貴公子の深謀遠慮・1
エリックがリリーを見て固まった。
「え! 泣きそう!? 泣かないで。泣かせたら僕が――」
「『僕が』なんなのです」
焦る声にかぶせる声がある、エリックと同じ身長のロバートだった。
「お前の息子は、何をしている」
不機嫌な声が、さらに続く。坊ちゃまエドモンドだ。
父子の隣りを通り、部屋の中央まで来る。リリーは思わず座っていた寝椅子に背を押し付けた。エドモンドの端正な顔に不機嫌の色が濃くなる。
「なぜ、私に怯える」
「――なんとなく?」
目頭が熱かったのに、怖さで涙が出そう。思うリリーの前で、おじ様ロバートが内ポケットから涙拭きを出した。
「本泣きではごさいません。エドモンド様、お早く」
恭しく差し出す。
「『来い』と言うより、私が行くほうが早いか」
エドモンドは、言うなりリリーの顔に涙拭きを押し付け、隣りに座ると膝に抱き上げた。
「なぜ泣く」
「このお家が懐かしくて」
そんな理由か。と呟くエドモンドに、ロバートとエリックからも安堵した雰囲気が漂った。
「コレにはまず、湯と食べ物だ。それが済んでからでなければ、懐かない」
いえ、それは子供の頃の話でして。もうよい大人になったのですから。とは言えずに、ため息をつきたい気持ちはお見通しだろう。
いつでも自立できるように準備もしてきたつもりなのに、ぐるっと回って結局このおうち、坊ちゃまのお膝の上だ。成長なんて少しもしてないんじゃないかと、不安になる。
「ひとりじゃ何にもできない」
つい口から溢れた。
「当然だ。そのように育てたのだから」
リリーがはっとして顔を上げると、悪い大人がそこにいた。
「坊ちゃま、見て。私成長してた! このバスローブ、つんつるつん」
「――それを言うならツンツルテンだ。他の荷は用意してあったが、バスローブまでは無い」
浴室には子供の頃に着ていたヒヨコバスローブとウサギバスローブが出してあり、リリーはウサギを選んだ。着てみれば長袖は手首より短く、ふくらはぎまであった丈は膝丈。フードはかぶれたので、昔のようにかぶって出た。
エドモンドが「我慢しろ」と突き放す隣りで、ロバートが「見てはなりません」とエリックに注意している。
エリックの目がうろうろするのは、十八にもなってウサギの耳が可笑しいからだろう。そういえばエリックがこの耳を見るのは初めてだ、とリリーは思い当たった。
「見て、エリック。お耳がついてるの。昔、坊ちゃまは『いらないから切ろう』って言ったの。ヒドいでしょう?」
見やすいようにと両手で持ち上げると、さらにエリックの視線が落ち着かなくなった。
「おやめください、お嬢さん。エリックにはまだ耐性がございません」
たしなめるロバートを、わざとらしいため息が遮る。
「これでも巻いておけ」
言いながら手近なひざ掛けで、ぐるぐる巻きにされた。腕もだ。
「坊ちゃま、食べられない」と訴えると。
「心配は無用だ。口まで運んでやる」
何ということも無い様子で、返された。
なんだか情けないけれど、この家では大きくなってもそうする決まりらしい。リリーはエリックと目を合わせないと決意した。




