赤の聖女と黒の王子・3
周りの喧騒が遠ざかる。こんな場所なのに、ふたりきりでいると感じる。水底から息をひそめて外の世界を眺めているような疎外感がある。
ゆっくりと話す時間はないけれど。
「本当のことを言うと、私に親はいないの。ジャスパーには見せたくないような場所で育ったわ。知ればきっと、私とは仲良くなんてしてくれない」
そんなはずはないと、打ち消そうとするジャスパーを目で制す。まだ話は終わりじゃない。そして、母親は娼婦だったと明かさない自分を嗤う。
言わないのは見栄なのか。それとも亡くなった母を自分が勝手に語ることをためらう気持ちか。
どれもきっと違う。言っても、あの場所あの暮らしを見たことのない人には伝わらない、と知っているからだ。
「アイアゲートの両親には、立派に育った実の子がいる。なのに、私を引き取って学校にいかせてくださったの」
それなりに事情を知っているカミラは、やはり何も話していなかったらしい。ジャスパーのこの上なく真摯な態度でわかる。
「何者でもない『リリー』がアイアゲート家に連ねてもらって、今はリリアンになっただけ」
だから名を捨てることなど私は気にしていない。と、グラスを口に運ぶ。
ほら。そんな風に真意を測ろうとするから、話しにくくて仕方がない。
リリーは、目をそらして扇の陰で長く細く息を吐いた。
これから言うのは、本音じゃない。これはジャスパーの読み違いを防ぐための、いかにも思わせぶりな女の子が口にしそうな、それらしい嘘だ。
「――でも。ジャスパー、あなたは覚えていてくれる? 一緒に学院で過ごしたアイアゲートのこと」
リリアンを生きれば、リリー・アイアゲートはいなくなるから。
痛々しく哀れだと感じたのか、ジャスパーは「何ひとつ無かったことには、なりません」と、わずかに掠れた声で言う。
「カミラとスコットも、同じ事を言うはずです」と。
聞いて思い出した。ジャスパーに会えたら聞こうと思っていたのだった。
「カミラとスコットは元気?」
いきなり声の調子を変えたリリーに、ジャスパーが戸惑っているのがわかる。リリー・アイアゲートとしては旧友と仲良くできないが、これから新たにリリアンとして仲良くなるのはいいと思う。
リリーの勢いにおされて、ジャスパーが微笑する。
「ふたりとも、元気にしています。私も、しばらく会っていませんが」
「私のことは知ってる?」
「聖女を目指して王国にいるところまで伝えましたから。スコットの家なら、聖女リリアンの噂も入っていると思います」
「よかった。何も言わずに行っちゃったから、気になっていたの」
カミラ達ともゆっくりと話したい。そして、リリーの耳に周囲のざわめきが戻ってきた。
かなり話し込んでいる。不都合があればエリックが止めにくると思うのに、来ないのはグレイ家が親しくしていると見せる腹積もりだろう、などとよそ事を考えていると。
「エドモンド殿下があなたと結婚なさるとは、本当ですか」
この上なく真っ直ぐな質問が投げられた。




