第三章(2)
サファー先生は生徒をやる気にさせるのが本当にうまいと思う。
授業が終わってからもしばらく、同級生たちは七不思議の話で盛り上がっていた。
「あんなこと言ってたけど、サファー先生は絶対に賢者の錬石を使ったことがあるのよ」
「どうして? まだ見つかっていないって言ってたよね」
「だって、私、聞いちゃったの。サファー先生がクラウジウス先生にあだ名で呼びかけてるのを」
「え? クラウジウス先生って、四十歳くらいのおじさんだよね……」
「サファー先生はきっとクラウジウス先生より歳上よ。賢者の錬石を研究してるから老けないんだわ!」
「えー、いいなぁ。研究してるだけで老けないんだったら、私も錬成学を学ぼうかなぁ……」
ガヤガヤうるさい帰寮のみちのりで、漏れ聞こえてきたそんな会話が特に僕の印象に残った。
クラウジウス先生と言えば、国営学基礎Ⅰの先生だ。法学研究室のメイ・トーランド先生と交互に講義を担当する、統治学研究室のキュービット・クラウジウス先生。
僕はこのときは名前くらいしか知らなくて、その翌日に初めて開催された彼の授業で初めて顔を知った。
「皆さん、初めまして。キュービット・クラウジウスです。講義はオリエンテーションでお渡しした教科書に沿って行います」
抑揚のない声でそう述べた彼は、確かに四十代くらいのおじさんに見える。長い銀髪を後ろでひとつに結び、飾り気のない真っ黒な紳士服を着ていて、切れ長の冷たい目をしている。雑談などひとつもせず、几帳面に板書をしている感じを見ると、とても軽口を叩ける相手には思えない。
この先生にあだ名で呼びかけられるなんて、先輩か上司か何かじゃないとあり得ないだろう。同級生がそのように話していたのも頷ける。
「アスティリア国は、今から百年前、大陸歴一二八二年に建国されました。一都五州からなる合衆国です」
国営学基礎Ⅰの教科書は、ほとんどが国の歴史と政治のシステムに関して書かれていた。確かに政務官になるには必要な科目なんだろうけど、錬石学しか興味のない僕にとっては苦痛きわまりない。
「首都はセルグ、五州はこの地図に記載の通り、ロアール州、ニュータル州、ヴェルア州、ランテスト州、ジュネブ州です」
政体は貴族政。貴族のうち納税額が上位のものから選ばれる国営党によって都は運営される。国営党から選ばれる、任期二年の執政官ふたりによって中央集権的に治められる。
国営党の下には貴族院、平民集会があり、それぞれが納める税金には、直接税と間接税がある。基本的に都民以外の国民は、州単位で納税することになる……。
子守唄のような語り口で、講義は淡々と続けられた。
まずいぞ。話が右耳から左耳に抜けていくようだ。僕は必死に板書を書き写し、なんとか記憶に留めようと努める。
眠気の海に溺れそうになりながら、僕はすがり付くように隣を見た。首席のライズはこういう授業もきっと得意だろう。講義に挑む姿勢について、何か参考になるかもしれない。
地方政務官を目指しているとも言っていたし、きっと背筋を伸ばして聴講していることだろう……。
「……!!」
思惑とは全く違う形で、僕は意識を覚醒させることに成功した。
隣で講義を聞いているはずの友人は、分厚い教科書を机上に立てて、その影で爆睡していた。
僕は見開いた目を、左右に泳がせる。そのとき、後ろの席のハーベストと目が合った。
彼も見開いた目をライズに向けて、再び僕と視線を合わせる。彼はこう言っているような気がした。
(ヤバイぞ。ヤツを起こしてやらないと!)
僕はこくりと頷く。しかしどうすれば良いやら。僕が怖じ気づいていると、ハーベストは震える手で羽ペンを構え、ゆっくりとライズの肩をつついた。
反応がない。もう一度つつく。やっぱり反応がない。
僕は首を横に振った。これ以上は良くない。変に物音を立てたら逆に目立ってしまう。ハーベストも頷いて、羽ペンの先をノートに戻した。
ライズは本当におかしなやつだった。地方政務官を目指していると言いながら、何故だかこのキュービット先生の講義では必ず爆睡をしていた。他の講義で眠っているところは見たことがないし、同じ国営学基礎Ⅰでも、メイ先生のときは居眠りをしない。
その事実を確信に変えるには一月ほどの時間を要したのだけど、その間、僕たちはライズのことよりも七不思議について知ることに夢中になっていた。
いくつかの出来事が印象に残っているのだけど、そのうちのひとつが、四月最後の朱陽の日。
朱陽の日の午前にある錬石学基礎Ⅰは、いつもサファー先生が教鞭をとっていた。だけどこの日はサファー先生じゃない先生が初めて教壇に立った。
いつものように楽しくて可愛いサファー先生に会えるとワクワクしていた僕は、この日、頭を思い切り殴られたような衝撃にさらされる。
「早く席に着きなさい、クソガキども!」
鐘が鳴るのと同時に教壇に現れた赤毛の先生は、ギリギリまで雑談をしていた生徒たちに一喝し、みんなを震え上がらせた。
四月の始めに出会ったあの先生。ライズに良く似たアイビー・ブレガー先生が、この日初めて僕たちに講義を行った。
「あたしが直々に、連晶ってものが何なのか教えてあげるんだから、感謝しなさい」
普段よりシンとした教室に、カツカツとチョークの音だけが鳴り響く。
彼女が教えてくれたのは、錬成と連晶について。
