シーリングスタンプの秘密・2
「……取り返しのつかない失敗をしたの、わたし。坊ちゃま、ごめんなさい」
きちんと謝れたリリーお嬢さんは立派だが、謝るほどのものではない。
リリーが握った拳で涙を拭く。涙拭きを内ポケットから出すタイミングをはかりながら、主エドモンドの行動を予測するロバートの気分は、さながらギリギリの綱渡りのようだ。
しばらく無言で眺めていたエドモンドが、軽々とリリーを抱き上げた。
「目を擦るな。腫れる」
言われたリリーは涙をエドモンドの上着に吸い取らせることにしたらしい。背を丸めて肩に顔を押し付けている。
それも誤りです、お嬢さん。指摘するべきかどうかを迷うロバートに、エドモンドが冷ややかな眼差しを向ける。
理由の説明は聞いてくださるおつもり。ロバートは手振りで、紋章が逆になってしまったのだと伝えた。
「そのまま、出せ」
正しく伝わらなかったのだろうか。
「コレを泣かせるほどのことでもない。印の上下など取るに足らない」
いえ、上下逆さに押すなど――と言いかけて、ハッとする。
受け取った誰もが逆向きだと気がつくだろうが、エドモンド本人が押したとは、これまた誰ひとり思わない。
ロバートの落ち度と考えるだけだ。評価が下がるのは家令、だからどうでも良いと若き主は言っている。
家令の失態は主人の恥とされるが、エドモンドにとって家令の失態はただ家令自身の恥であるだけだ。
「やっと分かったか、分かればいい」とばかりに傲然と顔を上げたエドモンドが、ロバートに背を向ける。
「お前はもう泣くな。こんな印に向きはない」
さすがに嘘を教えるのはどうなのか。賢いリリーは、疑った声を出した。
「本当? 犬が逆立ちになっても?」
「――犬ではない」
「じゃあ、ネコ?」
――そう犬ではなく、そして猫でもないのです。
エドモンドが答えないので、肩越しにリリーが目だけ覗かせてこちらを見る。
言えないロバートは、励ますように微笑してみせた。
「ロバート、さっさと菓子を持て。泣き止ませるには口にものを入れるのが早い」
リリーの瞳がきらめく。
「今日のお菓子は、なあに?」
「私が知るか」
「すぐにお持ちします」
ロバートは目立たぬよう封筒を体の陰に隠して、リリーの目から遠ざけたのだった。
その後、密かに封筒をかえて先様に届けたのは、言うまでもない。
後日エドモンドは手紙に使う紋を変えた。イニシャルを多方向から組み合わせた上下も左右もないものだ。
だから奥様でも押せると教えたものかどうか。
表で馬車の停まる音がした。
「あ、坊ちゃまだ」
リリーが窓に駆け寄りガラスに額をつける。そうやって「奥様のおでこスタンプ」が窓に丸くでき上がる。
それをロバートが拭いているのは、言うほどのことでもない。
「坊ちゃま、お帰りなさい」
ひらりと手を振る奥様に、主はどのように応えているのか。ちょっと見たいような気がした。




