女家庭教師と通りすがりの夫
夢のなかでリリーは女家庭教師だった。毎度この夢は開始から違和感がある。
なぜなら「人に教えるほどお勉強はできない」そして「自分が勉強するのと人に教えるのは違うと思うから」
住み込みで働くのは、すごく古くさい……ではなく趣のあるお屋敷で、教える子供は三姉弟。そこに数日前から従兄弟が来ていて、十歳にも満たない子四人の勉強をみるのがリリーの仕事。
こうなると、仕事内容は家庭教師というより子守寄りだ。
そしてよく晴れたうららかな日、突如として起こる惨劇……かどうかは、実のところ不明。
何度も繰り返し見る夢ではあるけれど、早々に子供を連れて森に逃げ込むので賊と遭遇したことはない。よって流血沙汰を目撃したこともない。
予定では、そろそろどこからか――
「強盗だ! 」
「うわぁ」
「抵抗する奴は殺せ!」
という野太い声がして。
「逃げろ! 」
の一言が響くのを合図に、子供と走り出す。一番小さな子を抱えるから、心臓が破れそうなほどの激走となるはずだと、リリーはその時を待った。
「はい、では少し難しい問題です。キャンディとクッキーがあわせて四十個ありました」
予備知識のあるリリーは、既に森にかなり近いところに陣取って「青空教室」を開いていた。子供達はもちろん先生の話なんて聞いてくれないので、ただのお外遊び状態だ。
「四十は少なくない? 先生」
一番年上のお嬢様が生意気顔で言うのを、「あれれ?」と不審に思う。なぜなら初めての会話だから。
「少ないよね。いらっしゃるお客様は何人なの?」
従兄弟までが賛同する。
「そこは気にしないでいいの。この問題は、合計金額から個数を考えるものだから」
「数はお客様の人数で決めないと。足りなかったらどうするの?」
分かっていないと、子供に呆れられた。
いえいえ、分かっていないのはあなた達――というより、賊は? 賊が遅れるせいで、別の窮地に陥っている私。リリーが先にある屋敷に視線を向けると、悠然とこちらへと歩む長身の紳士の姿が。
見間違いようのない、
「坊ちゃま」
今日は狩りに行くような服装だ。
夢のなかで会うのも三度目ともなれば、驚かない。
「強盗は?」
「先に捕縛した」
こともなげに言われて、一瞬返しが遅れる。
「まだ、悪い事をしてないのに?」
「この後するとわかっているのに、待ってやる必要がどこにある」
「ねえねえ、先生。この素敵な紳士はどなた? 先生のお兄――」
「夫だ」
最後まで言わせずに、エドモンドが鋭く封じた。
「おっと!!」
「先生結婚してたのっ!?」
「いえ、あの。昔はしてなかったのですが、はい、あの、最近」
やだ、照れちゃう。
まだ騒ぎそうな子供達を見おろしたエドモンドが、リリーを促す。
「危険はなくなった。帰るぞ」
「待って。子供達をお屋敷まで送ってから」
どうせお前の夢で、この子らも実在しない。金茶の瞳が伝える。
それはそうだけど。可愛い教え子だもの。
「この子は、お前に似ているな」
エドモンドが呟くのは、いきなり出現した「先生の夫」を瞬きもせず見つめる令嬢のこと。
「夢は願望の表れと言うが、お前は自分で自分を救おうと頑張っていたのか」
そうか、そうなのかもしれない。「落城した城から逃げる夢」も「吸血紳士から逃げる夢」も。いつも捕まらず必死に抗うだけで終わっていた。
悪夢とまでは言わないけれど、起きた時に疲れを感じる夢ではあった。それを坊ちゃまが終わらせてくれた。
「それにしても……物足りない。まるで張り合いのない相手だった」
「やはりお前の夢、肩透かしを食った」と坊ちゃまは言うが、前回も同じようなことを口にしていたので、想定内だと思う。
「さて、帰るか」
エドモンドがリリーを抱き上げようとする。
「先生、もうここへは来ない?」
令嬢の透き通るような瞳がリリーを見つめる。あらためて見れば、子供の頃の自分そのまま。
「……たぶん」
「ずっとずっとお幸せに」
ふわりとした笑みは心に沁みるようだった。
明け方にリリーが目を覚ますと、エドモンドはまだ目を閉じていた。
大好きな顔をじっくりと眺め堪能してから、もうしばらく寝ることに決めて、坊ちゃまの肩に額をつける。
幸せな夢がいつまでも続きますように。
番外編はここで一区切りといたします。
お楽しみいただけましたでしょうか。
ブクマ・評価ポイント等々もお付き合いついでに、ぜひともお願いいたします!!
私から皆さまへの気持ちはもちろん★★★★★です。
他のふたつの「夢坊ちゃま」は短編の形です。
興味をもっていただけましたら、そちらもどうぞご一読ください。
ただ今「悪役令嬢は転生と転移を経て聖女となりました」を投稿しております。
またお目にかかれますように☆
特別編として短編「帝都物語 茶漬け屋ゆり香」があります