「錬石は生ぬるい環境では作られない。自然界の大きな力が長い間、岩石にかかり続けることによって作られる」
地面の遥か下には、イグニスと呼ばれる熱源があるらしい。そこで元素は溶かされ、かき混ぜられ、イグニスから離れることによって冷え固まり岩石となる。
「イグニスの周りは高温だったり、圧力が高かったり、とにかく過酷な環境なの。そういう過酷な環境でゆっくりと冷えて固まったものを『錬成岩』と言うのよ。高温や高圧といった過酷な環境で岩石をいじめぬくことを『錬成』って言うの。錬石は、普通のゴミのような岩石を錬成していじめぬくことによって、ちょっぴりだけ作られるってことね」
意外にも、アイビー先生の講義はとてもわかりやすかった。彼女は乱暴ながらも簡潔な表現で、僕たちに錬石のことを易しく教えてくれた。
「錬石はそれぞれ、取りやすい形を取りながら固まっていくの。基本的には単晶と呼ばれる形を取りながら、段々と大きく育っていくわけ」
黒板にいくつかの図形が描かれる。正方形の板だったり、六角柱だったり、菱形の平面から上下に山が生えてきたようなものもあった。
「単晶ってのは、こういう板、柱、錐と呼ばれる形から成るわ。詳しくはもうひとりの講師から聞きなさい。あたしが専門にしているのは連晶だから、今日は連晶の話をするわね」
連晶というのは、錬石が錬成されている間に偶然取られる結晶の形だという。単晶がとある規則性を持ちながら並んでいく現象を連晶というそうだ。
「連晶は、今確認されているもので七種類ある。形の特徴をふまえてこう呼ばれているわ」
十字、葡萄、骸、薪束、樹、鱗、放射。
七つの簡単な図と共に、その名称が黒板に書かれた。
「錬石がグロウ系、ハルト系など七種類に分類されることはもう習ったわよね? それぞれ、相性の良い連晶があって、相性の良い連晶形をとった錬石というのは、普通では考えられないような強い力を放つことができる」
おそらくクラスのほとんど全員が、七つのうちひとつの形を凝視していただろう。
「樹状連晶は、木の枝のような形を取りながら並んでいく連晶よ。クラフト系錬石が最も相性が良く、この形をとることで力が何倍にも増幅される」
他の形態のことは耳に入らなかった。"樹状連晶"。それは七不思議の『賢者の錬石』がとる形態のことだ。
勢いよく、数名の仲間の手が上がった。
「何よ? 質問?」
アイビー先生は顔をしかめながらも、一人を指名して起立させた。
「あのっ、あの、クラフティクラフトの樹状連晶は存在するんですか?」
うわ、すごくストレートに聞いちゃったな。相手はサファー先生じゃないんだぞ。
僕は嫌な予感に苛まれながら、アイビー先生を見る。案の定彼女は、恐ろしく歪んだ顔で質問した生徒を睨みながらこう言った。
「その名を、軽はずみに口にするんじゃない……! 今度あたしの前でその名を口にしたら、あんた、潰すわよ」
「…………は、はひ!!」
可哀相に。慌てて着席したその男子は、すっかり怯えきった表情で身を縮めている。
なるほど。先生によっては七不思議の話を嫌がる人もいるのか。
僕はその一連の出来事で理解した。サファー先生みたいな、七不思議に好意的な人ばかりでないのなら、今後質問の仕方には気を付けないといけないな……。
その日の夕方、いつものようにライズと夕餉に向かった帰り道。いつものように談話室でたむろしていたハーベストたちの集団が、僕たちに気付いて声をかけてきた。
「おい、君たち!」
僕はその声に立ち止まった。ハーベストは一番席が近いこともあって、同級生の中では比較的仲良くなれているように感じていたから。
「どうしたの? ハーベスト」
「いや、ちょっとこっちで話さないかと思ったんだが……」
ハーベストは僕ではなく、ライズの方を見ている。彼は僕に構わずスタスタとロビーを通りすぎ、階段に差し掛かろうとしていた。
「おい、逃げるぞ! あいつを捕まえろ!」
「了解!」
ハーベストの命令で、三人の男子が駆け出していく。
「な、何?! 何の用だよ! やめろよ!」
「いいからこっちに来いよ!」
可哀相に。ライズはキーキーと悲鳴を上げながらもズルズルと彼らに引きずられて、談話室のソファーの真ん中に座らされる。
流石に僕だけ逃げるわけにも行かないだろう。仕方なく僕はライズの元に向かい、同じように真ん中のソファーにストンと腰を下ろした。
正面にはハーベストと、マーガレットの弟のバートが座っている。そういえばこのふたりは同じ部屋だっけ? バートはベルフォート校出身じゃないはずだけど、このグループに入っていたんだ、などと考えが過る。
「で、何の用なの?」
ライズがトゲトゲしく問いかけた。彼はいつも晩御飯の後には眠そうにしているから、普段の倍以上機嫌が悪い。
それを知ってか知らずか(知らないと思うけど)、ハーベストは薄く笑いながら、僕たちに向けてこう囁く。
「君たちも風見鶏の七不思議について、興味があるだろう? 意見交換がしたいんだ。協力してくれないか」
なるほど、そういうことか。僕が納得しかけていると、隣から素っ頓狂な声が上がった。
「はあ? 七不思議? 何それ」
「え……ライズ、知らないの……?」
「知らない」
ここひと月の間、クラス中でさんざん話題になっていたのに?
僕だけでなくハーベストも、周囲のみんなも唖然とした顔でライズを見つめていた。




