思い出づくり・10
「ごめんなさい」
リリーは率直に謝った。
もう背を離しても大丈夫、とジャスパーが言うとおり、リリーにかかっていた重みはなくなった。
「一番信用ならないものは自分だと、今夜知りました」
ジャスパーが唐突に言う。何のことだか、心当たりはない。
「そう? よくわからないけれど、ジャスパーは頼りになるわ」
「私が私を信用出来ないのに、あなたが信じてくれるとは皮肉なものです」
ジャスパーが「開けます」と告げ、警戒しながら扉を押した。外には誰もいない。来た時と同じ静かなものだ。
結局裏口へは誰ひとり来なかった。ここは通用口で関係者以外立ち入り禁止なのだから、当然と言えば当然だ。
表には回らず裏口から出ることにする。大通りには迎えの馬車が来ているはずだった。カミラとスコットより先に着くかもしれない。
まだ開いているパブや料理店は賑わっており、そこそこの人出もある。道行く人にまざったところで、リリーは深く息を吸った。よどんだ湿気っぽい掃除道具置き場にいた身としては、外のありがたさを実感する。
「どうして、また急に夜遊びを」
一息ついてジャスパーが尋ねた。
「『初めて』をしたかったの。その方が記憶に残るでしょう」
ジャスパーには理解できない理由だと、表情からも知れる。
「思い出づくりよ」
まあ、それがスリとの揉め事になってしまったわけだ。次から生乾きの雑巾の臭いを嗅ぐたびに、この騒動を思い出すに違いない。
「ごめんなさい、ジャスパー。せっかくの思い出が台無しになったわ。仕切りなおしましょう」
「そうですね。ですが、これはこれで忘れられない一夜となりました」
ジャスパーは達観した雰囲気を漂わせた。いい事もなかったのに「忘れられない一夜」だなんて。
「初喧嘩記念日?」
「先ほどあなたは『喧嘩ではない』と」
そうでした。優等生のジャスパーが校則に反した行動をとるはずもない。これは。
「間違えた。小競り合いでした」
「物は言いよう」
聞こえよがしの呟きが耳に入る。それには答えずに、聞く。
「来たことを後悔してる?」
「少しも」
ジャスパーは一言で済ませた。
「なら、良かった。いい? バレなかったら無かったのと一緒よ」
こっそり蜂蜜を舐めたとしても、減っていると気がつかれなければ、盗み食いしてないのと同じ。
「バレなければ何をしてもいい。と?」
「そうは言ってないわ」
そこまで悪い子ではないと食い気味に話すリリーにジャスパーが小さく笑う。
約束した通りまで出ると、人待ち顔のスコットがすぐに気がついて、笑顔で手を振った。あの笑顔なら、あちらも困りごとはなかったのだと安堵する。
とんでもない一晩だったけれど、ジャスパーの人生に曇りを作らなくて良かった。これから陽のあたる場所を歩き続ける彼に、曇りも染みも似合わない。
私とは違う。リリーは笑顔を作りスコットに大きく手を振り返した。




