聖女は逃げ出した・3
聞き慣れない言葉が理解できないらしくリュイソー聖女が瞬きを繰り返す。
「襲って。逃げ出す?」
わかっているじゃないの、とリリーは力強く頷いた。
「だから。例えば馬車が一台『道を間違えたのか気がつくといなくなっていた』としても、探したりしないでそのまま行ってください」
行事開始は早朝からと決まっていて変更がきかないが、新人聖女がひとり欠けていても差し支えない。リリーの考えでは、役員は「迷う道でもないし、少し遅れても着くだろう」などと言い、移動を続けるはずだ。
人は自分のしたい事を優先するもので、物事は都合よく解釈するものだから。
「でも、リリアン聖女がうまく逃げ出せたとしても、王都まで無事に帰るのは大変なことよ」
歩くには遠いし、辻馬車に乗ればいいけれど、悪党が先回りして張っていないとも限らない。というより、張っているに決まっている。心配はもっともだ。
「なので、聖女様でもどなたか信頼のおける方でもかまいません。王宮に滞在中のエドモンド・セレスト殿下に助けを求めて頂きたいのです」
リュイソー聖女がぎょっとしつつ疑いながら恐れおののくという器用な感情表現をやってのける。
「本部派の護衛か、ユーグ殿下ではなく?」
ここでユーグ殿下の名が出るとは。ユーグ殿下の強力な後押しを受けていると広く知られているのだと実感するが、ここは王子様の出番ではない。
「護衛ではダメです。彼らの力の不足を言うのではなく、雇われている身では勝手な行動は取れませんので」
上役の指示なくして動かないのは、集団行動の基本だ。そして指示は後回しにされ、出されるのは全ての行事の終了後だ。
それが明日の朝なら信じられない速さだし、護衛が動き出すのが夕方でも速さは拍手ものと言うべきかもしれない。
「ユーグ殿下のお身を危険にさらすわけにはいきません。近衛騎士を私事で動かすのも、問題があります。その点、エドモンド・セレスト殿下なら、融通がきいて行動力もあります」
他国だからこそ逆に身動きが取りやすいような気がする。
リュイソー聖女は返事をしない。信じられないのも無理はない。リリーはとっておきの秘密を打ち明けた。
「まだ内々の打診で、正式には私も聞いていないのですが。私に『国教派を公国で広めるために、すぐにでも赴任しないか』というお誘いがありまして」
ここまで話してようやくリュイソー聖女は腑に落ちたようだった。「あ」と小さく声を漏らす。何かしら噂を耳にしていたのかもしれない。
「そのお話、本当だったの……。でも、どうして国教派を……」
「私には考えも及びませんが、政治的な意味合いが強いのではないでしょうか。国教派と王家は密接な関係にありますから」
どうして聖女派ではなく? の説明はこれで片付く。
そろそろ馭者が焦れる頃だろう。関係者もあらかた馬車へ分乗し終わっている。会話の切り上げ時だった。




