魔性の聖女は白雪姫になりました
ベッドの脇に置いた椅子に座りリリー奥様の手首を握った主エドモンドが目を閉じて早一時間。
ロバートは息をつめて成り行きを見守っていた。
人の記憶に働きかけるなど信じがたいのだけれど、可能でなければ困る。
主エドモンドの呼吸は眠っている時のもので、揃って目覚めなければ独断で鬼才アンガス・オーツ様に相談しようと、ロバートは決めた。
冷めてしまった朝食は温め直すのではなく、作り直そう。そして奥様のお好きなパンケーキには苺ソースを添えて差し上げよう。だからお早くお目覚めを。
ロバートには祈るより手立てがない。
今、エドモンド様が微動されたような。凝視するロバートの前で、エドモンドが俯けていた顔を上げ、首をぐるりと回した。続けて前後左右に倒す。
「エドモンド様! 」
「どれくらいたった」
見なくても把握しているが時計を確かめて伝える。
「一時間でございます」
「それくらいか、感覚では二日ほど経っているが」
疲れたと口にする主の機嫌は悪くない。目覚めさせる方法が知れたのだ。
ロバートは安堵したことで脱力し壁に手をついた。珍しい姿にエドモンドが、口角を上げる。
「一時間の間に、ずいぶんと疲れたようだな」
お前はなにもしていないのに。と言外に滲む。
「それはエドモンド様、一時間と分かっていて待つのと、どれほどかかるか見当もつかずの一時間では全く違います」
これまた珍しく恨み言を口にするロバート。
「それで、リリー奥様は」
話はいいから奥様をどうにかと気持ちが急く。エドモンドが分かっていると言うように、立ち上がった。
「シンプルに考えればよかったのだ。眠り姫を思いついたなら、他にも眠りこける姫を思い出せば」
比較的雑にベッドの上でリリーの上半身を起こす。
「白雪と呼ばれる姫がいただろう。その世界では有名な。起こし方を覚えているか」
眠り姫は王子様の口づけで目覚める。では白雪姫は……記憶にない。うちのエリックは男の子なので童話の類に興味を持たなかった、というのはロバートの言い訳。
「姫の柩を運ぶ者が途中でバランスを崩し柩を落とす、その衝撃で目覚める。言い換えれば、衝撃ならなんでもいいと言うことだ」
エドモンドがリリーの背中を音がするほど強く叩くと、体が揺れガクリと頭を垂れた。
それはあまりに強いのでは。案じていると、リリーがくすぐったそうにして頬にかかる髪を後ろへと流す。
「お嬢さん!」
ぼんやりとした眼がこちらを見「おじ様」と呟く。聞いた瞬間にロバートの視界は滲んだ。涙腺が緩い、と主にからかわれるかもしれない。
リリーは子供の頃と同じ顔でにこりとする。
「おはよう、おじ様」
「おはようございます、奥様」
声の震えを抑えるのが精一杯だ。エドモンドがリリーの頬に手を当てて強引に自分へと顔の向きを変える。
「私に『おはよう』はないのか」
「坊ちゃま、お帰りが早くない? わっ、と」
最後の「わ」は、エドモンドがリリーの頭を抱えて一緒に寝台に倒れたせい。暴れもせず大人しくしたリリーが尋ねる。
「どうしたの? 早起きして眠いの? 私まだ眠いから、よかったら一緒に寝よう」
「久々に神経を使った。責任を取ってお前が癒せ」
うふふとリリーの笑い声がする。
「じゃあ、お昼まで寝てその後お食事」
「寝て食べるのがお前の最高の幸せか」
今朝に限って主エドモンドが妙に絡む。
「『坊ちゃまと一緒に』が抜けてる」
楽しいことはいつも坊ちゃまがくれるのだと、可愛らしいことを口にする。
何がどうしてこうなったのかを聞いてもどうせ分からない。そこを理解することは家令職の範囲の外である。早期に解決できたのだから、それでよい。
本日の日誌にも「事もなし」と記すことができる幸せを、ロバートはひとり噛みしめた。




