花売り娘とお隣さん・2
「いや、オレは留守が多いから。今日も服を取りに来ただけで」
またすぐに出掛けるとリリーに告げる。
「お姉ちゃんの母さんを誉めたのは、嫌みとかじゃない。体さえ悪くなけりゃ、他の仕事でもそこそこになった人だと思っただけだよ。巡り合わせとか、そんなもんが良ければこんなトコにいる人じゃないかもね」
しみじみとそう言ってくれるが、ずっとここにいるリリーには、別の場所――もっとマシな――での暮らしなど、想像できない。
「お姉ちゃんはさ、母さん見て思うところもあるだろうけど、『こうならないように』でも『こうしたらこうなるんだ』でも、せめてなんか学んでおくといいよ。学ぶところの一つもない人なんて、いないんだから」
「なんて、おじさん偉そうに言っちゃったな、学もないのに」と、照れたようにお隣さんが笑うのに合わせて、リリーも笑った。
少なくとも母娘ふたりの生活に同情的なのは伝わってくる。
「オレはもう行くけど、留守の時は部屋に入っててもいいよ。盗られるモンも無いから、鍵は開けっ放し。寒さはここと変わらないけど、そんでいいなら」
親切な申し出にリリーは感謝した。
「ありがとう、おじさん」
母さんが知ったら、おじさんに何を言うかわからない。だから、お邪魔することはないだろうけど、優しさが嬉しい。
「説教ついでにもう一つ言わせてもらえば、こっから出られる好機があったら逃しちゃいけないよ。誰かへの遠慮とか気兼ねとか全部捨てて行かないと。迷ったりためらって『次に』なんて思ったらダメだ。二度めは無いと思わないと」
そこで一旦言葉を切り、聞いていたリリーを穏やかな表情で眺める。
「身を切られる思いをしても、たとえお姉ちゃんの為だと引き留められても振り切らないと、ずっとここだ」
実感がこもるように感じてリリーは尋ねた。
「おじさんは、先のことが分かるの? 異能持ちなの?」
「そんな大層なもんじゃないよ。お姉ちゃんより長く生きてる分見たもの聞いたものが多いってだけの話。長々と話しちゃって悪かったね」
お隣さんは話を切り上げて部屋へと入った。
聞いた通り鍵は開けっ放しらしくそのままドアを開ける。
ここから出られる好機なら、ちょうど今日見送った。迷うまでもなく断ったけれど、機会はもう二度とないのだろうか。
ぼんやりと考えても、やはりラウールの所へ行こうとは思わない。リリーは足元の花籠に目を落とした。
だからと言って、坊ちゃまのところへも行けない。今夜は。
指先も足先もしびれるほど冷たいのに、まだ夜は始まったばかりで。暖炉の前にいると溶けるように早く過ぎる時間は、ここではノロノロとして進まないと知っている。
漏れ聞こえてくる高く甘い母の嬌声を聞くうちに、お隣さんの言葉が耳によみがえった。
「振り切らないと、ずっとここだ」と。




