迷路の迷子・7
リリーに続いてタイアン殿下も最後の一歩を大きく踏み出した。これで揃って迷路を抜け出した。
「さ、着いたね。僕は今日君を迷路から救い出したわけだけれど」
ずいぶんもったいをつけた言い方だ。
「少しは信頼する気になったかな。まだ逃げ出す気にはならない?」
それは坊ちゃまから。今日は言わないのだと思ったら。警戒心をあらわにするリリーに殿下はにこやかな笑みを見せる。坊ちゃまのしない類の笑みだ。
「安心して。僕が逃したという事自体隠蔽するから。その際に役に立つのがあそこにいる男、ファーガソンだ」
殿下の視線を追ってリリーも離れた場所に立つ男性に目をやる。おじ様よりどこか瀟洒なお仕着せを着た男性が、声が届いたかのようにうやうやしく一礼した。
坊ちゃまとおじ様は似ていないけれど、殿下とファーガソンさんは雰囲気が似ている。
「エドモンドとロバートを出し抜けるとしたら、唯一僕とファーガソンだ。どうしてやろうかと考えると、今からワクワクするよ」
瞳を輝かせて横目でウインクする。本当に坊ちゃまと遊びたいだけなのだ。危うく騙されるところだった。子供の自分をからかわないで欲しいと、少しだけ下げた口角でリリーは不満を伝えた。
殿下が可笑しそうにする。
「君に嫌われるのは本望じゃない。今日はここまでにしようか」
強引だけど無理じいはしない。本当ならリリーがお断りすることは出来ないのに、意を汲んで引いてくださるところは紳士的だ。
タイアン殿下が空模様を確かめるように視点を遠くへ定めた。
「僕は妻を迎えるとなれば、身辺は綺麗にするつもりだ。最初から愛人がいるなんて、うまくいく気はしないからね。最低限の礼儀だろう。その後はまあ、お互いの考え方次第だけど」
お顔を横から見るのは何となく気が引けて、リリーは今日も襟にとまる薔薇の蕾に目をやった。
「エドモンドもいつまでも気楽な独り身というわけにもいかない。君がエドモンドの気持ちを信じられればいいけれど、揺らぐ時もあると思う。学院にも侯家後嗣のまわりにも君にふさわしい好男子はいるだろう――って踏み込みすぎたかな」
視線を戻した殿下にリリーは首を横に振った。慣れた笑顔を作ってみせると、他の人同様タイアン殿下も、はっとした顔をした。
「ご親切だとわかっています。引き際は心得ております。私はこの先どなたにも迷惑をかけずに自分の力で生きていきたいんです。……難しいとは知っています」
返すものが何も無いのに厚意を受け続けて今がある。それこそ恩返しは、受けた教育を生かしてできるだけ上を目指す事。かつての生活に逆戻りしないことだ。登るのは難しくても転落はたやすいと見聞きして知っている。
「転落」は禁句のひとつだから言えないけれど。
「君を知れば知るほど、別の意味で難しいと思えるよ。エドモンドが君を離さない」
タイアン殿下はそればかり。でも坊ちゃまは間違えない人だと思う。私とは違う。声に出さない気持ちは唇に笑みとしてのせる。
「また会おう、リリー・アイアゲート。それまで僕を忘れないで」
極上の微笑を残して背を向ける殿下の向こうでは、何もかも心得たかのように侍従がリリーにまで黙礼をする。
一仕事終えたような疲れがある。同じくらいのお辞儀を返して見上げた空は、雲ひとつなかった。




