第七章(4)
結局この日の晩も、僕は満足に眠ることができなかった。
ライズはあのあとすぐ解放されたらしく、暗い顔で寮へ戻っていく姿を遠目に確認している。
なんだか顔を合わせるのが怖くて、僕は帰り際にそのままお風呂へ向かい、しばらく時間を潰した。
部屋に戻ったときには、ライズはすでに自分のスペースに籠っていたので、顔を合わせずにベッドへ辿り着くことができた。
ベッドに潜り込んではみたものの、目は冴え切ったままで、まるで眠れなかった。
――ライズは、今いったい何を考えているのだろう。
僕は今まで、何の疑いもなく彼と接してきた。
彼が、僕たちと“敵対する側”の人間かもしれないなんて、思いもしなかった。
でも、よく考えてみたら、彼は最初から僕たちに協力的だったわけではない。
たまにポツリと意見をこぼすことはあっても、基本的には傍観者の立場を崩さなかった。
僕たちを監視して、アイビー先生に状況を伝えていたのだろうか。
そして今度は、僕たちの調査を邪魔する側に回るつもりなのだろうか。
――いや、落ち着け、僕。
“敵”って、なんだよ。
そもそも、僕はどうしてこんな調査を始めたんだ?
ただの興味本位で首を突っ込んだだけじゃないか。
ブレガー家を貶めるつもりなんて、少しもなかった。
もしアイビー先生が本気で嫌がっているのなら、やめたほうがいいのかもしれない。
わざわざライズと敵対してまで、七不思議を調査する必要が、本当にあるのか?
頭の中がぐるぐると回り、自分が何をしたいのか、次第にわからなくなっていった。
ろくに眠れないまま迎えた翌日。
濃い隈を作った僕は、さっそくマーガレットに心配されることになった。
一方のライズはというと――
いつもとまったく変わらず、至極マイペースに振る舞っていた。
「不規則な生活をするから、眠れなくなるんだよ」
そう言って僕をたしなめる彼は、昨晩の出来事など気にも留めていない様子だった。
もしかして、僕の気にしすぎなのだろうか。
そう思おうとしても、不安はどうしても拭いきれなかった。
――七不思議の調査を続けていたら、ライズとは友達でいられなくなるんじゃないか。
僕が七不思議を調べているのは、コリウス先生に頼まれたから。
ディクティスに頼まれたから。
学長に期待されているから。
そして、神子に少しだけ興味を持ったからで……。
もし、それと引き換えに友達を失ってしまうのだとしたら。
そんな調査を、続ける価値は本当にあるのだろうか。
僕の葛藤など知る由もないマーガレットは、「授業のあとにハーベストを連れ出すわよ!」などと、いつもどおり明るく宣言してくる。
ライズも特に止める様子はなく、「ぼくは行かない」と、あっさり言っただけだった。
僕は悩んだ。
悩んだけれど、ここでマーガレットを止めるのは、かえって不自然な気がした。
とりあえず、ハーベストの話だけは聞いておこう。
そう決めて、僕は彼女と一緒にハーベストのもとへ向かった。
「ねぇ、ハーベスト。ちょっと話がしたいんだけど、今から大丈夫かしら」
ハーベストは、いつものように隣の席のバートと話していた。
突然マーガレットに声をかけられて、目を丸くしている。
「俺に用? 弟じゃなくて?」
「バートに用はないわ。あなたは付いてこないで頂戴」
「はいはい。お好きにどうぞ……」
バートはいつもどおり眠たそうな目で、姉を面倒くさそうに一瞥すると、そのまま去っていった。
取り残されたハーベストは、怪訝そうな表情を浮かべたまま、それでもにこりと笑う。
「いいぜ。聞くよ。どんな話だ?」
「ここじゃ、ちょっと話しづらいわ」
「わかった。じゃあ、講堂前広場にでも行こうか」
相変わらず、爽やかなやつだ。
彼は僕たちの不可解な行動に文句ひとつ挟まず、人気のない場所へとスタスタ歩き出した。
この日はあまり天気が良くなかったので、バス停に併設された屋根付きの待合スペースを選ぶ。
ベンチに座ったハーベストを取り囲むようにして、“内緒話”が始まった。
「君たちから俺のところに来るなんて珍しいよな。改まって、何の話だ?」
「えっと、聞きづらいことなんだけど、その……」
僕は、どこから話せばいいのか迷った。
ハーベストは、過去に七不思議を調べようとしていた人物だ。ハックフォード先生やアイビー先生と繋がっている可能性は低いはず。
それでも――本当に、すべてを話してしまっていいのだろうか。
僕がもたもたしている間に、マーガレットが口を開いた。
「テオドア・ロートシルトって、知っている?」
わあ、直球だなぁ……!
僕が驚いたのと同様に、ハーベストもその問いに目を見張った。
「どうして、そんなことを聞くんだ?」
当然の疑問が、彼の口から出る。
「なんでもいいでしょ。知っているの? 知らないの?」
えぇー!? そのままごり押すの!?
