第二十八章(2)
「どうしてその世界は滅んだのかな?」
呆気なく滅んだというからには、何か恐ろしいことが起こったのだろう。津波程度では世界は滅ばない。急速に技術が進んだくらいのことで、国じゃなく世界全体が滅んだりするだろうか。
「あの世界が滅んだのは、天才が神に接触してしまったからだよ」
淡々と答えるライズ。
「フラノールが発展させた技術は、神が世界を創るための暗号を解読するものだった。神が世界を創るように、人間にとって都合が良いように世界を書き換えることが可能になっていたんだ」
「暗号……?」
途方もない話だ。確かにそれは、行き着くところまで行ってしまった感じがある。もし神様がいるとしたら、それ以上の発展は望まないだろうと思わなくもない。
「暗号を解読するくらいではその世界の神は怒らなかったんだけど、天才のひとりが神に接触しようと試みてしまった。暗号を解読して、月の上に行く方法を思い付いてしまったんだ」
「月の上に行く方法? 普通の人間が神の世界に行けるの?」
信じられない話だった。天上に神の世界があると言われても、僕は特に行ってみたいとは思っていなかった。
でももし本当に行くことができるなら、一度見てみたいとは思うかもしれない。
そのような僕の思いを反映して、ライズはこう続ける。
「もし誰でも上に行けるってなったら、どんどん人間が上の世界に来てしまうだろ? だからそうなる前に、神は世界をひっくり返して滅ぼしてしまったんだ」
なるほど。確かにそう言う事情なら、僕が神様でもそうするかもな。神様がどうやって世界を滅ぼしたのかについては詳しく語らなかったけど、ライズは両手で鍋のような重いものを持ち上げて、ひっくり返すような仕草をしていた。何かを比喩しているのだろうと思ったけど、深くは気にしないことにした。
「ライズたちはその方法で上に上がったの?」
「そうだよ。やり方はよくわからないけど、サファーが神に接触した『天才』の仕事仲間だったんだ。世界が滅びる前に、あいつが上に送ってくれたからぼくたちは生き残れた」
サファー先生自身も天才で、神様の暗号を解読できたらしい。キュービット先生はその弟子だったとライズは語った。ノギスさんについては何故か言いにくそうに口ごもった後、キュービット先生と同じようなものだと思うと述べた。
「神様の世界には、本当に神様はいたの?」
「まあ、そうだねぇ。それはその犬の方が詳しいんじゃないかな」
そこでライズは初めて、僕の鞄から頭を出したディクティスに話を振る。
「ディクティスもライズたちと一緒に上ったのかな」
「いいえ。ワタシは長女ですから。ワタシが一番はじめのリバルの子供なんです」
「???」
いつものことだけど、ディクティスの話はよくわからない。僕が困惑していると、ライズが鼻で笑いながらこう言った。
「そいつは実験動物だったんだよ。天才が神の世界の座標を探すためにあれこれやったうちの一匹がそいつだ。そいつがリバルのもとに辿り着いたから、リバルは世界を滅ぼそうと思ったんだよ」
実験動物って。愛らしいこの小犬に似つかわしくない言葉を聞いて、僕は眉をひそめる。
天才というやつがどういう人間なのかはわからないけど、だいぶ倫理観に欠けた考え方をしているんじゃないかと想像した。
「リバルっていうのが神様の名前なの?」
「そうだよ。ぼくたちの世界を創ったのはリバルという人だ」
「リバルはワタシたちのオカアサンなのです!」
「オカアサン? 女神様なの?」
僕の問いに、ライズは顔をしかめる。
「神と例えたのはぼくだけどね、女神様と言うのはちょっと気が引ける大女だよ」
ライズはそのリバルという神様が苦手なのか、あまり詳しく話したがらない。対してディクティスは彼女のことを慕っているようで、
「リバルは優しいみんなのオカアサンなのです! そしてワタシは頼りがいのある賢い長女のブルーアイテリアの女の子なのです!」
などと取り留めのないことばかり話している。
「ちょっと、うるさいよ。その犬を黙らせて」
「ピャッ」
痺れを切らしたライズは、ガンと机を叩いてディクティスを威嚇した。僕は怯えるディクティスを鞄ごと抱えて宥めてやる。
「とりあえず、ぼくたちの世界を創って壊したのはリバルという女だった。彼女が『神様』という存在なのかはわからない。ぼくたちは彼女が創った世界から、彼女の世界に這い上がってきたから、彼女の子供という待遇で上の世界に迎え入れられた」
「子供?」
「リバルは下の世界から這い上がってきた順に、長女、長男、次男、次女、三男……と勝手に呼んだのさ」
なんだその、おままごとみたいな設定は……。僕の中での女神様のイメージは、人形遊びをする四、五歳の女の子みたいな歪んだものに変わる。
もしかしたらディクティスは、そのリバル様の影響を受けてあんなに支離滅裂な喋り方をするのかもしれない、とまで予想した。
「よくわからないけど、なんとなくわかったよ。それで、そんな世界にいた人たちが、どうしてこの世界に下りてきたの?」
この世界を創ったのもリバル様なのかな、と何となく思いながらそう尋ねる。だけどそんな単純な話じゃないらしい。ライズはひどく顔をしかめながら言った。
「上の世界には何もない。歳もとらないし、お腹もすかない。命の危険はないけど、何もない。そんな世界でマトモでいられるわけがない。元々マトモじゃなかった人間くらいだ、あんなところで平然としていられるのは」
