イグレシアス公子とのお別れ・5
「君のそのドレス、驚いたよ。僕が絵を見てしまったと気付いていらしたんだね」
紙挟みの間に、水色の服の絵があったらしい。ならば今夜のこれはおじ様の遊び心。見たことを咎める気は少しもないのだろう。
「今より小さな君が走る後ろ姿があった。どこへ行くのか気になっていたんだ」
これを着ていた時なら。
「ウサギを追いかけていました」
「その時、後ろに君を見守るエドモンド殿下がいらしたんだね」
イグレシアスの視線はリリーの手首を飾るアイビーにとまっていた。赤いブレスレットを目立たせないよう上から花冠をつけたのは、お見通しだったらしい。
「僕も君を見守るような存在になりたかったな」
それは難しい。坊ちゃまエドモンドは初めて会った時から大人だったけれど、公子は同世代。だからこれは冗談なのだろうけれど。
リリーは再び会うことのないイグレシアス公子を見つめた。
また会おうと言える距離ではなく。今日で最後だ。会うたびに「かわいい」と言ってくれる人は初めてだった。坊ちゃまはそんな事は言わないし、おじ様が言ってくれるのは子供はみんな可愛いものだから。
「かわいい」を照れもせず挨拶のように口にするのは、きっとお国柄だ。
冬の長い公国とは違う陽気さが、この冬ずっと心を温めてくれた。だから、リリーも気持ちをそのまま口にした。
「公子が居なくなったら、学校がさびしくなります」
公子が白い歯を覗かせる。
「そこは学校がじゃなくて、私がって言ってくれないと」
軽く目を伏せて、すぐに明るい顔に戻る。
「でも、そう言ってもらえて嬉しいよ。ありがとう」
公子の笑顔が素敵なので、リリーも合わせて笑っておく。
「いつまでも話していたいけど、ジャスパー君を呼んで来てくれる? 帰国まで、もうゆっくり話す機会はないだろうから」
頼み事を機にリリーは立ち上がった。イグレシアスがドアを開けるために立って、動きを止める。
「待って。エプロンのリボンがゆるんでる」
リリーが背中に回した手を押さえて、「いいよ、僕がする」と音を立ててリボンをほどいた。
それだけでどこか緊張するリリーに、何気なくイグレシアスが口にする。
「今夜も君から薔薇の香りがする」
「おじ様にお支度を手伝ってもらったから」
「僕は薔薇の香りがするたびに、かわいいエプロン姿の君を探してしまいそうだ」
本当にお上手をおっしゃる。そう思っても慣れていないので、リリーには返し方がわからない。
「はい、できた」
結べたらしい。お礼を言うのに振り返ろうとすると、肩にイグレシアスの両手が乗った。
「振り向かないで。今の僕は情けない顔をしてるから。君の幸せをどこにいても願っているよ――リリー」
さあ行って、と背中を押される。
リリーは小さくコクリとするだけで駆け出した。