背景くらいは説明するべきだと思っていた僕は、マーガレットの無謀な質問にハラハラしてしまう。
「同じ家系の人間だ。知らないわけがないだろう。だけど、マーガレット。君は少し無礼じゃないか? どうしてそんなことを聞くのか、何が知りたいのかがわからないと、俺だって答えようがない」
ごもっともな指摘だった。
僕はマーガレットに視線を送る――ほら、背景を説明しなきゃ。
しかし彼女は、フフンと鼻を鳴らして言う。
「なるほど。知っているのね! どんな人? 今は何をしているの?」
「だーかーらー、どうしてそんなことを聞くのかって……」
ハーベストは文句を言いかけて、やがて諦めたように深く溜め息をついた。
「まあ、いい。アレクサンドラ家とは旧知の仲だ。そのくらい教えても問題ないだろう。君の実家の人だって、知っているはずだからな」
な、なんだってー。
まさか、マーガレットの無茶苦茶な要求が通ってしまうなんて、思いもしなかった。
彼女は一瞬、勝ち誇ったような視線を僕に送ると、「ほら、早く教えてよ」と、横柄に催促する。
マーガレットの無礼を気にする様子もなく、ハーベストは静かに、けれど流暢に語り始めた。
「テオドア・ロートシルトは、二代前の当主の弟だよ。かなり優秀な人でね。うちの家系の中でも特に正義感が強くて、熱い男だったそうだが……若くして変死したそうだ」
「変死……?」
「ああ。死因はわからない。なにぶん五十年以上前の話だし、詳しいことは俺も知らない」
「何かの調査をしていた、という話は?」
「それは知っている。かなり危険な調査をしていたそうだ。正義感の強い人だったからね。使命感に燃えていたらしい」
ハーベストはゆっくりと首を振る。眉間には深い皺が刻まれ、不快感がありありと浮かんでいた。
「だがね、テオドア・ロートシルトには関わるな。どこでその名を知ったかは知らないが……命が惜しいなら、だ」
「どうして? その人に関わると、命に関わるの?」
マーガレットの問いに、ハーベストは急に冷たい視線を向けた。そして嘲るような口調で、暴言を吐き捨てる。
「なんだ。やっぱり君は、次期当主として育てられてないんだな。バートなら、この時点で話が通じるぞ」
「――な、なんですって?!」
マーガレットは悪魔のような形相でハーベストを睨みつける。
まさかここで喧嘩が始まるなんて思っていなかったから、僕はひどく狼狽えた。
「ごめん、ハーベスト。聞いちゃいけないことだったんだね……」
「ああ。そうだよ。ダメな話だ」
ハーベストは、いつもの紳士的な顔を完全に消して、僕にまで見下したような視線を向けてくる。
「平民の君にはわからないだろうがね、貴族社会には色々ある。普段は仲良くやっているようでも、俺たちは微妙な均衡の上で関係を築いているんだ。何も知らない立場で、引っかき回すのはやめてくれないか」
僕は完全に萎縮してしまった。
仲良くなれたと思っていた友人が、まるで別人のように豹変した。
ただ、親戚のことを聞いただけで。
ハーベストのことを悪く言ったわけでもないし、貶めようとしたわけでもない。
それなのに――
僕が知っていた「ハーベスト」という友人は、一瞬にして「ハーベスト・ロートシルト」という貴族に変わってしまった。
それが、どうしようもなく悲しかった。
僕たちが黙り込むと、ハーベストは再びゆるゆると首を振り、溜め息まじりに言った。
「君たちがそんなことを聞いてくるってことは……やっぱり七不思議は“やぶ蛇”だったんだな」
さすがに勘が鋭い。
僕たちがこの質問に至った背景を、すでに察しているようだった。
「悪いことは言わない。七不思議にテオドアが絡んでいるなら、これ以上首を突っ込むな。次の日には、ドブの中で発見されることになるぞ」
「…………テオドアさんは、ドブの中で見つかったの?」
「ものの例えだ。詳しいことは知らない」
そんな調子で話を煙に巻かれ、結局、肝心な部分は何ひとつ教えてもらえなかった。
「なんて失礼な男なの!」
話が終わったあとも、マーガレットはずっと怒っていた。
後味の悪い、最悪の話し合いだった。
テオドア・ロートシルトの変死――それは、“不敬行為”によるゼリー化と同じものなのだろうか。
それくらいは知りたかったな、と思いながら、僕は部屋に戻った。
「おかえりぃ」
ライズは、いつものように書斎椅子に座ってふんぞり返っていた。軽く挨拶の言葉をかけてくれただけで、話し合いについての質問は一切なかった。
僕は自分の机につき、考える。
以前、コリウス先生はこう言っていた。
『お前ももう知っていると思うが、アスティリアには様々な立場の人間がいる。特に、貴族には……』
――余計な先入観を持たず、適度な野心がある私たちだからこそ、できる行動がある。
平民である僕を鼓舞してくれた言葉だった。
けれど今、その言葉は、逆に僕を苦しめていた。
僕は平民だ。
だけど、友人のみんなは貴族だ。
僕が七不思議を探ることで、僕を煙たく思う人は、きっとたくさんいる。
ライズも、マーガレットも、ハーベストも。
個人としては、僕に好意を向けてくれている。
けれど――貴族としては、わからない。
このまま謎に踏み込んでいけば、いつかみんなは、僕の知らない“貴族の子息”となって、僕に背を向けてしまうんじゃないか。
そう思うと怖くて、これ以上七不思議に踏み込みたくなくなってきた。
僕は――
『ブレガー』や『アレクサンドラ』じゃなくて、
『ライズ』と『マーガレット』と、
ずっと友達でいたいのだから……。




