思い出づくり・8
「ああ、ここですか」
ジャスパーにも分かったらしい。湿った房糸を顔から離そうとしてくれる。けれど、暗いなかの手探りでは思うようにいかないもので、指が何度となく肌をかすめる。
あまりのくすぐったさに耐えきれず、リリーは首をすくめた。肩と顎でジャスパーの指を挟んだ形になり、なんとも言えない沈黙が広がった。
「それでは、よけられません」
「だって、下手すぎてくすぐったい」
違うところにばかりあたって。と苦情を述べる。悪いのは私じゃない、もちろんジャスパーでもないのだけれど。
「そんな嬉しそうに苦情を言われましても」
笑うでもなく、ジャスパーが口にした。
嬉しそうとは心外だ。くすぐったがりなだけで、くすぐられるのが好きなわけではない。その辺りの誤解はといておきたい。
リリーが声を上げようとした時、ジャスパーの手が引き抜かれ、身体に沿って肩から腕、腰となぞるように下りた。
「んんっ」
堪えたのにくぐもった声が出た。何のつもりかと思えば。
顔にかかる部分だけ払うのは諦め、逆さに立ててあるモップの柄から置き直す事にしたらしい。カタカタと音がして、うまい具合に肩にのる重みと顔に触れる湿っぽい房糸が遠のいた。
「ありがとう」
ほっと一息つく。よけてもらったとはいえ、感触はすぐには消えない。顔が濡れている気がして、リリーは自分の肩に顎をすりつけた。手を使えない今、動かせるのはそれくらいだ。
「気になりますか」
察したらしきジャスパーが、問うと同時に顎に手を添えた。キュキュッと擦ってくれる。
「そのうち取れると思うわ」
たからその手を離してくれていい、と思うのに。ジャスパーは房の感触を消してくれようと指を動かす。
「私の都合が合わなければ、置いて行こうとしていましたね」
なじるでもなく言う。なぜ今それを。確かにそうだったが、そのまま肯定し辛いので、返事は少しひねることにする。
「ジャスパーも、一緒に来られて良かった」
「あまり遠くへは行かないよう、お願いしたはずです」
あなたの安全のために。たしかに言われていたけれど、ここは遠くないと思うし、こんな騒ぎを起こすつもりもなかった。
「私が思うに、ジャスパーがいなかったら、行動を慎んだわ」
「――慎む? ――あなたが?」
懐疑的であると伝えるためだろう、いちいち語尾が上がっている。闇の中リリーは頷いた。
「『ジャスパーがなんとでもする』と思うから、大胆になったんだと思うの」
「後先を考えず」と思ったけれど、今になってみれば、こちらが正解な気がした。後ろにジャスパーがいると思えば好きに振る舞える。
羊の後ろには頼りになる牧羊犬がいて、羊と犬は仲良しなのだ。
ジャスパーは無言だった。かわりにリリーの唇に手が触れた。ぽってりとした唇をめくるように指がたどる。
どこに触れていると分かっていないのか。確かめるような指遣いだ。




