聖女狂想曲・2
ユーグ殿下がリリーを連れ出したのは、風の心地よい川岸だった。白砂が一面に敷きつめられ目の届く範囲に人影はない。
「夏は海がお決まりだが、王都からは少しばかり遠いのでな。せめて気分を味わえるよう例年このように設えている」
人がいないのは、王家専有区域だから。格好は何でもいいと言われたわけがわかった。
「街なかにばかりいるのは、田舎育ちのそなたには息が詰まるのであろう」
思いやり深いお言葉だけに「本当はとてもゴミゴミとした下町もいいとこ下町の貧民街で育ちました」とは、絶対に言えない。
「聖女になった祝いに、馳走してやろう」
夕陽を浴びた王子様が、砂の上にぽつんと置かれた白いテーブルクロスのかかった円卓にリリーを誘う。その姿はまるで別世界のようで、心に染みるほど美しかった。
「そなたは恋を知らぬから、話にならぬのだ」
男を知らない小娘とは恋愛談義もできぬ、などと鼻で笑われる。
「靴を脱いでみろ、裸足に砂は気持ちがよいぞ」とそそのかされて、リリーはお行儀を一旦脇へよけて、脱いでみた。足の指で砂をムギュムギュする感覚は新鮮だ。
恋愛至上主義と言われる国の王子様と張り合うほどの恋愛経験がある女の子の方が珍しいと思う。自然、リリーは聞き手になった。
「逢瀬を重ねれば重ねるほど愛しく感じるが、ある時不意に飽きがくる。一年つきあえば目新しさはもうない。違う女がよく見えるのは当然であろう?」
熱しやすく冷めやすいとは、このあたりから噂されるのだと知る。そんな事は気にもとめずに王子様が熱く語る。
「よいか、恋に大切なのは新鮮みだ。相手をもっと知りたいという欲が薄れたら、その恋は終いだ」
「ふうん」
「……そなた、身を入れて聞いておらぬな」
不満もあらわに決めつけられた。その通りでも、否定するのが礼儀だろう。
「大人過ぎてよくわかりません」
熱烈な恋愛は続かない。「そんなもんは流行り病のようなもんさ」と市場のおばさん達は言っていた。だから結婚は、程度の合う人とするのがいいのだと。
少し酔ったらしい王子様が軽口をたたく。
「そなたが『どうしても』とねだるなら、特別に恋を教えてやってもよいぞ」
「いえ、お気遣いなく。小娘なので」
小娘だが、社交辞令を真に受けるほどの子供でもない。
「もう四・五年したら、相手にしてやろう。聖女の最低任期はそれくらいだ」
四・五年。具体的に聞くのは初めてだ。今十九だから二十三・四歳。まだ充分に若い。
その頃坊ちゃまは三十五・六歳。ちょっと晩婚すぎないか。そこまで待ってくれないかもしれない。
ダメ、長く考えては「寝ろ」が頭に浮かんでしまうと、リリーは思わずゆるみかけた口元をひきしめる。
砂には数多のキャンドルが置かれ、日が落ちたら星のように輝き出した。二人だけの特等席だ。
同じ手でたくさんの女性の心をときめかせてきたのに違いない。
「せっかくの夜に、聖女の話は興ざめであったな」
「いえ」
共通の話題はそれしかない。それが聖女と王子様の関係だった。




