番外編 ピンクのハートは誰のもの・6
主エドモンドに同行するようになってまだ日の浅いエリックは、細かな点を父に確認するのが常だ。
今朝の質問は「急遽、観劇が入ったんだけど、僕はどこまでついて行くの?」だった。
「同席するよう望まれなければ、エドモンド様が劇場にいらっしゃる間に他の用を済ますか、従者控室で待つものです。待つ間に、それとなく他家の事情を聞くのも仕事のうちです」
ロバートは息子に側仕えの心得を説きながら、本日の演目を思い浮かべる。いわゆる恋愛喜劇で、紳士がひとりで見るようなものではない。婦女子が好むもの、つまりリリー向きだった。
異国風の庭で、エドモンドの次の行き先は歌劇場だとリリーに伝える。
「劇場内には、喫茶室もございます。奥様がひと休みなさる間に、お席を確保いたします」
「急に行ってお席はあるもの?」
「花形女優が出演しませんので」
空席はある。それに旧知の劇場支配人に言えば、良い席を用意してくれるはずだ。
寒さに嫌気がさしていたらしいリリーが跳ねるようにして賛成する。
「早く行きましょう、おじ様」
不意に、背中に視線を感じる。これは間違いなく主エドモンド。
「帰るわけではございません。一足先に奥様を歌劇場へとお連れします」という長文を、異能持ちでない自分はどう伝えたら良いのだろう。
せめて。ロバートは邸宅に向き直り、浅く頭を下げた。
前のめりの姿勢で舞台に見入るリリーは、笑う時でも扇で口元を隠さない。隠すのは淑女のマナーのひとつであるが、エドモンドがそこまでのレベルを求めないせいだ。
奥様のお為にも良い講師をおつけになり、もう一段上のマナーを身につけられてはいかがでしょうか。そう進言したロバートに。
「アレが王国の田舎育ちの聖女だというのは、皆知るところだ。取って付けたような淑女ぶりは社交界で嘲笑され、庶民からは『変わってしまった』と失望される。気取って、良い事などひとつも無い」
などと、もっともらしい事をおっしゃるが、リリーの「らしさ」を好んでいて「余計な口を出すな」が本音だとロバートにはよく分かった。
リリーが恥ずかしい思いをしてはと気遣ったが、主の意向に反してまで主張するつもりはない。
隣でうふうふと笑うリリーは、本当に楽しげだ。
対面に位置する公爵家専用席に座るエドモンドは、舞台など見向きもせず、リリーを眺めている。
今さっき「しかし、よく笑うな。そんなにこれが面白いか」と、目顔で伝えてきたくらいだ。
いきなり視線がぶつかりロバートはぎょっとしたが、リリーは舞台に夢中で全く気がつかない。
「ご婦人向けの演目でございますから」と返したつもりだが、どこまで伝わったかは不明。
ロバートとしては「リリー奥様の為とはいえ、よくぞ何時間も付き合う気におなりあそばした」と感心する。
リリーがよく笑うと言うなら、今夜のエドモンドもだ。ずっと微笑しているのは極めて珍しく、ロバートの見る限り、舞台と同じくらい視線を集めている。
優雅に脚を組んだ姿は役者が霞むほどで、主演男優が気の毒に思われる。
隣でリリーが「ぷっ」と吹き出した。この劇のどこがそんなに面白いのか理解できないのは、自分が大人だからだろうか。
リリーを見ている方が楽しい主の気持ちこそ理解できる、とロバートは心の内で頷いた。




