大人の階段を上がる日・2
ぱちり。リリーが目覚めた。
いつもなら長くぼんやりと眠そうにしているのに、今日はいきなり大きく目を開いている。
あれか。まさかスプーンに三杯のコーヒーで眠りに支障が出るなどということがあるのだろうか。
思案しつつ見守る家令ロバートの前で、リリーはいつものように背中をあずけていたエドモンドを、首をのけ反らせて見上げた。
珍しくエドモンドの方がよく眠っているようで、閉じた目蓋は少しも動かない。
しばらくじっと見上げていたリリーが、体から降りて隣に立っても若き主はまだ微動だにしない。
無言でエドモンドを観察していたリリーの手がエドモンドの頭上に伸びた。
撫ででもするのだろうかとロバートが予測していると、指と指の間にミルクティー色の髪を挟んで立たせてはサラサラと落とすという行為を繰り返している。
つまりは公国一の貴公子の髪で遊んでいる。
子供は意外に気が長い時がある――しつこいとも言う。ロバートが見飽きてきた頃にようやくリリーは髪から手を離した。
今度はエドモンドの耳をしげしげと眺めている。
「お耳はこんな形なのね。坊ちゃまはお耳までキレイ」
小声で言って、細い人差し指で耳の輪郭を上から下へと繰り返しなぞる。
こんな事をされて本当に目が覚めないなどあり得るものか。疑問に思うロバートだが、若き主の頬はピクリとも動かない。
次にエドモンドの手をとり指を広げ自分の手と重ねて大きさの違いを比べ、そのまた次は隣に座って脚の長さが絶望的に違うと気付いたところで、リリーは前触れもなく立ち上がり窓辺へと寄った。
表に面した窓の下には全てチェストが置かれていて、リリーの背では通りを見おろせない。
チェストに顎を乗せて暗くなった空を見るリリーにロバートが声をかけた。
「お外が見たいのですか」
コクリとリリーが頷く。
ロバートはリリーを抱き上げチェストの上に座らせた。これで体を斜めにひねれば外が見える。
ロバートもリリーを支えたまま通りを見おろした。夜はまだ遅くない。仕事帰りに一杯呑んだ人が家路をたどるくらいの時間だ。
ずらりと隙間なく並ぶ建物はほとんどが住居で、窓からは橙色の光が漏れている。
バスローブ一枚では寒いのではないかと、ロバートは手近にあったエドモンドのマフラーをリリーの衿元へ巻きつけた。
「……おじ様。あの灯りのひとつずつに人がいるのでしょ」
リリーの声が小さいのは寝ているエドモンドの邪魔をしないためか。
「さようですね」
「みんな、しあわせなのかしら」
ロバートの目に映るリリーは、特に哀しいとも羨ましいとも感じさせない。ただ、しんと澄みきった眼でそう口にしている。
「お嬢さんには、何か心配ごとでも?」
会話の繋がりとしてはおかしいと自覚しつつ、ロバートは尋ねた。




