第四章(1)
どうやらマーガレットは本気のようだった。神の子の棺を、本気で見つけに行こうとしている。
「やめておきましょうよ、マーガレット。あなたも立派なお家柄なのに……」
「フリックに任せておきましょうよ」
「マルタ、レニー。大丈夫よ。わたしの家はあなたたちの家とは違う。アレクサンドラ家は、クラウジウスとかいう無名な家とは格が違うの。キュービット先生に目をつけられても平気よ」
友人に止められるたび、マーガレットは胸を張ってキッパリと言い切った。
「わたしが失敗したとしても、アレクサンドラ家はびくともしないわ。現当主のおじいちゃまは軍統帥なのよ。潰せるものなら潰してみなさい!」
彼女の決意は固く、みんなはついに説得を諦めた。決行日は来週の藍曜日の晩に決まった。
藍曜日にはコリウス先生の猛シゴキが恒例の戦闘学基礎Ⅰがある。翌日は紫曜日、白曜日で授業がないため、課題を後回しにできる、という理由からだった。
「コリウス先生の訓練のあとだから、寮のみんなはクタクタで早く寝ちゃうでしょ?」
「僕もクタクタになってると思うけど……」
「そこは頑張ってよ。夜の十時に迎えに行くから、同室の彼を寝かしつけておいてよね!」
何もしなくても、どうせライズはコリウス先生の授業のあとは昼間からソファーで寝て起きない。
彼女の勢いに押されて、僕は頷くことしかできず、結局そのまま決行日を迎えてしまった。
しかし、その日の授業は想定と違った。担当はいつものコリウス先生ではなく、他の研究室のミラ・リュード教授だった。
「いつも基礎鍛練ばかりでは、モチベーションも上がらないだろう」
そう言って先生は、いつもの中庭の隣ではなく、遠く離れた実習場まで僕たちを連れていき、柵の外に整列させた。
ミラ先生は金色の巻き毛に化粧の濃い先生だった。職員用の体操着を、胸元をはだけさせた独特な着方で着こなしている。一部の男子生徒が妙にハイテンションなのが印象的だった。
「今日は私の研究室、錬石兵装研究室の実技訓練を見てもらう」
実技訓練? 周りがどよめいた。一年生の僕らがこれまで目にしてきたのは、いつもランプ石と火力石ばかりだ。それ以外の錬石が見られるのではと、みんなの期待が一気に膨れ上がる。
「一年生に公開が許可されている錬石は少ない。ランプ石と火力石以外では、これくらいしか見せられない。学校の方針だから、容赦してくれ」
そう言って彼女が見せたのは、先生の背の高さほどもある、長い筒状のものだった。
「これはスフェーンという乗り物だ。人ひとりが空を飛ぶのに特化した設計になっている」
まじまじと筒を眺める。ベースは木製のようだが、頭の高さの位置に金属のボタンがいくつかついている。中央には鞍のようなものがあり、肩に掛ける革ベルトの途中に鐙のようなものが設えられていた。
そして最も重要なのは、足元についている錬石だろう。長方形の石が、少なくとも三つは確認できる。黄緑色に見えるが、角度によってはオレンジ色の輝きも混じる。見たことのない錬石だった。
「この石は『ティフォニーハルト』。飛行石と呼ばれる錬石だ」
ティフォニーハルト。みんながその名を復唱する。空を飛べる石なんて、いかにも魔法使いらしい。
「このボタンを叩くと、ティフォニーハルトを杭が突いて力を放出する。叩く位置や強さで、前に進んだり、高く上ったりするんだ」
先生からスフェーンを受け取った上級生が、それにまたがってボタンを操作した。周囲の風がうねったかと思うと、ふわりと彼は宙に浮き、続いてくるりと宙返りをしてみせた。
ワッと歓声が上がる。カッコいい! 僕も声を上げて、熱心に拍手を送った。
「先生! この乗り物は、いつ使えるようになるんですか?」
同級生の質問に、ミラ先生は頬をかきながら答えた。
「これは軍用のスフェーンだから、操作が難しい。もっと簡単な初心者用なら、二年次の授業で使う」
だから頑張って、戦闘学基礎の単位を取ってくれ――そう語る先生の言葉は、絶大な効果をもたらした。つまらない基礎鍛練の先にこんなご褒美があるのなら、死ぬ気で頑張ろうと僕も思った。
続いて四年生たちが、スフェーンで空を自由自在に駆け回り、障害物を避ける訓練を見せる。先生が進路に打ち込んだボールを軽々とかわす姿に、僕たちの士気はさらに高まった。
みんな単純だ。僕も単純だ。
授業の後半は、結局いつものコリウス先生の地獄の鍛練だったけど、みんないつも以上のメニューをこなしていた。
当然のように、クタクタになった。僕は寮に戻ると、マーガレットとの約束が今夜だったことをすっかり忘れ、そのまま眠りこけてしまった。
