小さな花売り娘の秘め事・3
また薄目を開けた男性が小さく「ああ」と返す。
手伝うつもりが痛いところを触るといけない。リリーはそのまま待った。
もう一度声をかけるべきかと思うくらいの間をおいて、男性がのろのろと体を起こす。
壁に背をもたせかけるのにも、眉間のシワが深くなる。どこもひどく痛むようだ。
「はい、お水」
受け取る左手が震えている。水が溢れないようにとリリーがその手を上から押さえて、口元まで運ぶのを手助けする。
ゆっくりとではあるものの、ほぼ飲みきったところで「もういい」という仕草をされた。
――気づいたことがあった。
「お兄ちゃん、熱があるんじゃない?」
手が温か過ぎる。
「熱があったらここじゃ夜は寒いわ」
場所を変えて欲しいのは本当だけど、夜が寒いのも本当。せめて壁に囲われた場所がいい。
男性は目を閉じたままで返事もない。
「教会なら一晩くらい泊めてくれる」
教えてじっと待った。聞こえてはいるはずだ。
「――人に会いたくない」
ボソリと返った一言に、「ふむ」とリリーは考えた。大人が時として口にする「こみいったジジョウ」とやらがあるのだろう。
「悪いことをして追われている」とか「年季もあけていないのに奉公先から逃げ出した」とか。そこはまぁいいや、と思う。この場所から退いてくれればそれでいい。
「教会の裏の墓地に道具置き場があるの。古くていらない物しかないから誰も行かない」
そこならちょうどいい。どうせ汚れている服だ、もっと汚れてもどうと言うことはない。リリーは我ながら良い案だと満足した。
小屋の隣には古井戸があって水に困らない。女の人の亡霊が出るけれど、黙っていれば分からない。知らなければ怖くもないだろう。
「ここだと朝にはいられなくなる。墓地なら何日でも誰もこないわ」
何かいい事がないと動きそうにない。墓地の物置小屋の良さをもっと伝えなくてはと、言葉を重ねる。
「水は近くに井戸があるし、朝か夕ならパンくらい持って行ける。だから、真っ暗になる前に行こう」
他にできることはないかと考える。
「そんなことして、ちびに何の得があるんだ」
投げやりな口調でチビと呼ばれたけれど、返してくれただけマシだ。
「お兄ちゃんの今いるところは、わたしの場所なの。お兄ちゃんがいたら私が他を探さなくちゃいけない」
男性がリリーを見上げた。白目はどこまでも白く睫毛の濃さと瞳の黒さが際立つ。
「オレは悪い奴かもしれない。それでも助けるのかよ」
そんなことより、話せるなら歩けそうだと思う。
「悪い人なのと、ここを返して欲しいのと関係ある?」
口元が歪んだのは笑ったのかもしれない。汚れを拭き取った顔は、思ったより子供っぽい。ふとリリーは聞いてみた。
「お兄ちゃん、なん才なの」
「――十四。ちびは」
「わたしは八才」
やっぱり大人じゃなかった。悪い大人から逃げてきたのかもしれない。なら、ここじゃない方がいいような気がする。
「歩けるなら行こう、お兄ちゃん」
リリーは熱意を込めて誘った。




