グレイ侯にご挨拶・1
ご歓談中の方に話しかけてはいけない。視界に入る位置で「お待ち申しあげます」という雰囲気をたっぷりとにじませる事が大切だ。気がついて貰えなければ、他の方に先を越されてしまう。
気がついて向こうが「話したい」と思えば、歓談を切り上げてくれる。話す気がなければ、長く待たされる。それで諦めて去ってくれれば良し、というところだろう。
中には大物感を出すために、あえて待たせる人もいるらしい。そのあたりは優秀な家令である、おじ様ロバートに聞いた。
「私を『単なる使用人』とみるか『殿下の代理』とみるかでも、対応は違います。待たされたからといって一概にないがしろにされたと取るのは、間違いです」
グレイ侯は会話の相手に失礼でない程度で話を切り上げ、自然な態度でリリーに目を移した。
先方から話しかけられるのを待つべき身のリリーだが、今回は「先に」と指示されている。
「今晩は良い夜でございます、グレイ侯。おそれながらリリー・アイアゲートが、ご挨拶を申しあげます」
「花を売っていた時のように、愛想笑いを顔に貼り付けろ」とは酷い言い様だが、坊ちゃまに言われてはそうするしかない。リリーは微笑を固定した。
身分の高い方に「はて、この娘は誰だったか」などと、無駄なお手間はとらせてはならない。
「以前に一度、ジャスパー様にお招き頂きました折に、侯にはお目にかかった事がございます」
それで何か思い出したらしい。グレイ侯が、軽く数度顎をひいた。
「ああ、ジャスパーと同級の精神系異能使いの」
精神系を低く見ているとわかる一言だ。あまりにわかり易すぎて、ありがたいほど。
名乗って、侯から何もお尋ねがなければそれまででよい、と言われている。リリーは相手の出方を待った。
「さきほど、殿下と踊っていたようだが」
「はい」
聞かれた事に簡潔に答える。
「初対面には見えなかったが、殿下とはどのような」
「ケインズ様のもとで行儀見習いをしておりますので、恐れ多きことながら殿下には目をかけて頂いております」
グレイ侯の目が見開かれた。ケインズの前に家令とつけるべきだったか。
「行儀見習い?」
注意引いたのは「ケインズ」ではなく「行儀見習い」だった。行儀見習いは、通常「未婚の女性が貴婦人の元でする花嫁修業」とされるが、実際は箔付けのようなもの。
女主人不在の家に行儀見習いとは? と、グレイ侯が不思議に思われるのも当然だ。しかし契約上リリーは行儀見習いだ。
「はい。義父がケインズ様と知己でありますことから、『平民女子が身を立てるのは難しかろう』と、殿下のお力添えを賜りました。この先は軍部に籍をおくことになっております」
グレイ侯は軍で要職に就いている。だからこそ、坊ちゃまは挨拶して来いと言ったに違いなかった。




