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貴公子は行儀見習いを慰める・1

 ペイジとモンクは卒業してしまい、4月からはこの寮にいない。

イグレシアス公子の帰国は少し先だけれど、もう会うことはない。

 カミラはいるしジャスパーとスコットもいる。寂しくはないはずなのに、何だろう。


 リリーはぼんやりと自分の手を眺めていた。寮の共有部は誰もおらず静まりかえっている。部屋に戻ればいいのに、階段を上がるのが億劫でここへ寄ったら立つのすら面倒になった。


 爪の先をまじまじと見る。例えばこの手がポコッと道に落ちていたとして、自分で「これは私の手だ」と分かるだろうか。などと真剣に考えていると、砂利を踏む靴音がした。



 足音で分かる。これは坊ちゃまだ。どうしてここに来たのかは分からない。


 どこかに隠れなくてはと、咄嗟に思いついく。テーブルの下? 窓の外から丸見えだ。なら逆に。


 リリーは速やかに移動して窓の真下にしゃがんだ。出来るだけ壁に張り付く。まさか真下にいるとは思うまい。


 靴音は不思議なほど迷わずに近づいた。時々、自分には特殊な匂いがあって、坊ちゃまは猟犬のように鼻が利くのではないかと、半ば本気で思っているのは内緒だ。坊ちゃまを犬扱いしては、さすがに怒られると思うから。



 音が止まった。きっと窓から室内を見ている。リリーは首を少しだけ動かして左の窓を見上げた――いない。次は右の窓を――いない。

まさかとは思うけれど。首をそらして上を――いた。

 そしてもう見つかっている。真下を向く坊ちゃまエドモンドと、しっかり目が合った。


窓越しに声が聞こえる。

「そんな所で何をしている」

「……かくれんぼ?」


 冷ややかに見おろす顔には陰影がつき、天使というよりは堕天使のよう。一番美しく強い天使が神に疑問を持ちそむいて、堕天使になるのだ。


「疑問形にするなら、言うな」

 わずかに下がる口角さえ格好いいと見惚れるリリーに、コツとエドモンドが窓を叩いた。


 開けろ、だ。素早く立ち上がり鍵を外して窓を開け放つ。床が高いので外にいるエドモンドと目線の高さが同じになった。この位置は新鮮だ。




「わざわざ同じドレスを仕立てるとは、ロバートも酔狂な」

ひと目見たエドモンドがそう口にする。


「坊ちゃま、どうしたの? お迎えは明日じゃなかった?」

スイキョウが何か分からないまま、リリーが尋ねる。


「早く片付いたので、一曲相手をしてやろうと寄ったら、お前がいなかった」


責めるでもなく伝えられて、リリーの目が丸くなった。


「そんなことしたら、目立っちゃう」

先に戻っていて良かったと胸をなでおろす。


「構わない。他の理事は皆来校していた。私が来てもおかしくはない」


理事?


エドモンドが半眼になった。

「私が理事だと知らなかった、などという事は――」


「ない。ないわ、知ってました」

リリーは急いで見えすいた嘘をついた。誤魔化せないにきまっているけれど。


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