大人の階段を上がる日・1
「坊ちゃまの飲みたい」
リリーの視線が熱い。
「お前はまだ子供だ。早すぎる」
きっぱりと断るエドモンド。
「じゃあ飲ませてくれなくていいわ。舐めるだけ」
譲るリリー。
「舐める、では終わらないだろう。一度覚えるとコレは癖になる。駄目だ」
それでも譲らないエドモンド。
「お願い……坊ちゃま、欲しいの」
リリーの懇願する声が微かに震える。
エドモンドの溜め息で勝負が着いたと知る家令ロバート。最初から負けは目に見えていた。
若き主がどこまで引っ張るのかと、そこに注目していたのだが、うるうるとした愛らしい目から涙が溢れ落ちそうになったところで陥落したらしい。
「少しだけ、だ。お前はどうしてそこまで食に貪欲なのだ」
エドモンドは文句を言いつつ、自分のコーヒーをスプーン一杯分、リリーのミルクに入れてやっている。
「……色も変わらない」
落胆するリリーにエドモンドが顔をしかめる。
「当たり前だ。色が変わるほど入れたら、苦くてお前には飲めない」
「ミルクにお砂糖を入れてもらったもの。大丈夫。お願い、もう少しだけ入れて」
「子供には良くない、諦めろ」
即座に断るエドモンド。
「……坊ちゃまと同じものが飲みたかったのに」
心から残念そうに呟く。
諦め顔で伏せたリリーの睫毛を見つめるエドモンド。
若き主からガラガラと城壁の崩れる音が聞こえるロバート。もちろん空耳である。
引くタイミングも引き際に口にする言葉も完璧に若き主の気を惹いている。
才能が開花してないとはいえ、これは異能のなせるワザかと感心するロバートの眼前で、崩れた城壁に白旗が立った。勿論幻視である。
「今日だけだ。特別にあと二杯追加してやる」
渋々といった具合に小さなスプーン二杯分のコーヒーをミルクに落としてやるエドモンドに、リリーがキラキラとした瞳を向ける。
浮いた涙に灯りが反射して実際に輝いてみえる。
「坊ちゃま、ありがとう。一生忘れない」
「どこで覚えたのだ。そのように大げさな」
表情は変わらないが、苦笑が混じっている。
「だって人生初のコーヒーだもの」
「待て、これをコーヒーと呼ぶな。お前のようにミルクが多いものはカフェオレと言うのだ。そもそも言うほどのコーヒーが入っていない。それは『ほぼミルク』だ」
「ちょっとだけコーヒーの香りがする」
反論するリリーに応えるエドモンドはにべもない。
「私のカップから漂う香りではないか。それなら部屋中に香っている」
この論争にはきりがない。頃合いかとロバートが入った。
「おかわりは如何でしょうか、エドモンド様。可愛らしいお顔でこちらを見ても、お嬢さんはダメでございますよ。欲しい時は坊ちゃまにおねだりなさいませ」
ロバートの言葉にリリーが力強くうなずき、エドモンドは脱力した。




