貴公子は聖女を泣かせる・1
控えめなノックを耳にして、ロバートはすぐに立った。主エドモンドの隣室にある使用人部屋は広い。空耳かと思うほど遠慮がちな音だった。
廊下にいたのは夜廻りをしていたらしき護衛だ。普段からそうであるのか、各国から客を迎えているからなのか、着用している騎士服は華やかで目立つ。
見目も考慮されるらしき護衛騎士は、誰の目にも明らかなほど困惑した様子だった。
「いかがされましたか」
就寝してもおかしくない時刻に何ごともなくて訪れるはずがない。ロバートはまだ若い相手が話しやすいよう、努めて笑顔で尋ねた。
「それが……、私にもよく分からない話でして……」
歯切れの悪い彼の指にかけられたネックレスに目を止めて、ロバートの笑顔が凍りついた。それには気がつかず、若い騎士が続ける。
「リュイソー聖女様が『エドモンド殿下に今すぐ伝えなければならないご用がある。取り次いで欲しい』と言い張られまして」
ロバートの視線はラピスラズリのネックレスから動かなかった。鎖は切れていない。聖女の話が真実であると伝える為に、リリーが託したと考えるのが妥当か。
何か、なにかあったのだ。
「リュイソー聖女は、どちらに?」
来て頂くにしても案内は自分がするとロバートが言うと、騎士は安堵の吐息を漏らした。
「ありがとうございます。実はこの下の階まですでにお連れしております」
それは話が早いが問題はないのかと思うロバートに「私の目から見ましても、リュイソー聖女は異様に焦っておられまして」と言い添える。
「では」と一歩踏み出したロバートの眼前で、大きく扉が開いた。
「話は私が聞く」
遮る形で立ったのはエドモンドだった。指示が飛ぶ。
「私の狩着か乗馬服を出せ。剣もだ。両手の空く雑囊にアレに必要な一式を揃えろ。済み次第出る」
ロバートは一礼すると、すぐさま部屋へと入った。使用人部屋からはエリックが足音を殺して抜け出す。話を聞いていて馬を用意しに行ったのだろう。
ロバートは背中で主の声を聞く。
「私はリュイソーの話を聞いたら、北西へ向かう。お前は、これからユーグを叩き起こして、すぐに私の後を追うよう言え。『お前の聖女』にもし何かあったら王家が安泰だと思うなよ、と伝えておけ」
「行け」と他家の騎士に語気も強く命じる。
言われた若い騎士が焦るあまり階段から転落などしなければいいが。手も頭もこれ以上ない速さで動かしながら、ロバートは頭の片隅で考えた。
五・六くらいは同時に考えられなければ、セレスト家の家令は務まらない。が、今夜に限って言えばエリックがいてよかった。荷物を詰めつつ同時進行で馬に鞍はつけられない。