ハッと目を覚ましたのは七時。慌てて着替え、ご飯をかき込んで、なんとか約束の時間までに身支度を整える。
ライズは……相変わらず体操着のままソファーで寝ていた。大丈夫、起きそうにない。
窓の外を見ると、月明かりがとても明るく、ランプを点けていない部屋の中まで見渡せるほどだった。六角塔は外から見ても、窓が全方位に並んでいる。この月明かりは、きっと役に立つ。
そうぼんやり考えていたとき、小さなノック音が響いた。
僕は立ち上がってドアに向かい、ノブをひねろうとして、ふと動きを止めた。
――何か、変なにおいがする。
ムッとする、ホコリというか、カビというか……古本を開いたときに感じるものと、よく似たにおい。
発生源を探してキョロキョロしているうちに、外から二回目のノック音が聞こえてきた。
マーガレットを待たせては悪い。僕は慌ててノブをひねり、ドアをそっと開く。
「ごめん、ちょっと待たせたかな」
「…………」
「マーガレット?」
暗がりにいる人物は、なぜだか黙り込んだまま、少し離れたところに佇んでいる。同居人の存在を気にしているのかなと思い、僕は小声で囁いた。
「大丈夫だよ。ライズは寝てるから……」
「そう? 本当に大丈夫……?」
僕は頷き、後ろ手でドアを閉めた。マーガレットはそこでようやく安心したようで、ほっとした表情で僕に近づいてきた。
「寮のみんなも眠っているかしら」
「多分ね。僕もさっきまで眠っちゃってたし」
「えっ、そうなの? よく起きられたね」
「気が付いたら七時だったから、焦ったよ」
僕たちはすぐに雑談を切り上げ、忍び足で階段を降りた。消灯後の廊下は暗い。鉱石ランプはろうそく灯と違って常に明るいのだけど、設置されている場所は限られている。ほとんどの区画はろうそく灯なので、九時を過ぎると真っ暗になる。
一階に下り、僕たちは左右を伺った。出口へ向かうにはロビーを横切らなければならない。そろそろと歩いていると、マーガレットが僕の服を掴んだ。
振り返ると、彼女はロビーの奥を指差している。
「こんな時間に、何をしているんですか」
ギョッとする。コツコツと踵の音を響かせながら、暗闇から人影が浮かび上がってきた。手には鉱石ランプ。見回りの先生かと身構える僕の前に現れたのは――
「ノギスさん…………?」
思わずそう声を上げたが、どうにも身長が低い。ノギスさんと同じ黒いロングドレスに、白いエプロンを着けた女の子がそこにいた。
「フリックさん。どうしてこんな時間に出歩いているんですか」
口調も声も、まるでノギスさんそのものだったから、僕は狼狽えながら答える。
「お風呂に入ろうと……うっかり眠っちゃって、入りそびれちゃって……」
「……そうですか」
ノギスさんによく似た女の子は、暗がりに隠れるマーガレットの方をちらりと見て、静かに言った。
「入浴はかまいませんが、他寮に行ってはいけませんよ」
「は、はい……他寮には行きません」
彼女は訝しげな表情を浮かべたものの、それ以上踏み込むことなく、小さく会釈をして立ち去った。
ランプの光が階段を上がっていくのを見送りながら、あれは誰なのだろう、と考える。ノギスさんの妹だろうか。それとも……姉妹で学校に勤めているのだろうか。
「フリック。寮母が戻ってくる前に、早く行きましょう」
「そうだね……」
マーガレットに急かされ、僕は早足で玄関を抜けた。昼と違って扉は閉まっていたが、施錠はされていない。音を立てないよう慎重に扉をくぐり、僕たちは外に出た。
消灯後に屋外を歩くのは初めてだ。ぽっかりと空に穴を開けたような月から、白い光があふれている。星が故郷よりも近く、よく見えるのは、ここが標高の高い山奥だからだろうか。
わずかな肌寒さを感じながら、僕たちは小走りで講堂へ向かった。広場や食堂の周囲に、わずかに生徒の姿が見える。きっと彼らも、こっそり寮を抜け出した生徒たちなのだろう。互いに姿を見られまいとする、干渉を避ける空気が漂っていた。
「結構、規則を破る生徒はいるんだね」
「『自主性を重んじる』って学長が言うものだから、好き勝手にするやつも出てくるよね」
マーガレットがそう少し乱暴に呟いたので、僕は内心ギョッとした。彼女は緊張しているのか、今日はどこか様子が違う。口数が少ないというか、元気がないというか……。
無理もない。見つかれば退学になってもおかしくないことを、これからするのだから。きっと、僕のほうが暢気すぎるのだ。
不安そうな彼女の横顔を見つめながら、僕はひとつの決意を固めていた。
マーガレットを、守ってあげないと。
なにか悪いことが起こったら、平民の僕が罪を被ってあげよう。
僕は学長のお気に入りのようだから――きっと、悪いようにはされないはずだ。