何を思い出しているのか、ライズは机の上で組んだ両手をブルブルと震わせながら、鬼気迫る表情で一点を見つめている。
「ぼくたちは神じゃない。人間だ。それなのに、神のように振る舞おうとし始めるやつもいたんだよ。リバルのように世界を創って、壊して遊び始めるやつが現れた」
ライズは両手で顔を覆って、深い溜め息をついた。無理矢理に気持ちを落ち着けているような感じで、淡々と言葉を続ける。
「ぼくはねぇ、そういうのに関わるのはごめんだった。生き死にについて考えるのはもう懲り懲りだったんだ。だけど、上の世界は本当にそれくらいしかやることがない。ぼくは死ぬことがない世界で死にかけたから、仕方なくここにいる」
「もしかして、その身体の傷に関係があるの?」
僕はライズの捲れた袖から覗く腕の傷を指して尋ねた。
「ああ、そういえば、きみには見られちゃってたね。これはまあ、頭がおかしくなってやっちゃったんだよ。気にしないで」
ライズは気まずそうに袖を直して傷を隠し、顔を伏せる。
やっちゃったって、自傷したということだろうか。
それは上の世界で? よくわからないけど、あまり聞かれたくない話題のようだったので、僕は深く問わないことにした。
「傷を治すには、マトモな身体と環境に触れて矯正しないといけないとか言って、サファーがこの世界に来るように誘ってきたんだ。そしてあいつが用意したこの身体に入った」
「サファー先生が用意した身体?」
「ぼくに似ている人間を見つけたとか言って、その人の肉体情報をコピーして、改造したらしいよ。よくわかんないけど」
ああ、なるほど……。僕は何となく納得した。
多分その人間が、アイビー先生なんだ。アイビー先生をコピーして、ライズの身体を創った。そして甥という設定で無理矢理この世界に馴染ませた。
アイビー先生がライズを気味悪がっていたのは、自分にそっくりであることと、傷だらけだったことなのだろう。そしてサファー先生がアイビー先生を妙に気に入っていたのはそういう経緯だったからなわけだ。
「ってことはさ、この世界を創ったのはリバル様じゃなくて、サファー先生なの?」
僕はうすら寒い気持ちになりながら聞いた。まさか創造神とかいうすごい人が実在して、すぐそばにいたなんて信じられない。それは神子どころの騒ぎじゃない、親神もすぐそばで見ていたってことだ。失礼なことをして怒らせたりしたら、根元から消滅されてしまう可能性もあった。
僕はそう考えて、ハッとする。
ゼリーになって非業の死を遂げたロイドさんは、本当に神の怒りを受けて直接手を下されたのではないか……?
「サファーじゃないよ。あいつも頭がおかしいけど、まだ神様面をしていないから、まだマトモだよ」
「じゃあ一体誰が……」
そう問いかけて、僕はすぐに自分で答えに辿り着く。
これまでさんざんヒントがあったじゃないか。
天上の穴。月を模した昇降機の先にある、スズメバチの巣のような奇妙なオブジェ。
その先に棲んでいる『大きな白いフカフカ』は、神子を大事にしていて、彼に期待して何かをさせようとしていた。
「ジータ学長……」
僕が呟くと、ライズはこくりと頷く。
「あいつには関わらない方がいい。あいつはマトモじゃないから」
ライズは今度はガリガリと爪を噛み始め、何かの鬱憤を抱えている様子を見せた。
「ディクティスは学長とどういう関係なの?」
「シフトのことですか? 彼はワタシの弟ですよ」
シフト? それはジータ学長の本名なのだろうか。彼女の弟は複数いるらしい。キュービット先生のことも弟と言っていたし……。
「シフトは一番上の弟です。ワタシのすぐ後に来ましたから。真面目で優しくて良い子ですよ」
「えっと。それは、君を実験動物にしていた人ってことじゃないの?」
「実験動物? 何ですかそれは。ワタシは由緒正しきブルーアイテリアの女の子です」
「…………」
ライズの方を見ると、緩く首を横に振っている。どうやらディクティスはその事実を理解できないらしい。
「ディクティスは学長の目的を知っているの? 彼は僕たちに何をさせようとしていたんだろう」
「シフトはリバルと同じことをしようとしています。子供を創ろうとしています」
「子供……?」
僕の頭に疑問符が浮かぶ。
リバル様は上ってきた創造物を子供と呼んで大切にしているそうだけど、それ以外の生命は上って来られないように絶滅させてしまった。
リバル様も子供を創ろうとしていた? それはつまり、技術が発展して自分のもとに創造物が辿り着くことも、その結果世界を滅ぼすこともすべて彼女が望んでいたことだったということか。
「シフトは上の世界に興味を持って欲しいのです。自力で上の世界に上がってこようとして欲しいのです。そのような人が現れることを望んでいます」
「でも、そんなことが起これば、この世界は滅ぼされてしまうんでしょ?」
「ハイ。その通りですよ。そしてワタシに甥か姪ができます」
「…………」
キラキラした笑顔で答える彼女に、僕はうすら寒い気持ちを感じる。
ライズの方を見ると、彼もケダモノを見るような目で小犬を眺めていた。
ディクティスは悪気はないけども、ライズの言う『マトモじゃない』側の存在なのかもしれない。




