして、僕たちは床にへたり込んだ。
「び、びっくりしたぁ……」
「何が起こったのか、一瞬わからなかったわ……」
「ごめん……本当に、ありがとう」
ふたりに礼を言ってから、呆然としているイーノスに向き直る。
「どうして待っていてくれなかったの? 昨晩、約束したよね」
「約束? 何の話だ?」
「仲間のことを調べるから、その間ここで待っていてって――」
イーノスは僕の言葉を遮り、ライズとマーガレットを指差した。
「なあ、フリック。こいつらは誰だ? お前の仲間か?」
「神子イーノス。初めまして!」
マーガレットが、いつもの明るい笑顔で一歩前に出る。
「わたしはマーガレット・アレクサンドラよ」
「俺様はイーノスだ」
「よろしく、イーノス」
ふたりが自然に握手を交わしたのを見て、少しだけ肩の力が抜けた。
一方でライズは、イーノスからケープを取り戻し、低い声で僕に言う。
「どうする気なの? こいつと関わるの、絶対ヤバいよ。面倒見きれるの?」
「ちょっと、ライズ。捨て犬を拾ってきたみたいな言い方しないで」
マーガレットがすかさず噛みつき、イーノスの頭を優しく撫でながら床に座らせる。
「安心して。わたしたちはフリックのお友達よ。あなたの仲間を探すの、手伝うわ」
「本当か? ありがとう!」
さすが弟持ちの姉だ。
年下の男の子への距離の詰め方が自然すぎる。
三人が座り込んだのを見て、僕もその正面に腰を下ろした。
ライズは不承不承といった様子で隣に座り、僕たちは円を描くような形で向かい合う。
こうして――
神子を交えた、奇妙な話し合いが始まった。
「話を整理させてもらってもいいかしら。イーノス、あなたはそこの棺で、ずっと眠っていたのよね?」
「ああ。たぶん、そうだ」
「最近になって目を覚まして、二、三日のあいだ学校の中をうろうろしていた、と」
「仲間を探していたんだ」
「仲間というのは……あなたのお友達のこと?」
「仲間は仲間だ。それ以外に言いようがない」
“友達”という言葉が、彼にはピンとこないのかもしれない。
マーガレットはわずかに苦笑しながら、質問を続けた。
「あなたは、わたしたちの間では『神子』と呼ばれているの。そのことは知っている?」
「ああ……そういえば、そう呼ばれたこともある気がする」
「どうして、そんな呼ばれ方をしているのかしら」
「ところで……『ミコ』って何だ?」
マーガレットはぱちくりと瞬きをして、僕のほうを見る。
少し考えてから、僕は説明した。
「『ミコ』っていうのはね、『神さまの子供』って意味だよ。イーノスは僕たちと違って歳を取らないし、お腹もすかないだろ? そういうところが、神さまみたいだって思われているんだ」
「神さまって何だ?」
「神さまっていうのは……空の上にいる、すごく偉い存在のことだよ。人間を創って、育てて、悪いことをしないか見ている存在、かな」
「そんなやつは知らない」
イーノスは即座に言い切った。
「俺様たちの生みの親は、『チエノキ』だぞ」 「『チエノキ』?」
どこかで聞いた響きだ。
その言葉を頭の中で転がしていると、図書館にある巨大な樹のオブジェが思い浮かんだ。
「……『知恵の樹』?」
「『知恵の樹』、かしら」
僕とマーガレットは顔を見合わせ、再びイーノスを見る。
「イーノスの生みの親は、『知恵の樹』なの?」
「そうだ。エルフルトがそう言ってた」
「エルフルト……?」
「俺様の姉だ」
「……お姉さん?」
イーノスは当然のことのように頷いた。
しばらく、彼の話を遮らずに聞いてみることにした。
要約すると、こんな話だった。
――仲間はみな、知恵の樹という巨大な樹から生まれた。
根元から仲間が生まれ、枝には小さな実がなる。
空腹や体調不良のとき、その実を食べることはあるが、それ以外のものを口にしたことはない。
「知恵の樹って……確か、聖地にあるって言われていなかった?」
じゃあ、やっぱりイーノスの故郷は聖地なのか。
神政学基礎の授業で見た地図が脳裏に浮かぶ。
大陸の中央に描かれた、小さな円。
何人たりとも立ち入ることを許されない、聖なる場所。
「聖地って、ザイヴァに荒らされて、今は荒廃しているんだよね」
「ええ。復活させるために、アスティリアが管理しているのだけれど……」
イーノスは、不安そうな目で僕たちを見つめていた。
マーガレットは一瞬言葉を詰まらせ、それから努めて明るく微笑んだ。
「ごめんなさいね、イーノス。あなたの故郷について、わたしたちはあまり詳しく知らないの。調べてくるから……少しだけ、待っていてもらえるかしら」




