赤の聖女と黒の王子・2
間違えようもなく、ジャスパーだった。今年も一分も隙のない装いで、貴婦人方の熱い眼差しを受けている。
奥様がいるので結婚はできなくても目の保養、もしくは脳内でお楽しみを繰り広げているのかもしれない。
「エリック、少し外してくれる?」
坊ちゃまから、どうしろとは言われていない。ジャスパーに隠すのはなかなか難しい。彼の目には、噂の聖女リリアンはリリー・アイアゲートにしか見えないはずだ。
「分かった。見える位置には、いる」
「エリックも楽しんだらいいのに」
「よく言うよ。自分だって少しも楽しんでいないのに」
素早く苦笑して、エリックが離れる。視線を合わせて、リリーはニコリとしてみせた。ジャスパーの目に力がこもる。
ジャスパーは、急ぐでもなく自然な足どりで声の届く範囲まで来て「お飲みものなど、いかがですか」と尋ねた。
侯爵家の後継ぎにこのようなお気遣いをいただくのは、とても恐れ多いこと。であるが「エドモンド殿下の見初めた聖女」の扱いには、みな戸惑うらしく、本日のリリーは分不相応なもてなしを受けている。
「ありがとうございます、ぜひ」
お酒はいくらあってもいいのに、今夜もあまり飲ませてもらえない。喜んでお受けする。
ジャスパーがグラスを手渡し乾杯のために「あなた様の健康に」と口にするのは、王国流。
自己紹介はどうするのだろう、と思いつつ「あなた様の健康に」とリリーも同じ言葉を返す。
「随分、気を揉みました。アイア」
「アイア」だけは無音だった。
あら、全て知っているみたいに話す、とリリーは不思議がりつつ扇を口元にかざした。これはもう聖女リリアンのフリは必要ないと判断する。
「知ってたの? ジャスパー。そりゃあ、お化粧が違うくらいで後はそのままだけど」
「殿下が、事情はオーツ先生がご存知だとお教えくださいましたので」
種明かしはあっさりとなされた。たしかにオーツ先生なら、先に帰国していた。そういうことなら納得だ。
「本当に聖女になったのですね」
「そうなの」
「爵位まで」
そう。ユーグ殿下は王家の後見まで書類にしてくれようとしたのだけれど、聖女となってからの日が浅すぎて実績がなく「いくら何でもそれは無理」となって、代案で男爵位を賜った。
もちろん私の知らないところで、大金が動いているに決まっている。そしてジャスパーは、そんなことを説明しなくてもきっと予想がつく。と言うわけで、リリーはその辺りの諸々の説明を省いた。
「一代限りでお返しする男爵位よ」
領地もない名ばかりの女男爵だ。
「名を捨てて、よかったのですか」
ジャスパーの低く澄んだ声音がリリーの耳を打った。




