貴公子の砂の城は頑強です・4
日が昇るとすぐ、リリーはスルリとベッドを抜け出した。隣りで寝る坊ちゃまが気が付かないはずはない。
だからちゃんと言っていく。
「坊ちゃまは、まだ寝てて。ひとりでお砂遊びがしたい。人がいると遊びにくい」
これでいい。さらさらの砂がこんなにある場所は街にはないし、子供の頃から砂遊びはしたことがない。昨日は裸足になれなかったけれど、一度知ってしまった裸足の誘惑は拒みきれない。
誰も起きない内に戻るからこのままでいいか。夜着の上にカーディガンをひっかけて、リリーは静かに部屋を出た。
外は思ったより涼しい。昨夜のテーブルセットはすっかり片付いていて、素敵なお食事を思い起こさせるのは、昨夜のままに建つ砂のお城だけ。
内側には燃え尽きたキャンドルの跡。部屋に戻ってからもまだ灯りが見えて、とても綺麗だった。思いもつかないような物を、いつも坊ちゃまとおじ様は見せてくれる。
――結婚。少しも実感がない。聖女になってまだ一年足らず。聖女は独身と決まっているし、せっかく選んでもらったのだからせめて二年、できれば三年と思ったけれど、そう自分勝手も言えない。結婚はふたりでするものだから。
足もとで何かが動く。とっさにしゃがんで目を凝らした。蟹? これは蟹なの!? 親指くらいの小さなものが走っていく。よく見れば、そこにもここにも。
リリーは観察を始めた。
「アレは……。裾が泥だらけになっているとは、気が付かないのだろうな」
朝の風を通しながら、眼下を見て言うエドモンドに、ロバートは朝のコーヒーを置きつつ無言で同意した。
「思うところでもあるのかと様子を見ていれば。本当に遊びに出ただけか。前々から感じていたが、精神年齢が少し低いのではないか」
あの歳で裸足で砂遊びでもあるまい。と嘆いてみせる主の眼差しは穏やかだ。
昨夜「おじ様、ありがとう。去年の『海ごっこ』より、今年のほうがすごかった」と、リリーが言いに来た時に、主がしたり顔になったのをロバートは目の端に捉えた。その上機嫌は今も継続中だ。
エドモンドが独断でリリーの頭に載せたティアラは、一族の誰からも何も言われなかった。ロバートは、無視ではなく静観と捉えた。
そしてタイアン殿下の結婚に連なる行事のいくつかに「リリアン聖女」はユーグ殿下と出席し、存在感を示した。
時々ユーグ殿下にツンとした態度を取るところが王国風なのだと勘違いされ「新しい女性像」として一部で話題になっている、とファーガソンから聞いた時には、さすがのロバートも笑いを抑えきれなかった。
後嗣殿下は歩み寄る姿勢を未だ見せないが、大公は譲った。黙認されれば押し切るつもりでいた主が全面勝利と受け止め、内心高笑していると感じる。
昨夜の「いつにする」は、いわば勝利宣言だ。
「ロバート」
エドモンドはリリーから目を離さない。
「ここまでくれば急ぐことはない。誰より美しい花嫁衣装を作れ。ドレスは我が国より王国か? ユーグを通してよい、最高のメゾンを紹介するよう手紙を出せ。他のドレスをいくつか公国で仕立てれば、表立っての文句は出まい」
「しょせん元は平民」と陰口を叩かれ侮られたりしないように、との配慮かと考えたロバートに、主が続ける。
「他人など、どうでもよい。アレは美しい物が好きだ。目を輝かせる顔を何より私が見たい」
いつもと変わらぬ口調で紡ぐ言葉は、驚くほど率直で。ロバートは思わず主の背中を見つめた。今いる位置からは横顔すら見えない。
「そろそろアレを呼び戻せ。とうとう穴を掘り始めた」
今日も幸せで何より。ロバートは「すぐに」と返して、リリーを迎えに部屋を出た。
「今日の朝食はパンケーキですが、蜂蜜の他にミルクジャムもご用意致しております」と声をかけようと思いながら。




